カテゴリ:犬と猫
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早朝の散歩を復活させて、1週間がたちます。足の方は絶好調よ。 始めてから2~3日は膝から下に張りがあったけど(筋肉痛かな) 2日坊主・3日坊主は嫌。 なので、5時起床、15分で歯磨き、洗顔を終わらせ。 小林製薬の「オードロームローション」で皮膚に潤いを与え、 保湿クリームの「ヒルドイド」を塗り込んで、 クッションファンデーションを軽く・薄く塗って、 紅も薄く塗り出来上がり。 これだけで、すっぴんに見えて、すっぴんより断然綺麗になるわよ。 そうね~20歳は若く見えるんじゃない? 早咲の薔薇が咲いてきました。 春は春風と一緒に薔薇の香が(りんごの香に似てるの) この派手さがポンポネッラ(薔薇)の特徴よ。 「ポンポネッラ」を見つけて写真を撮りまくったけど、実物以上に美しくは写せないわ。 私やそこの貴女と同じよ(´∀`*)ウフフ~ 我が家の華麗なる(?)ペット履歴 2011年1月23日に、我が家の家族になったやえちゃんです。 「柴犬もも」が17歳で亡くなり、夫の忘れ形見の「愛猫テツ」も17歳で亡くなり、残ったのは娘が拾った「タマ」1匹。 「タマ」は学校帰りにカラスに襲われている所を娘が見つけ、その足で私がお世話になっている獣医さんに連れて行って治療をしてもらった猫です。 当時は我が家には「柴犬もも」と「猫のテツ」がいたので「家では飼えないと思う」と獣医さんに相談したら… 「玄関の前に置いておいてごらん、お母さんはきっと、家の中に入れるよ」 と言われ、玄関の前に置いたんです。 この獣医さんは、私が猫好きで外猫の避妊・去勢手術をしている事に、積極的に応援してくれていました。 私は、玄関前でうずくまってる子猫を発見して「あら、あら、可哀そうに~」と獣医さんが言った通りに家の中に入れて手厚く介抱していたら… それを見て娘が笑いながら「高木先生の言う通りね」と言いながら、保護するまでの過程を話してくれました。 夫は「テツ一筋」の人でしたから、タマが居ても見向きもしない代わりに「家に入れるな!」とも言わなかったわ。 こんな柄なので写真があまりありません💦 でもね、性格はピカ一で甘えん坊。 夫は動物好きなので、外猫の世話にも積極的に手伝ってくれ、気が付けば「タマ」はいつも夫の膝の上にいたわ。 複数飼いの場合「相性が…」問題になる事があるけど、我が家では争いが起こった事はなく、お互いに住み分けていたわよ。 2階の押し入れの中の布団の上が「テツ」 階下のタンスの上に「タマ」 家中をウロウロしてる「もも」 母が生きてた頃は「柱1本、貴女の好きにさせないわ」と、猫を飼いたいと言う私に「けんもほろろ」で冷たかったの。 ※けんもほろろ…って知ってる? 室町時代末期から使われてたんだって。「人の相談事や頼み事を拒絶するさま」 つれない・冷淡・取りつく暇もない・よそよそしい…などと同意語 話は戻るわよ。 そう言う意味では、母が居なくなってからは飼いたい放題だったのよ。父も夫も娘も動物好きで面倒見の良い人達だったわ。 ちなみに「テツ」は次男が仕事場で拾って、その足で2時間かけて我が家に連れて来た猫で、夫の一目惚れで「飼ってやれよ」の一言で家族に。 夫のベストの中に入れてもらって… 刺身なんかも、貰ってました 夫が一目惚れした頃のテツ(もっと小さかった) 私と娘は触らせてもらえなかったわよ。夫の愛情で我が家では大将よ。 夫は私の父親から「一家に大黒柱は2本はいらない!」って言われた事もあったのに猫が大将って? おまけ ちょっと計算が出来ないのですが、この写真は2000年頃 ももは、1995年生まれで5歳ぐらい。 今は2023年なので23年前。 私は57歳ぐらい。 計算が出来ないと言った原因は 「57歳って、若く見え過ぎませんか?」 でも、57歳なのよね~~ 「もも」も、良い子だったの。吠えないし、飼い主に従順で夫が目の中には入れなかったけど、入院先から抜け出して会いに帰って来たほど、可愛がってたの(会ったらトンボ返りしたのよ) ※トンボ返りって知ってるかしら? トンボはね、勢いよく飛びながら、急に向きをうしろにかえるんだって。 2008年の写真だから13歳ね。 6歳の時に乳腺炎(悪性)で手術をして、獣医さんに「12歳までは生きて欲しいね」と言われたけどその後、卵巣腫瘍の手術も受けて17歳まで生きました。 最後は認知症と、軽い脳梗塞で介護生活を… 最後の最後までトイレを教えてくれて、日本一の柴犬でした。 あんなに良い子には二度と会えないから…と次はチワワを迎えたけど、この子が又、良い子で~ 日本一のチワワ犬でした。 昨日の写真と違うわよ~ ただただ、甘えるさんちゃん! ポッチと押してくれると喜びます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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