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テーマ:表現者、集まれ~(263)
カテゴリ:水彩画紀行
4月の久しぶりの日本の休暇は、桜、さくら、サクラ三昧。
チリに戻る21日の前日まで、高遠の桜を見に行っていた。 今日の日記は、昔の高遠日記を引用して、再編成したもの。 遠くから見ると桜の城と言うにふさわしい高遠城址。 小高い丘の斜面まで一面に埋め尽くしていた。 この高遠城址には、悲しい物語が残っている。 ある夜、この武田の最後の砦、高遠城に、一族郎党が集まって、 織田軍の侵攻にどう対処するか開戦前夜の決断を迫られていた。 和睦を勧めた使者の耳を切って追い返した武田の若い城主の判断は この城を守っていた全ての人に、いさぎよいと言うのも辛いほどの 悲惨な死に方を選ばせてしまった。 死を覚悟した武田方の部将は、まず我が子を刺し殺してから 殺到する織田軍へ切り込んだ。 刃物で切られ槍で突かれて死んでいくというのは、 覚悟の上とは言えども、痛く辛く悲惨なことだったろう。 しかも男だけではなかった。 武将の妻や娘達すらも刀を振るって奮戦したという。 中でも、諏訪勝右衛門の妻「はな」は、 薙刀をひっさげて織田軍に斬り込み 「ここに諏訪勝右衛門女房、刀を抜きて切って廻し、 比類なき働き、前代未聞の次第なり」と。 後に語り種になるという働きぶりだったと言う。 刃物の中に飛び込んでいって痛み死ぬ苦しみのいかばかりか。 わが身が、そうなったことを思うだけでも、耐え難い。 仰ぎ見る桜消え行く最期かな 美しい枝垂れ桜がおおう城址の見張りやぐら。 ここにも、織田軍は情け容赦なく進入し襲ってきたろう。 その夜は、お誘いをうけたひまじんさろんさんの高遠の山荘に一泊。 持参した‘越の寒梅‘が半分、空になるほど、 素敵な囲炉裏を囲んで伊那名物の馬刺し、 鱒の味噌焼き、山菜をご馳走になった。 山荘のあるじは、出版社の社長でかつ川柳界で一目置かれる方で、 川柳界の与謝野晶子と言われた時実新子さんも伊那にこられたそう。 豊富な経験から、散文家でもあり、伊那の賢人、思索家といった人。 囲炉裏談義は、いつしか俳句と川柳の違いは何かということに。 川柳といっても、駄洒落ばかりと思っていたのと大違い。 季語なしで自由に人生の哀歓や心象を歌う真面目な世界があった。 「わが胸で伐採音の絶え間なし」 時実新子 17才で顔も知らぬ人へ嫁がされ、川柳で目覚めて 自作川柳集「有夫恋」そのままに、恋を成就された方。 季語がないゆえに、ひねりをきかさないと駄文になる川柳は それだけ言葉に鋭さが求められ、厳しさがあると知った。 俳句なら 「君と逢わむ 桜散り敷く 夢の中」 俊介 川柳なら、 「君と逢う 魑魅魍魎の 夢を追い」 かな 水彩+パステル画 「高遠城址」 翌日伊那谷の駒ヶ根の里には、一面に水仙が咲き乱れていた。 高遠城址で亡くなった多くの人々のことを考えていた私には、 いさぎよく悲しみの中で散った魂が集っているように思えた。 デザイン・アート部門のプログランキング参加中。 クリックして応援してくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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