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カテゴリ:母
11月3日、母が93歳になるはずの日に、納骨した。 局地的に大雨の予報が出ていたので、石材店主がテントまで用意してくださったのだが、 90歳を過ぎていれば大往生とは思うのだが、我が母親なれば格別な思いがあって、 人間は必ず死ぬのだから、安楽に母を死なせたいと思ったし、 しかし日々衰えていき、目を開ける力もなく、 10月17日、午前9時4分絶命。 母の左の目じりから涙が一筋伝うのを見た時、 翌日、湯灌の時刻には饗応夫人が駆け付けてくれて、 母には濃紫の総絞りの和服を着せて、 秋の木漏れ日がやわらかで、化粧を施された母は生きる苦しみから解放されたからか、 ★ その後、思いがけない早さでこの土地が売れたので、 この家土地を持て余しているのだから、母が亡くなった今、 一日中太陽の当たる気持のいい居間、西日がきれいな広い玄関ホール、 黒いタイルにヤマハの白いホーローバス、 私が愛したこれらをみんな壊すのは、とっても辛い。 「家にも庭にも、無駄が多すぎる。何より、雪の心配が嫌だろう?」 家人の言う通りなのだ。 私が喪失感や寂寥感に襲われるのは、未練でしかない。それは分かっている。 私はまだ、気持の整理ができていないだけなのだ。 そうして『時間が経てば、気持が浮き上がってくる』と考えることにしよう。 死別の悲しみは世の常なのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
March 4, 2017 10:46:20 PM
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