カテゴリ:カテゴリ未分類
「自分の名前を忘れてしまうと帰れなくなってしまう」 「名前を言ってはいけないあの人」 「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。 千と千尋の神隠しでは主人公千尋は契約書を書く際に自分の名前「荻野千尋」を間違えて書くことにより湯婆婆に完全に支配されることを免れています。古代人の名前に対する考え方も映画の世界と同じでした。 名前が存在と一体であるという考え方は世界中に見られます。名前と存在が分かちがたく結びついているから、名前を口にする事によってその者を呼び寄せたり支配することができると信じられていました。 そのために聖書の神の名は軽々しく口にすることは許されませんし。キリストは神の御名によって奇跡を起こす事ができます。また、エクソシストは悪魔の本当の名前を知らなければ仕事に取り掛かることができません。 名前と存在が深く結びついていると考えていたのは私たち日本人も同じで、一昔前まで武士は本当の名前である諱(いみな)と、普段使用するための字(あざな)を持っていて、諱を呼ぶことはひどく無礼な事とされていました。こうした実名を避ける習俗を実名敬避俗といいます。この習俗はおそらく日本人が日本人として成立するよりも前から受け継がれてきたものでしょう。 萬葉の時代、男性が女性に名を聞くということは、愛の告白であり。女性が名を明かすということはその愛を受け入れるということを意味しました。萬葉集の巻一の冒頭の歌は大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)の歌ですが、その中で尊は女性に名前を聞いています。そして自分がまず名乗っています。 参考図書 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.02 21:29:26
コメント(0) | コメントを書く |
|