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おぢさんの覚え書き

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2018.03.04
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カテゴリ:歴史/考古学/毛人
鏑川上中流域の樽式3期までの土器は、地域色はあるにしても樽式の一般的な編年で大方理解できるものだった。しかし樽式の崩壊過程とされる4期あたりから古墳時代前期の土器変遷となると途端に難しくなる。
原因は明らかで、3期までは樽と吉ヶ谷の系統に属する土器がほぼすべてであり、その系統の変化として理解できた。ところが4期となると近隣だけでなく北陸東海などの遠方の影響が顕在化すると同時に伝統的な様式は崩壊に向う。この複雑な過程が村々、家々で一様に進んだ筈はなく、まだら模様を呈しながら、支配的な様式の交代を経て古墳時代中期の和泉式土器へとまとまっていく。
実態が複雑怪奇なので、シンプルに示せる筈もなく、複雑な様相をそのまま理解しなければならない。
以下に「鏑川上中流域弥生末期~古墳前期土器の変遷」を知るために参考になりそうな研究を挙げる。

① 永井尚寿 2009「V 上丹生屋敷山遺跡 第4章 調査成果」
   富岡市教育委員会『丹生地区遺跡群 本文編』
② 大木紳一郎 1997「第5章 まとめ 第2節 弥生時代の遺構と遺物 1.弥生土器について」
   群埋文『南蛇井増光寺遺跡V C区・縄文・弥生時代 本文編』
③ 深澤敦仁 2008「太田地域における古墳時代前期の土器編年試案」
   群埋文『成塚向山古墳群』
④ 友廣哲也 1995「古墳時代前期土器」
   群埋文『中高瀬観音山遺跡』
⑤ 比田井克仁 2001『関東における古墳出現期の変革』

①の上丹生屋敷山の文章には弥生後期後半から古墳時代後期後半までを17段階分けした編年が示されており、対象とした年代を完全に内包している。しかし、上丹生屋敷山の土器を対象とした編年であり、鏑川上中流域全体の様相を包含しているかといえば心許ない。また対象年代が広い分、各年代の扱いは薄くなっている。
②の南蛇井増光寺の文章は土器形式が細分され詳細なものである。ただ、南蛇井増光寺遺跡は4期までの遺跡であるため、編年も4期までとなっている。また土器をⅠ群―櫛描文土器群、Ⅱ群―縄文施文土器群、Ⅲ群―その他外来系に3大別しているのであるが、おぢさんとしてはこの大別にはやや疑問を抱いて居る。この地域の土器を見ていると櫛描と縄文は部分的には容易に交代し得るものの様に思われる。さらに櫛描と縄文が同一土器に共存するケースも散見されるときにこの施文を基に大別するのはどうなのか。
③は各器種の形式変化の仮説や各型式の共伴関係が示されており説得力のあるものであるが、太田地域を対象としており地域が異なる。
⑤『関東における古墳出現期の変革』に示されている関東南部の編年は、その地域の発掘調査報告でも基準となっている。鏑川流域でも南関東の影響は出てくるので参考になる。

複雑であるとはいえ、大方の動向は上述の研究で既に示されているもので間違いないだろう。ここでは前掲③の「太田地域における古墳時代前期の土器編年試案」から各段階の様相を引用する。尚、引用文中の1期が樽式4期、2期が古墳前期前半、3期が古墳前期後半に相当すると想定している。
1期 外来系土器登場による在地様式の萌芽期
 1期は、様々な地域に出自を持つと思われる、いわば外来要素を備えた土器(=外来系土器)がこの地に存在しはじめる段階である。
 その存在のしかたは、特定の形式が単発的にあるという状況ではなく、複数の形式が存在するという状況を呈するものである。そして、その出揃う姿には、古墳前期を通じて認められる形式構成の姿を読み取ることができ、新様式の成立の兆しが認められ、さらに、その出揃い方には、出自が異なる外来系土器の混在性が看取でき、在地における形式の取捨選択(=型式の在地化)が明確に見いだせない。よって、こうした状況からは、1期を「様式的展開の萌芽期」としての段階に止める必要性が感じられる。
 この展開萌芽期の顕著な特徴は、各型式における外来要素の主体が東海系および南関東系である一方で、甕・壺・高坏・鉢において樽式系・吉ヶ谷式系などの弥生後期的様相が、客体的ではあるがその存在感を示している点にある。また、北陸系の要素も明確な姿が認識できるのはこの1期だけである[1]

2期 東海系土器の定着による在地様式の形成期
 2期は、1期においてこの地に登場しはじめた各種外来系土器が、あるフィルターを経て、主に東海系要素が抽出された上で在地化しはじめ、独自の土器様式を形成しはじめていく段階である。だが、その形成段階でありながらも、各型式においては1期における型式が変化したものが多く、鉢B1以外は新形式の出現は認められない点が特徴的といえる[2]

3期 畿内系土器の参画による在地様式の展開期
 3期は、2期において東海系を主体として外来要素を取り入れてきた在地様式に、新たに畿内系外来要素が参画することによって、在地様式を展開させていく段階である。とりわけ、3期においては「①新型式が参画してくること」「②それまでは顕在化しなかった器面のケズリ調整が最終仕上げとして複数形式に現れること」が顕著な特徴であり、1期から2期への変化に比べると、大きな変化・画期をとらえられる[3]

優れた多数の研究があり、大方の動向も示されているにもかかわらず、この作業をするのは次のような目的からである。
1.鏑川上中流域の土器の大半に対応できる編年を得る。
2.該期の鏑川上中流域の土器変遷の特質の抽出。
3.各時期について典型的な土器を割り出す。
4.4期の在来系土器の3期に比べての特徴の明確化。
在来系の土器の変化に注目するのは、土器の時期を推定する時にS字甕などの外来系土器の出土一つに振り回されていないか?という懸念があるためだ。今のところおぢさんには3期と4期の在来系土器に大きな違いは感じられない。


左が3期(新)とされる壺、右が4期とされる壺。ともに南蛇井増光寺遺跡出土[4]
南蛇井増光寺の編年は4期区分となっており、2~3期が一般的な樽式編年の3期に相当する。左の壺は南蛇井増光寺の編年で3期(新)とされているので、3期の中でも新しいとみられるもの。下の甕も同様。


左が3期(新)とされる甕、右が4期とされる甕。ともに南蛇井増光寺遺跡出土[5]

土器変遷確認作業の対象として約160軒の住居をリストアップした。以下スプレッドシートの「検討対象住居」シート参照

「鏑川上中流域弥生後期4期~古墳前期後半編年」

出土土器のなるべく多い住居をリストした。本来ならば確実に共伴するものか厳格に検討すべきだが、いろいろ無理があるのでやらない。樽式3期の土器検討は今回の作業の目的ではないが、4期の前段階として比較の為、若干数検討対象とした。また、雄川より東は榛名山東南麓との共通性の強い土器が見られる[6]、という指摘もあるため、それら(シート内「小塚」エリア)を除く130軒を検討対象とする。リストは暫定的なもので増減の可能性がある。



[1] p.459-460、深澤敦仁 2008「太田地域における古墳時代前期の土器編年試案」
   群埋文『成塚向山古墳群』
[2] p.461、深澤敦仁 2008
[3] p.462、深澤敦仁 2008
[4][5] p706-707、大木紳一郎 1997「第5章 まとめ 第2節 弥生時代の遺構と遺物
   1.弥生土器について」
   群埋文『南蛇井増光寺遺跡V C区・縄文・弥生時代 本文編』 
[6] p.711、大木紳一郎 1997


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Last updated  2018.04.15 15:13:29
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