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ラスタ・パスタのレレ日記

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2005年05月25日
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最近は、カフェ・ミュージックやサロン・ミュージックのコンピレーションCDの人気もあって、ボサ・ノヴァの人気が日本でかなり定着していると思う。

しかし、カエタノ・ヴェローゾは、ボサ・ノヴァという音楽には収まりきらないアーティストだと思う。

ぼくが、ブラジル音楽に興味を持ったのは、実はボサ・ノヴァからでも、サンバからでもない。

NYやLAのジャズ・フュージョン・シーンで、ブラジル出身のアーティストとフュージョン・シーンのアーティストのコラボレーションみ興味を持ってからだ。

例えば、フローラ・プリムとアイアート・モレイラ夫妻。
これは、ブラジルをルーツに持ちながらも、フュージョンそのものといっていい音楽を創っていたと思う。

ミルトン・ナシメント。

ウェイン・ショーター(sax)とのコラボ、「ネイティブ・ダンサー」(1974年録音)

ウェイン・ショーターのキャリアの中でも名盤といわれるもののひとつだが、そこでのミルトン・ナシメントの透明で不思議な声と歌が、サックスと溶け合っている。

Djavan(ジャバン)、彼については、いつか別に日記に書きたいが、DjavanがLAのフュージョン・ミュージシャンと急接近してコラボレートしたCDが、世界に向かって発信されたこともあった。

幸いにも、彼らのライブは、NYか、東京のどちらかで体験することが出来た。

そんなぼくに、ブラジルからやってきた友人が、「カエタノ・ヴェローゾ」は最高だぞ、といって教えてもらったのがずいぶん前だ。

そんなカエタノをやっぱり一度、この目で見、この耳で聴きたいと思ってライブにいってきた。

ブラジル音楽というのは、どうも奥が深いようで、サンバやボサ・ノッヴァとはくくれないさまざまな音楽が生まれてくる音楽大国だと思うのです。

特に、バイーア地方から、ブラジル音楽の重要なエッセンスの多くが生まれてきており、「バイーア四人組」と呼ばれるひとたちがいるようで、カエターノ・ヴェローゾは、ジルベルト・ジル、ガル・コスタなどと並び、その代表的なアーティストのようです。「MPB」とよばれる、ボサ・ノヴァに影響を受けながらも他ジャンルの要素を取り入れながら進化を遂げた、ブラジルならではの音楽の推進役の一人でもあったのです。

さらに、カエタノ・ヴェローゾが、英雄とまで言われるのは、
繰り返されてきたアメリカへの文化流失をくい止め、ブラジル独自の文化、芸術を育てるために、若者たちが始めたのが、「トロピカリズモ運動」の中心人物であったからのようです。

ブラジルは、世界でも、もっとも混血化が進んだ国のひとつでもあり、それがあらゆる文化において現れているようです。カエタノ・ベローゾの音楽はまさにそんなミクスチャー・サウンドの宝箱なのです。

 サンバ、ボサ・ノヴァ、をベースに、ロック、ヒップ・ホップ、レゲエ、ジャズ、サルサなど、あらゆるポップ・サウンドの要素が混ざり、その上に優しく憂いのある彼の歌声が響くジャンル分け不能のミクスチャー・サウンドなのです。

実際にライブでは、メンバーが

ギター(ジャズ・ギターとアコースティック・ぎたー)
チェロ
ベース(ウッドベースとエレキベース)
ドラムス
パーカッション
エレキギター

にカエターノ(ボーカルとアコースティック・ギター)

の7人による演奏でした。

カエターノの歌は、美しく、空気を震わせるように響き、バックのリズムは、ジャンルにおさまらない、さまざまなサウンドをつくっていました。

あるときは、カエターノの歌声だけを大きくフィーチャーし、
あるときは、ダンサブルな独特のリズムを出していました。

その美しさに、ライブの前半は、ぼくはほとんどまどろむように音楽に身をまかせていました。

後半、曲が終わるごとに拍手がだんだん大きくなっていきます。
その拍手には、「尊敬」とか「リスペクト」の気持ちがこめられていたように思います。

ぼくは、ポルトガル語がまったくわからないのが残念でした。
きっと、歌詞の意味でも、ブラジル独自の文化への賛歌なよう意味が含まれていたんだと思います。

ホールの1階には、2グループぐらい、日本に滞在するブラジル人や、日系ブラジル人たちがいましたが、彼らだけが大きく喝采する場面が何回もありました。
カエターノは、一時、強烈な政治的なメッセージ色の強い歌を歌い、その結果投獄された後、ロンドンでの亡命生活を余儀なくされたこともありました。


ですからおそらく、ブラジル出身の観客達が喝采していた時は、ポルトガル語の歌詞の意味であったり、「トロピカリズモ運動」での象徴的な歌に対しての共感と喝采だったのではないかと思います。

エンディングで、カエタノは、なぜか英語の曲を歌いました。いわばスタンダード・ナンバーです。

Love For Sale
Cry Me A River

ものすごいアンコールの喝采にこたえて、カエターノはまた、英語の歌を歌いました。

Love Me Tender

その後、英語ではなしました。

「最初に、ぼくが今回のショウ(来日公演)を企画している時には、よく知られているアメリカの歌を沢山うたって、少しだけブラジルの歌を歌おうと思っていました。でも、なんでそんなことをしなければいけないんだ、と思いなおしました。

ブラジルで生まれた曲で、世界水準に達していった曲を歌えばいいじゃないかと。」

実は、カエタノは、昨年、「A Foreign Sound(異国の香り~アメリカン・ソングス)」という、全曲英語の歌をカヴァーしたCDを出していたのです。


その後、「黒いオルフェ」など、ブラジルの曲を数曲うたって、拍手と大喝采、
ステージに駆け寄ったファンの手にタッチしながら、メンバーとカエタノはステージを去りました。

帰り際、アフリカ系アメリカ人のふたりが話をしていました。
「なんで、カエターノは、アメリカの歌を歌うんだ。」
「そうじゃないと、お客さんにわかりずらいからじゃないか」
「彼が伝えたかったのは、結局、LOVEということか」


カエターノが歌っていたのは、たしかに「LOVE」についてであったと思います。

しかし、LOVEを含みながらも、ブラジル音楽への愛情と誇り、
音楽や自然の恵み、文化、自由、人間や人生に対する肯定的な態度、いわば人間賛歌のようなものを歌っていたんじゃないかと、ぼくは思いました。

ブラジル、バイーアという土地がもたらした、文化的な多様性、自愛や自然と人間との調和、透明で空気を震わす歌声、文化と自然の豊かな恵み、そこから天にものぼるような、自由と愛、これらすべてを、美しい音楽のなかにこめて歌っていたのではないかと思いました。

バイーア地方が自然豊かな場所かどうか、実は知りませんが、アフロ・ブラジル文化の中心地、すなわち、アフリカ伝来の文化、風習、宗教などが今でも色濃く根付いている場所なのです。

そして、そういうような場所から生まれてきた音楽を、いわば、風のように、流れのように五感でとらえて共感し、感動していたのが、日本人の観客だったのではないかと思います。

多くの人は、ポルトガル語の歌詞の意味を分からなかったと思います。わたしも全然、わかりませんでした。

それでも、体いっぱいに受け止められる何か、メッセージをみんなが敏感に感じ取っていたのかなァ。そんなふうに思います。

すごく幸運な場所にいあわせることが出来て、感謝しています。





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最終更新日  2006年08月19日 18時56分50秒
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