カテゴリ:歴史/考古学/毛人
私は中部地方以東の各地の鏡、土器、古墳の様相を見ていくことによりヤマト襲来の実像に迫ろうとしているのだが、各地方の状況を詳しく調べる前に大まかに状況を見ておきたいと思った。 本書では鏡の制作年代ではなく埋納・廃棄年代が三世紀中葉と考えられる鏡に検討を加えている。箸墓古墳がA.D.250年頃とする歴博の年代観が正しければ本書で言う三世紀中葉は2,30年繰り上がって三世紀前半寄りになると思われる。 上の図で鏡が分布している範囲が倭国の領域であり、分布しない地域が狗奴国の候補と本書では推測している。必ずしもそうはいえないと思うが、銅鏡が分布する地域(筑豊、丹但、瀬戸内、大阪湾岸)と銅鏡が分布しない地域(九州中・南部、出雲、土佐、紀伊南部、熊野、濃尾伊勢以東)がかなりはっきりと分かれることは何を物語っているのか興味深い。
上の文では触れていないが九州の奴国、伊都国と比定される地域付近でも神獣鏡系の鏡がわずかながら分布していることは神武東征、邪馬台国東遷説と絡めて興味深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.23 21:46:29
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