カテゴリ:時の話題・9条の会
衆院選挙で大量の議席を獲得した 民主党党首の野田総理が自己の保身のためか何か知らないが、 農地を切り売りして、自らは安い労働力となり、 何よりも家族の崩壊は避けようもなく 介護付きの住宅も、次々に建築中。 半世紀以上にわたって、 何よりも一人一人が その意味でも教育は重要だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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本質に触れた内容ですね。
小選挙区制のマジック。 特筆すべきは、この半世紀の歴史観か。 信仰のような自民党支持観がある。 それはいったいどこから出ているのか。 「ドン百姓根性」という死語があった。 お上に従順に従い生きることに、何らの疑問もない精神。 まだ日本では、「お上」を自民党と信じている「おこぼれ層」が多いのか。だが、この記事でその崩壊が指摘されている。それに納得している。 日本人って、格差社会を是とする過半の国民性もあるような気がする。米国のような格差社会ではない。まるで「鵺(ぬえ)」のような。どこからそうなるのだろうか、との疑問を持つ。政権交代というが、一度自民党以外にちょっとやらせてみた感覚。欧米の政権交代とは異次元のようだ。 記事の主張、素直に心にしみ込みます。 (2012.12.18 22:46:11)
こんばんは。
鋭いご指摘と納得して拝見いたしました。 「自治会、婦人会、老人会、農協など 村のどこかの組織に組み込まれており、 その組織が一体となって自民党を支持している。 生活の一部として自民党への投票はあたりまえ。」 貴女様のご指摘で、改めて考えました。 自民党に投票して当たり前。この考え方(盲目的)は、いったい何処からくるのでしょうか。 いわゆる「どん百姓根性」とも言いたいものです。 自民党支持と反自民党に分かれる基軸があるように思えますが。 もしかしたら、日中戦争・太平洋戦争についてではないだろうか、と。 「しかたなく戦争をしたのだ。侵略戦争ではない」 「本当は、戦争に負けてはいないかも知れない」 「GHQから与えられた憲法だ」 このような思いをお持ちか否かが基軸だと。 経済政策とかは、どの政権だろうが常に試行するものでしょう。既得権益も含め。 つまり、2点に絞ると、 1.憲法改正(これは上述した戦争敗戦論の否定か。先の戦争は間違っていなかった――) 2.原発容認(ご指摘のように、既得権益+米国の意志を踏襲か) 自虐史観とか言って、事実を正視しない姿勢の根源も、上述の理由によるのではないだろうか。 そう思えてならない。貴方様のご指摘を理解すればするほど。 (2012.12.19 23:21:13)
ボトックスマンさん。
-----ムラのしくみ。時代により形をかえながら、民を治めるシステムとして江戸時代からずっと続いている、隣組的な組織。その組織の一員であることによって、生活互助があるかわりに、長いものにまかれろ的な思考回路、何百年もかけて支配者によって作り上げられてきたもの。農村だけでななく、日本の会社組織もこの延長上にあり、高度成長のエネルギーになって、一丸となって突き進んだのは、この思想の基盤があったからこそではないでしょうか?原発建設も同じ線上にあり、「原発をゼロにしたら、日本経済はダメになる」という新たな神話がばらまかれており、本気でこれを信仰し始めた日本人がすでに多数ある。 ムラ社会では「自民党」に投票するのではなく、村の「○○さん」に投票することと同じ。「考えて投票行動」を起こすことは危険分子として、村八分にされる。こんなことが100年以上続いてきた。やっとここにきて、その状態は分解し始めた。底辺の古い勢力は悲惨な状態にある。混乱状態にある。ここから何をどの方向に変革していくか。それぞれに試されている。この社会の底辺で、老いも若きも自立して社会の形成者になり、社会に参加していくことなしに、政治は変わらないと益々思える。でも若いころ「遠吠え」に過ぎなかった事柄が「事実」としてはっきり見えてきた。歴史は確実に前に進んでいる。 (2012.12.20 10:15:42)
ご返信ありがとうございます。ご見識に大きく頷いております。日本列島全域でムラ社会となっていますね。このムラ社会、一見、ゲゼルシャフトかと思いましたが、その根底にはある種の信仰観が流れているものと思っています。ゲマインシャフトの上にゲゼルシャフトが形成されているとでも表現できるものが「日本全域のムラ社会」か。ゲマインの大本は、神道に由来する様々な風習とその根源の「伊勢神宮」か。国民大衆は知らずに、この千数百年もの長きにわたり、マインドコントロールにかかっているものと。縄文のアミニズムが弥生の神々に習合され、神道を形作っています。「弥生の神々」は、亡くなった人間が神として祭られています。権力者等は神となり知らずの内に信仰の対象となっています。その頂点に立つのが「オオキミ」。その中心神社が伊勢神宮。村の神社と言えども、その祭神の中に「伊勢神宮の神」が鎮座しています。さほどのことはない、と思っていましたが、「お上」に従順な一般大衆国民を観察していると、この点が気になっています。従順、盲目的に受け入れる心の準備ができている。そう思うのです。また日本の神仏信仰の大方は、現世利益的なものです。それは政治世界の範疇にある。つまり、信仰と政治が深く繋がっている感覚とでも言いたい。そこに徳川300年の身分制度社会で馴らされた国民性が、まだ残っているのでしょう。ご指摘の通り。
日本国民の過半が、容易くナショナリズムに走るのも理解できます。そうマインドコントロールに罹っている。こういう観点で、日本人像を突きつめてみたいと思っている最中です。 (2012.12.22 01:08:11) |
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