カテゴリ:ネトウヨ批判
日本の歴史教科書のほとんどに所謂「任那日本府」が取り上げられ、文化庁のHP(先頭8点が該当)で文化財の出土場所、時代の表示がそれぞれ、任那、任那時代となっていたことに対し韓国が抗議した。 韓国の抗議はともかくとして、考古学に興味を持つ者ならばこの表示方法について見慣れない上に分かりにくいと思う筈だ。「任那時代」などという言葉は全く一般的でない。この時代は「三国時代」として既に定着している。現に文化庁のHP自体が「三国時代」という表記をいくつも使用している。 「任那時代」という時代を倭国が任那と呼ばれる地域に影響力を及ぼした時代だと仮定すると、始まりが369~391年ぐらいのよく分からない時から532年くらい迄という推測になる。同じ文化財の殆どを掲載したe国宝のHPの説明文中の6世紀前半頃という説明の方が明確である。 任那の範囲は諸説ある上に時代により変遷があり明確でない。そして任那の性格についても定説が無く、国か地域か出先機関か使節団か不明である。昌寧または比斯伐の方が明確であり、ここでもe国宝のHPでの表示方法のほうが良い。 文化庁が安全策をとって範囲が広いほうに変更したと善意に取ることはできない。なぜなら、六世紀に入ってから半島における倭の影響力は低下傾向であり。513年には百済に半島南岸の帯沙(現河東)までの支配権を認めている(継体紀七年十一月乙卯条)。527年には南加羅(現金海)の復興を試みている(継体廿一年六月甲丑条)ことからもわかるように昌寧より南が新羅の勢力下にあったことを考えると、これらの資料が出土した地域を「任那」と呼ぶのが適切であるかは相当疑わしい。もっとも、倭はそれらの地域を「任那」と呼び続けていたという言い訳は可能ではあるが、わざわざ誤解を与える表示にする必要はあるまい。 中央日報の記事によると表現が変わったのは第二次安倍内閣発足後と見られるそうである。表現が変えられたという日時が不明であることと、本当に変えられたのかが確認できないということは押さえておきたい。 変な意図を持って分かりにくい方に変えられていなければ良いと思う次第である。ただし、意図的であるとすると意味不明である。なぜなら、これらの遺物は[時代から見る]-[朝鮮三国]の順で検索することができ、表示される「朝鮮三国 [朝鮮半島]の検索結果」のページの他の遺物では「三国時代」や現在の地名での表記が複数使用されている。最初の8つを変えたら指摘されてしまったのか? 先日、自民党がテレビ朝日に対して公平中立な報道を要請していたということが発覚した。自民党が勝手に考える公平中立が自民党寄りなのは明白だ。政権与党によるこのような要請は事実上の脅迫(「総務省から放送免許を与えないぞ」)である。報道の自由、言論の自由に対する重大な挑戦である。報道機関はもちろん国民は怒らなければいけない事態であるが静かなものだ。 さらに、それほど非難されなかったことに味をしめて4月17日にはテレビ朝日幹部を聴取するという行為に及んだ。内容については自民党情報通信戦略調査会のメンバーから聴取する必要があるだろう。 文化庁のHPの改悪が圧力によるものかは定かではないが、自由民主党(Liberal Democratic Party of Japan)が自由(Liberal)や民主(Democratic)とは程遠い現実をみると自民党の衰退も間近だろうとおぢさんは思う。名前と実態が合っていないというのはその者にとって極めて不吉である。 もっとも、自民党が衰退したからといって右傾化した日本では「次世代の党」が世代交代して台頭するだけかも知れず安心はできない。
参考サイト 参考文献 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.20 20:18:12
コメント(0) | コメントを書く
[ネトウヨ批判] カテゴリの最新記事
|
|