カテゴリ:平和
「オレ、怪我の証明してもらうことは、あきらめることにしたんだわ」
H地区のMさん(86歳)が無念そうに話した。 彼は1945年7月に、浜松湖近くの浜名という町にあった「浜名海兵団」という所で、米軍の空爆、艦砲射撃や機銃掃射に遭っている。 一般市民も犠牲が出ているが、この時は海兵団の中でも72人が亡くなったそうだ。 Mさんは、艦砲射撃による破片で背中に傷を負ったが、それを証明できずに、傷病兵として認めてもらえない。 しかも2ヶ月半の軍隊経験しかないため、軍人恩給の対象にもなっていないとのこと。 今から30年程前に、一度申請をしてみたが受理されず、そのままあきらめていた所に、私達の聞き取りが始まり、この際にもう一度申請をしてみようかという思いもあって、体験を話してくれたのだという。 浜名空襲に遭ったと主張しても、それを証明してくれる上司や文書がないために、お役所は頭から拒否。 敗戦の8月15日以後も海兵団に留まって処理を命令されたというから、その時に一筆書いてもらえば良かったねと、今になって思うけれど、数えで20歳の青年がそこまで頭が回るわけもなく…。 幸い、現在傷が痛むこともなく、農業を営み、花桃を植えて、元気に暮らしておられる。 戦争体験や戦時中の暮らし体験の聞き取りは大切なことだと思いつつ、一方では、忘れたい古傷を白日に曝してしまうということもあるのかもしれない…ちょっと自責の念にかられている私である。 ![]() 宮島 posted by (C)takanebiranjia 花桃とMさん お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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