やさしい旦那はメシマズでも召します
ちょいと気になった新語から。。。 最近の若いモンは・・・。《メシマズ (めしまず)(Yahoo!辞書 新語探検 2007年12月17日)》巨大掲示板・2ちゃんねる発の新語で「嫁のメシがまずい」の略。料理の基本を学ばないまま独創的な創作料理に走ったり、せっかく買った料理本のレシピを無視した料理をつくったりして、とても食べ物とは思えない失敗作を生み出してしまう妻が後を絶たないという。たとえば、カレーに隠し味としてチョコレートを入れることがあるが、チョコレートの量が多すぎて隠し味ではなくなってしまったチョコレート・カレーなどの例が報告されている。それでも夫たちは「メシを憎んで嫁を憎まず」の精神で、愛妻の失敗作を食べ続けるのである。家庭の味をつくっていくには、双方遠慮なく味の好みを話し合えることが大切だが、新婚期に妻への遠慮や思いやりから「まずい」といえない夫の態度も、妻の暴走に拍車をかけるという。妻たちの「自分は料理下手か」についての自覚の有無は半ばし、自覚があれば夫や姑、実家の母に教わるなどして改善の見込みがある。しかし、料理下手の自覚をもたない嫁はなぜか自信の方が先立ち、「台所は聖域」とばかりに夫を台所に入れること自体を拒むケースがあるという。これでは改善は見込めない。また、なかには料理好きの男性もおり、台所に入れないことがストレスにつながることもある。なにごともほどほどが肝心だ。 こういうメシマズ嫁は、味覚がおかしくなっているんじゃなかろうか? つまり、メシマズ嫁の母が甘いものばかり食べさせてきたとか。テレビではここ2,30年はグルメ、グルメと騒いできたが、家庭は基本となる味を教えて来なかったのかもしれない。食育の貧困がもたらした現象かとも思われる。味覚のセンスがいい親からは、メシマズ嫁は出て来ないと思う。 それにしても自分の味覚を知らずに創作料理に向かうというのも、間違った個性教育のたまものだろう。┐(´д`)┌ ヤレヤレ 個性があればいいというものでもあるまい。特別な天才の場合は除き、一般人の個性というのは、案外規格をほぼ満たしたうえでのバリエーションにすぎないのではないかと思う。そうやって考えるに、反対に、どれもみんな同じだと文句を言っている批評家たちは、かえって微妙な差を感受できない鈍感な人間なのかもしれない。そうやって小さな個性を踏みつぶされてきたという面も多いのではないかとも思う。小さな個性をわかってもらえない極端な個性に走るのではあるまいか。 規格とその範囲内でのバリエーション。これをきちんと評価できる人こそが今求められているのだろう。現代の日本人は、若い世代ほど規格を忘れている。そして、規格を提示できる年長者世代も少ない。ただひたすら古いものをぶっ壊してきた世代のつけが、今ここに現われているのである。日本は、みんなが仰ぎみるような本格派のお手本をいまいちど復活させるべき時期にきているのではなかろうか。伝統として長く生き延びてきた基本的な感覚を体現する規格を、誰かがしっかりと支持している必要がある。そうやって昔ながらの基本が残っていれば、自由の故に自己崩壊していった人々を、やがては基本に引き戻すことができるだろう。そうでないかぎりは本当に救いようのない文化的壊滅状態が生じる。 こうやって伝統を高く評価しているとアナクロニズム(時代錯誤)と非難されてしまうかもしれないが、規格とバリエーションの問題はもっと広い範囲に当てはまることである。たとえばフィギア・スケートの規定演技と自由演技のように、優れたものは両面から評価されるべきなのである。自由演技でさえも、スケーティングの基本がなっていなければ高得点はあげられないだろう。なんでも基本的感覚を養うことが第一で、それをきちんと表現できている基本の型を実行できるのが第二で、創作性や芸術性は第三である。メシマズ嫁は、この第一の基本的感覚が欠如しているのではないかと思う。そして、その感覚に気づくためには第二の基本の型をどれだけ再現できるかで自己認識していくしかないのだろう。 こんなふうにメシマズ嫁を批判していると、私はメシマズ嫁たちから“先ずメシ男”と逆襲されるのだろうか。(^◇^;人気blogランキング↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping<日本人なら“和”にこだわりたい> 《「天皇はどこから来たか?」連載中》 私の第2ブログ「時事評論@和の空間」と第3ブログ「浮世[天(あめ)]風呂 @和の空間」もよろしく。ついでにこれも→(笑)無料メルマガ『皇位継承Q&A』登録はこちらから↓ネット世論はこんな感じ。《皇位継承あなたの意見は?》 目次 ブログ散策:天皇制の危機 も合わせて御覧ください。