カテゴリ:歴史/考古学/毛人
鏑川流域の弥生集落の分布状況を知りたいと思った。
このテーマについては中高瀬観音山遺跡の報告書[1]に井上太「鏑川上・中流域の弥生集落」という文章があり、この中で主な集落遺跡として次が挙げられている。 ①笹遺跡 後期4軒 ②稲荷北遺跡 後期10軒 ③天引狐崎遺跡 後期40軒 ④天引向原、白倉下原 18軒 ⑤下小塚・下小塚Ⅱ・三ッ俣・南小堀遺跡 90軒 ⑥小塚遺跡 後期7軒 ⑦南蛇井増光寺遺跡 後期181軒 ⑧押出遺跡 後期4軒 ⑨市子塚・山ノ上遺跡 2軒、環濠 ⑩阿曾岡・権現堂遺跡 後期116軒 ⑪古立東山遺跡 後期4軒 ⑫古立中村遺跡 後期11軒 ⑬八木連荒畑 後期11軒 ⑭鞘戸原Ⅰ・鞘戸原Ⅱ遺跡 この後『丹生地区遺跡群』(2009)の報告書では弥生後期の竪穴住居157軒の存在が報告されている。この報告書では以下の遺跡がまとめられている。 「上丹生千足遺跡」2軒 「下丹生赤子Ⅱ遺跡」11軒 「下丹生赤子Ⅰ遺跡」29軒 「上丹生早道場遺跡」4軒 「上丹生屋敷山遺跡」32軒 「下丹生簾ノ上遺跡」65軒 「下丹生前畑遺跡」14軒 これら遺跡の位置と集落規模を併せて把握するために地図を作製した。 集落の規模によりアイコンのサイズを大(80軒以上)、中(40軒以上)、小(40軒未満)に分けてプロットした。今回は富岡市から上流域を対象とした。吉井町から下流は今後追加もしくは別途作成したいと思う。 上信越自動車道の開発に伴って発掘された遺跡の報告書などで指摘されてきたことではあるが、丘陵上に一定の間隔をもって拠点的な集落が形成され小規模な集落がその周りに点在する傾向が見て取れる。 丹生遺跡群と南蛇井増光寺遺跡はやや近いが、拠点集落を中心とするA~Fの集落群の存在が推定できる。丹生遺跡群の各遺跡を集落のまとまりとしてどうとらえるべきか、実際にこれらの集落群が一定のまとまりを持った小地域であったのかは検討しなければならない。遺物の分析検討などにこのエリアを活用することを考えている。 A.古立―八木連エリア B.丹生エリア C.南蛇井増光寺エリア D.阿曾岡・権現堂エリア E.中高瀬観音山エリア F.小塚エリア [1] 1995『関越自動車道(上越線)地域埋蔵文化財発堀調査報告書 第32集 中高瀬観音山遺跡』 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.06.03 15:29:33
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