848551 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

私訳・源氏物語

私訳・源氏物語

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

佐久耶此花4989

佐久耶此花4989

日記/記事の投稿

カレンダー

バックナンバー

June , 2024
May , 2024
April , 2024
March , 2024
February , 2024
January , 2024
December , 2023
November , 2023
October , 2023
September , 2023

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

October 17, 2008
XML
カテゴリ:お返事

 人が子を持つ・親になるということは、実はとても重大な決心が要ることなのだ......と、思います。

 でも私は、そんなことを自覚していませんでした。結婚して、妊娠したので産んだ、というのが正直なところです。

 でも下の子が未熟児で、その上仮死状態で生まれてきたために、さまざまな危険性や心配事が生じて、その時初めて子を持つことの「重み」を実感しました。そういった心配から解放されたにせよ、将来難病に罹らないという保障はどこにもない。まして登校拒否や家庭内暴力、盗みや殺人犯の親に、私がならないという保障などまるでありません。

 人間は何一つ、確かなものなど授けられていない存在なのだと、その時私は思いました。

 けれど、だからといって私たちの生というものに意味がないとは思えないのです。この世の中に無意味なもの、無目的につくられたものなどひとつもないのだ、と私は思います。趣味で蒐集するものは別として、私たちは聴きもしないものを録音したりしませんし、着られもしないもの、使いもしないものをわざわざ縫ったりこしらえたりはしません。ましてや私たち人間も、「偶然」変異によって出現したとは思えないのです。

 私たちが現在ここに在るのは、地球上に生命体が生まれたときから、いいえ、宇宙が創世された時から、すでに約束されていたのだと思えてならないのです。

 「生命」というものが発生した原始から、それが営々と繋がって、今私たちがここに存在するからです。その長い長い生命ラインの中で、私の一生などはほんの1滴にも満たないものではあるけれど、それでも私は私の「子供たち」に、確実に「生命体」をバトンタッチしたのだ、と実感するのです。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  March 20, 2017 08:46:35 PM
[お返事] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.