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私訳・源氏物語

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October 19, 2008
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カテゴリ:お返事

 人生は確かに、明るく幸福に満ちたものではないでしょう。

 けれど私は、どんな人でも人生という長丁場では、収支トントンの決済で死んでいくように思えてなりません。

  どんなに神の御旨を生きても、人生が苦しくないわけはありませんし、悪人が神に見離されているとも限らない、要領のいい人が常に得をして、うまく世間を渡っているとも思えません。また、病気の人でも全く不幸といえないのも事実です。

 御題目や念仏を唱えている人、お賽銭をたくさん献じて祈願する人にのみ幸運が与えられるとしたら、神は不公平というものです。人間の善悪なんて、絶対者から見たら五十歩百歩なのではないでしょうか。

 しかし私は、ここに大きな「しかし」を感じるのです。

 モーツアルトには確か、息子がひとりありました。彼も作曲をしたようですが、父親ほどではなかったようです。もちろんその反対も言えましょうが、個体を残すよりも、モーツアルトの精髄、生命といってもいい「曲」の方が、息子の存在を超えて私たちの心の中に生き続けているのですね。

 アンネ・フランクは「わたしの願いは、死んでもなお生きること」とその日記に書き、私たちの青春の書として、文字通り生き続けています。

 私たちにはそういった個体の生命を超えた部分にも、貴いものが息づいていると言えるのではないでしょうか。

 では作曲することも、文章を書くこともできない私たちは、どうなのでしょうか。






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最終更新日  March 20, 2017 08:45:58 PM
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