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テーマ:表現者、集まれ~(263)
カテゴリ:水彩画紀行
光徳牧場のくぬぎの樹林にも 木漏れ陽の秋日があふれていた。 戦場ヶ原への道を歩きながら思った。 「光舞う木道は秋の能舞台」 戦場ヶ原の色彩の輝きと、色の多様さは、 どんな絵の具もかなわないほど美しい。 戦場ヶ原も中禅寺湖も約2万年前に、 男体山の大噴火によって生まれた。 何回もの噴火により溶岩が積み重なり、 その下流側に、華厳の滝が形成された。 この滝には3人の数奇な人生が関わっている。 その一人が夏目漱石。英国留学後、 帝大の英語講師として招かれる。 その前任者が小泉八雲だった。 この二人の講義は、まったくやり方が違った。 漱石の講義になじめず八雲を慕う学生は授業をボイコット。 その先鋒だったある学生が漱石に厳しく叱責される。 「悠々たるかな天壌、遼遼たるかな古今・・・、 万有の真実はただ一言につくす、曰く「不可解」・・。 既に厳頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし・・。」 当時19歳の学生だった藤本操は、 この「巌頭之感」と言う遺言を残して この華厳の滝から身を投げて自殺する。 解雇された小泉八雲も、失意の上に、 翌年、狭心症でこの世を去る。 さらに藤本操の「巌頭之感」は、 なぜか多くの人の心をとらえ、 その後、華厳の瀧から入水する者、 4年間で200人に達したと言う。 しかし、そんな人の世の出来事と関わりなく、 華厳の滝は広大無辺の悠久の時間を流れ続けた。 これに似た思いがアポリネールの詩にある。 「ミラボー橋」 「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ ・・・・・・・・・・・・・・ 疲れたまなざしの無窮の時が流れる 日が去り、月がゆき 過ぎた時も 昔の恋も 二度とまた帰って来ない ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる」 水彩画 「華厳の瀧」 「デザイン・アート部門」 良かったらクリックして応援してください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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