Re[18]:シムソン氏の「お笑い芸人」-- 5月16日は「第36回 愛天日」
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2019.05.16
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ほふられた子羊さん記事「⑥ 「しっぽ」(理由)が見えた!! 無知な、貧しき者しか来ることができなかった ☞ 再臨論の間違い - 平和の主人 血統の主人 (muragon.com)」のコメント欄からです。
私tomy4509からほふられた子羊さんへのコメント: >ほふられた子羊さんへ それへの子羊さんからの応答(その1): 2022/02/19 06:29それへの子羊さんからの応答(その2): 2022/02/19 06:53それへの子羊さんからの応答(その3): 2022/02/19 07:04 さて先ずは、 > お父様の堕落問題はお母様の堕落とは全く質も意味も違います。同根ではありません。 天聖経はお父様が第二の聖書として、天地の新しい標準として定められた経典です。外的に寄せ集めであったとしても、それは内的には寄せ集めではありません。分かりますか? これらは子羊さんの詭弁でしかありません。 堕落にどのような「質」というものがあるのでしょうか? 絶対基準からはプラスかマイナスの二択しかありません。また、「文鮮明先生み言葉選集」全巻を読まなければならないとお父様は言われていましたが、特にエキスを抜き出しては重複したみ言も整理されたものが「天聖経」です。 第二番目は、 > 洗礼ヨハネの使命を持ったお母様が責任を果たさない為、お父様が洗礼ヨハネの位置からメシヤの位置に上がることができなかったのです。 > イエス様と同じように、メシヤの位置はお一人では立つことができないことが、お父様の堕落問題、つまり、洗礼ヨハネの位置のままになって、そのまま聖和されたのです。 > この観点で、お父様はご自身を堕落したアダムとして天聖経に延々と語られているのです。 > あくまでも、真の父母というのは、統一教会の教義として、未来を基準として出発した概念です。実体の真の父母という概念そのものが未来にあるのです。 ここでの「洗礼ヨハネの使命」とは何でしょうか。 マラキ書には、メシヤが来る前にエリヤが再臨しては主の道を正していくという預言されていました。その使命を担ってきたのがイエス様当時の洗礼ヨハネでした。ところが、その洗礼ヨハネ自身はその使命を全うすることが出来ずイエス様を不信したためにイエス様自らが洗礼ヨハネの立場に落ちては証していかなければなりませんでした(原理講論P.193~)。イエス様のサタンからの三大試練もありましたが、だからといってイエス様はメシヤとしての位置を復帰されたとはありませんし、そのまま十字架へと架かっていかれました。 それに続くのが第三次世界的カナン復帰路程(原理講論P.420~)です。「⑴ イエスを中心とする霊的カナン復帰路程」、「⑵ 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程」に分かれていましたが、こんにち私たちが目にしているのはその「⑵ 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程」です。 (2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程 こういった原理講論の記述を無視しては、子羊さんは原理講論・再臨論の韓国の歴史記載が史実と異なるといった統一教会反対派の言葉を真に受けての躓かれたということでした。統一原理は歴史書ではありません。歴史を語るにも国や宗教が違っても様々な価値観が飛び交っていますし、一本化することなど出来ない話です。にもかかわらず「反対派の罠」にまんまとはめられていました。 このような子羊さんの妄想から「洗礼ヨハネの使命を持ったお母様」だという発想が生まれてきています。イエス様同様にお父様も洗礼ヨハネの立場に一旦は落ちましたが、統一教会(第三イスラエル)を立てられることで洗礼ヨハネの立場から一段上がることが出来ました。そういった基台の上で1960年の聖婚式、黙示録の「小羊の婚宴」が成されました。真の父母様に失敗などとは原理講論からは考えられないことです。 原理講論では、お父様は未来を予測して書かれた部分が上記の引用であり、また、再臨主としての決意文でもありました。1992年に初めて公式の場で「メシヤ=再臨主=真の父母」を宣布されました。ところが、子羊さんいわく、その時からお母様の裏切りが始まって「メシヤ=再臨主≠真の父母」の主張です。「真の父母」は未来形であって、まだ来ていないがあなたの「初めに結論ありき」となっての【注釈付き】御言葉の歪曲・改ざんブログ記事となっています。再臨に関する私からの引用とも矛盾していますし、再臨論の再臨期の数理性までも否定してしまっています。つまりは、子羊さんのそれは原理講論にも反するものであるという結論です。 「tomy4509さん 読んで頂けないトミーさんのコメントは全て無用であることが分かりました。 いずれ、貴殿のコメントは削除します。 」はこれで三度目ですか。あなたとお父様み言葉に間違いがあれば「今日にでもブログを閉じる」と断言された子羊さんでした。私からは「明らかに間違いである」、との解釈(介錯)でその引き際まで準備したのでしたが、往生際の悪いあなたは私からの「コメント削除」行為をもってそれを隠ぺいされようとしているのではないですか? 「臭いものには蓋を」式です。 【参考記事】
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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2022.02.20 23:50:44
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2021.02.27
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驚 き で す!! ![]() ブログ村・家庭連合にも広告「神統一世界安着のための希望前進大会」がありました。 家庭連合 新着記事 - 哲学・思想ブログ (blogmura.com) ![]() 公告ですので、クリック訪問によって出現は違ってきますのでスクロールして探してみてください。 第5回神統一世界安着のための希望前進大会のスピーカー紹介映像です。 ![]() 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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2021.02.27 19:27:56
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2021.02.26
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まっちさんから更なるコメントがありました。
「まっちさんの「統一教会とKCIAの関係」、異端批判に応えて(その2)」(2021.02.23)コメント欄からです。 ご丁寧に私への返信を記事にしてくださって、ありがとうございます。まっちさんは、朴正華氏が著書「六マリヤの悲劇」を否定した「私は裏切り者」を書き、また、それを再び覆しては96年に「野録統一教会史」もご存知でしたら、話は簡単にします。 前回記事(こちら)では「卓明煥氏にしてもそうですが」と書いていましたが、朴正華氏も指してのものでした。 (朴正華氏、)卓明煥氏にしてもそうですが、1978年9月の新聞広告にて統一教会への謝罪文を掲載していながら、その翌年にはそれを覆しては再び、(一時は否定した)過去の情報資料を公開しての統一教会批判にどれだけの信ぴょう性があるでしょうか。地位や名誉、お金などで二転三転する人物は信用出来ない、というのが世間一般の考えです。「真実を語ろう」とする人が二転三転すること事態が、もはや、「真実」から遠ざかっています。誰がそれを信じますか!! 第一に、私からは「統一教会とKCIAの関係」について書いています。 フレーザー委員会は77年から18ヶ月間、68万ドルもの資金を投じて文師の”非”を探したが、”非”は何一つ発見できなかった。「統一教会≠KCIA」、米国政府が18ヶ月と68万ドルをかけてそれを証明していました。誰も否定することが出来ない事実です。 ところが、そのKCIAとの関係についてその後もばら撒いていたのが二転三転した上記の二人の著書ではなかったですか。この方々が真実を語っている? 誰が信じますか! 「血分け」「六マリヤ」にしても然りです。 韓国の36家庭の夫人は認めていた? 777の方は知っている? 知っていたならもう統一教会にはいません。原理やみ言とかみ合わなければ(言動が位置しなければ)、真の父母様がメシヤ、再臨主だとは誰も信じないでしょ!! これらは元教会員らの証言からのものではなかったですか。その裁判結果はどうなっていたでしょうか。証拠を提示することが出来ず、名誉毀損で実刑判決が下されていました。 朴サムエルについてはよくは存じませんが、最近はDNA鑑定というものもあります。そういった証拠とかは出されているのでしょうか。知っていれば教えてください。 このように「統一教会とKCIAの関係」から紐解いていけば、「血分け」や「六マリヤ」が真実だなどとの結論は出てきません。まっちさんもまた、サンクチュアリ同様に「初めに結論ありき」(「サンクも「初めに結論ありき」では?! 」)からで、それに見合った(デマ)情報をくっつけているように思います。元教会員らの証言はあってもその証拠が見当たりません。 分派問題、これも原理講論に書かれたカイン・アベルの問題であって何ら原理と矛盾したものではありません。カイン・アベルは堕落の血統で生まれてきましたが、真の父母様によって生み変えられなければなりません。子女様だからといって責任分担があります。父母様を「メシヤ・再臨主」だと受けれられなければ原理から脱線していくしかありません。真の父母様の家庭といえども、肉親の父母が「真の父母」というわけではありません。さらには、天の父母様の血統にまで連結されなければ、です。 三男さん、七男さん、それぞれを分析してみれば原理講論の「カイン型人生観」、「アベル型人生観」でしょう。それがどうならなければならないを教えているのが原理です。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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2021.02.26 00:43:52
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2021.02.23
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「家庭連合は異端?(その2)--異端鑑別師が統一教会に謝罪広告」(2020.11.26)コメント欄、まっちさんのコメントに私tomy4509からは十二分な回答(以下)をしていたはずですが。
![]() フレーザー委員会は77年から18ヶ月間、68万ドルもの資金を投じて文師の”非”を探したが、”非”は何一つ発見できなかった。 私tomy4509が統一教会に導かれたころ、書店に行けば「統一教会=KCIA」と書かれた書物も並んでいましたが、フレーザー委員会が何であったかというならば、「統一教会とKCIAの関係について調べましたが、結論として、その事実関係を発見することが出来ませんでした」と、米国の税金を使ってはその無関係性に印を押したものでした。 にもかかわらず、22日付のまっちさんの引用コメントは「恥の上塗り」としか見ることが出来ません。以下に一部引用します。 長文になりますが、親切心から、リンク先の記事を貼っておきます。 このリンク先は卓氏自身の証言ではなく、『六マリアの悲劇』(恒友出版、1993年11月4日刊、朴正華著)からのものであり、その翌年には朴正華氏自身が「私は裏切り者」の著書で前書を否定していた事実をまっちさんにはお伝えしたはずです。松濤本部にて彼自身の訓戒の映像はご覧になられたでしょうか? ここでの「「卓明煥なる男は「統一教その実像と虚像」の出版前にも血分けなどについて論文を発表し、その中で梁充永女史とその子息李栄氏のことを書き、文鮮明とは梁の夫が生きている時から普通の関係ではなかったと書いて1978年に名誉毀損で拘東」された裁判の結果はどうなのでしょうか?
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2021.02.15
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「統一教会=異端」と批判される「まっちさん」コメントに応えては「朴正華氏による『私は裏切り者』出版報告会(1995年11月18日、松濤本部)」ビデオを挙げさせていただきました。また、統一教会とKCIAとの関係ということで以下を書いていました。
暗在さんの記事で、それまで「まさかそこまでは・・・」と思っていたKCIAとの関係がとても現実味を増しました。「奇知外記」過去記事「「KCIAと統一教会」、一事が万事」(2011.03.03)は、当時ブログ村で「統一教会=異端」の理由の一つに対して、それはすでに決着したものだったことを書いていました。 暗在さんであれば、その結末をすでにご存じのはずですが隠しておられるのでしょう。 特に、当法人および創始者の文鮮明師に対して、「70年代後半に『コリアゲート』と呼ばれた米議会買収工作事件があったのですが、それにかかわった朴東宣という大物ロビイストの資金源が統一教会の文鮮明です。...朴の資金源が統一教会の文鮮明」などと記載し報道したことに対して、回答書にはそれを事実として裏付ける証拠が何一つ提示されておりません。この件に関しては、抗議文を直接お渡しする際に、口頭でも明確な証拠を提示するように抗議しておりました。元6500双の「まっちさん」ですが、1970年代後半のウォーターゲート宣言から文総裁のダンベリー収容あたりの史実についてはどれだけご存じでしょうか? 特には、統一教会とKCIAの関係については「ウォーターゲート事件」になぞらえて「コリアゲート事件」として「フレーザー委員会」に朴普煕(パクポーヒー)総裁が召喚されて証言した映像(通訳なし)は以下でした。 朴総裁は委員会の尋問を前に「フレーザー委員長、あなたこそが共産主義の手先である」と反問したのがこの映像でした。最終的には統一教会とKCIAの関係を示す証拠を挙げることが出来ないとの最終報告をもって決着していました。 ところが、なおも反対派が統一教会を貶めようとしたのが文総裁の「ダンベリー収容」でした。その詳細は「米国における文師裁判とダンベリー収監--過去記事整理」(2016.12.14)にて整理した資料を掲載していましたのでご確認ください。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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2021.02.15 05:06:21
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2020.12.18
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ほふられた小羊 id:yohane-no-mokusiroku さんへ
![]() コメントをいただきましたが、過去・ブログ村で公開されたお母様の11.11み言のペーストのみであり、わざわざこちらでも公開する必要を感じません。 お母様のみ言と子羊さんのブログ記事で書かれていることとは何らの関連性もありません。 むしろ、これまでも私からはあなたの妄想でしかなく、短い引用を挙げてはあたかもそうであるかのように(暗号文解読遊びで)書かれること自体に大きな間違いを犯しているとの指摘をしてきました。 一旦はカテゴリー「家庭連合」を退出され、再度戻ってこられた理由は何ですか?
![]() 過去にはあなたが私からのコメントを削除された経緯もあり、前回記事のコメントは私からは最後のものでした。また、質問等のコメントをいただいたとして「ノーコメント」とさせていただくことを予めご了承下さい。 今後は、あなたのブログへの訪問は一切ありません。 万が一に「あなたの妄想が真実である」と信じるならば、ご自由にされてください。 2020.12.18 22:50 by tomy4509 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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2020.12.18 22:50:12
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2020.11.28
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「家庭連合は異端?--「三位一体”説”」は諸説に過ぎない」で紹介させていただいたkimagure-orさんから「tomy4509様へのお詫びとお願い(*'ω'*)」ということで、彼の記事に説明不足(「神性と神学の違い」等)があったとのことで弁明のメッセージをいただきました。
この個所(原理講論>キリスト論>重生論と三位一体論)を読んでいてtomy様が私の意図を誤解されていることに気付きました。統一原理(以下「原理」)の見解としての「三位一体論(三位一体説)」に関しては、第7章 キリスト論全体、特にはその「第4節 重生論と三位一体論」に書かれています。「重生」は原理独自の用語ですが、古い「原理講論」では「新生論と三位一体論」のタイトルで書かれていました。 (一) 重 生 論(新生論)イエス様は、ニコデモにキリスト教の奥義ともいうべき「新生」の内容を語られていたものでした。イエス様の使命は十字架ではなく、人類は「重生(新生)」させることにあったというのが原理の解釈であり、十字架を前に再臨の約束をされたのもまた、その使命をこの地上で完遂しなければならないという理由からでした。 さて、「三位一体”説”」ですが、聖書そのものに記載はなくアウグスティヌス(キリスト教神学者)が説いた諸説の一つということには同意がいただけたことと思います。5世紀に彼が説いたものでしたが、それに代わるだけの説がなかった故に、キリスト教も教派分裂をしながらもその説が世界に「定説」として広まったに過ぎません。 キリスト教がローマの国教となるまで400年を要しましたが、統一教会は、「異端だ! カルトだ!」と批判されながらも1世紀を待たずに世界的宗教となってきています。その原理にスポットを当ててみる時に来ているのではないでしょうか。原理では「重生”論”」として提示したものです。それが「三位一体説」に代わるものであるかどうかは、これからの神学界でも課題となってきています。 ・「なぜ、イエスキリストの復活を信じるのか!」--十字架による救いの限界 2020-11-27付でkimagure-orさんのブログ記事で過去のそれをまとめていました。 原理はイエス様の復活を受け入れています。但し「イエス・キリストの肉体的な復活の事実」はまったくもって非科学的というものです。神様は全知全能だからそれも可能だったということでしょうが、「神様も法に従われる」いうのが一般的見解ではないでしょうか? 次の聖句を挙げては「肉体的な復活」を信じておられるということでしたが、 「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(第一コリント15:3-8)12名、そして、500名に同時にイエス様がどのように現れることが出来るというのでしょうか。忍者のような「分身の術」でも使われたとでも…… 使徒行伝第1章、40日後に昇天したイエス様を見ても、その肉体が昇天したとは考えることは出来ません。昇天後にも「月足らずで生まれたようなわたし(パウロ)にも現れ」たイエス様は肉体をもってでしたでしょうか。聖書の記述とも矛盾しているように思います。 ・「三位一体説」と聖書にもズレ 私からは、イエス様がご自身のことを「人の子」と語られていた一例を挙げていました。それに対してはダニエル書の「人の子」をもってイエス様はメシヤ宣言をされていたという弁明でした。 tommy様はイエス様ご自身が「人の子」と言われているから「イエス様は神様ではない人間だ」というお考えでしょうか?これについては前書の記事「家庭連合は異端?--「三位一体”説”」は諸説に過ぎない」で原理講論からの引用をもって応えていたはずです。 イエスは創造目的を完成した人間として、神と一体であられるので、彼の神性から見て彼を神ともいえる。しかし、彼はあくまでも神御自身となることはできないのである。神とイエスとの関係は、心と体との関係に例えて考えられる。体は心に似た実体対象として、心と一体をなしているので、第二の心といえるが、体は心それ自体ではない。これと同じく、イエスも神と一体をなしているので、第二の神とはいえるが、神御自身になることはできない。ほか、いくつかの聖句を取り上げては「三位一体説」の聖書的根拠を説明しようとされておられたようです。そのいくつかを確認してみましたが、御子(イエス様)も万物被造世界を創造される前からおられた、複数形はそれを意味しているということでした。残念ながら、それらもまた「諸説の一つ」から脱却するだけの力がないことは、kimagure-orさんの方がはるかに聖書を読まれていることと思います。 三位一体のイエス様(神様)が十字架に架かること自体が信じ難いものです。ほか、聖書からは「三位一体説」では説明できない記述もご覧になられているのではないでしょうか? ・「神性」と「神学」は心と体のようなもの 神性と神学の違いつまり神性とは、神様、あるいは、それに類する聖なるものの状態や属性(永遠、絶対性、愛等)を指し、神”学”はその学問ということでしょうか。 一概的には「神様はいる」から出発しているのが神学と考えがちですが、学問ともなれば、神学は「神様はいるのか? いないのか?」から始まると思います。 宇宙はどのように出来てきたの、その宇宙の根源が何であるかといった「哲学」的根拠によって私たちの価値観や人生観・社会構造にまで大きな影響を与えてきました。家庭連合では「原理」を学問的(思想的)にまとめた「統一思想」というものもあります。それをまとめられた方が(故)李相憲先生ですが、その方の講座を文章にまとめた一部を参考に考えてみてください。 ![]() ![]() ![]() 神様がいる・いない、信じる・信じない、また、その神観(神性)がどうであるかで人生観も大きく違ってきます。 無形の神様を見られた人は誰もいません。聖書等でもって神様を人々に知らしめてきたのが宗教でした。ひとりの人間に例えるならば、目に見えない神様を「心」とすればそれを形で表現しようとしたのが宗教・神学は「体」といえるでしょう。 「三位一体説」はその体の部分とは言えるかもしれませんが、「諸説の一つに過ぎ」ません。いわば、「盲人と象」の譬えもあります。 ・改めて「三位一体説」見直しの必要性 科学の発達とともに現代人の知性も発達してきています。5世紀に説かれた「三位一体説」でもって現代人を納得させるには、もはや、時代遅れとなってきているというものです。 聖書を根拠にといっても、聖書そのものも口伝伝承されてきたものが後に文章化されたものです。神様の啓示によって書かれた書物であっても、その知性によってさまざまな矛盾点も発見するようになってきています。 こんにちなお、「家庭連合は異端だ」と頭ごなしに否定される方もいますが、その一方ではそれを見なおしていこうとする動きもあるのも事実です。 キリスト教では神様と人間の関係は「父子関係」だとも言っていますが、「三位一体説」からはそれを説明することが出来ません。閉鎖された三角形でしかなく、そこに人間(や被造物)創造など「愛の関係」が生まれてきません。以下は神様とイエス様、そして、私たちもイエス様のように実子なることを願望していることを書き記した聖句を挙げたものです。恥ずかしながらそれをまだ十分に理解できていない分派記事からの引用ですが。 「お父様み言と違った「父子関係」解釈の『郭錠煥教』」(2020.07.25) 引用開始>----- 神様と人間との関係は「父子関係」であるとキリスト教では説いています。 最初にそれを説かれたのは2000年前のイエス様でした。当時、神様はイエス様ただ一人を「独り子」と呼ばれました。そのイエス様を仲介として神様を知るようになったクリスチャンたちはというと、直接的な血統のつながりはないにしても、養子養女の位置だと言われています。 聖書を見れば
と霊的には「子たる身分」を授けられたことを喜んではいても、なおも、「心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること」「からだのあがなわれることを待ち望んでいる」と更なる願いを吐露したりもしていました。つまりは、養子養女の位置からイエス様のような神様の実子となることへの願いでした。 へブル人第 11 章1節~40節過去の義人聖人らの信仰(願い)が必ずやクリスチャンたちによって成就されることへの確信も書き記したりもしていました。 -----< 人間・イエス様であったとしても「創造理想を完成」した位置で「神性」を持たれていたといっても何らの不足もないと思います。
奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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2020.11.29 07:18:13
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2020.11.26
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前回記事「家庭連合は異端?--「三位一体”説”」は諸説に過ぎない」の末尾でもリンクを入れていましたが、韓国の異端鑑別師・(故)タクミョンファン氏が家庭連合(旧・統一教会)に対していくつかの新聞に謝罪広告(1978年9月)を掲載していました。
当時、統一教会離脱者らの情報を元にカルト・異端だとしていたタクミョンファン氏でしたが、改めて統一教会を調べ直してそれが間違っていたことに気付き謝罪広告を出したというものでした。 これについては、古い統一教会員であれば一度は耳にされたことと思いますが、あまり大きくは報じられてはいなかったように思いますし、現在ではそういうことがあったことを知らない人の方が多いようです。 改めて「家庭連合は異端?」かどうかの参考資料にしていただければ幸いです。 と同時に、韓国では金銭絡みの『韓国教会の異端鑑別師の「異端操作」横行』しているという記事も見逃すことは出来ないと思います。 ところで、「家庭連合は異端?--「三位一体”説”」は諸説に過ぎない」で紹介させていただいたkimagure-orさんから「tomy4509様へのお詫びとお願い(*'ω'*)」ということで、彼の記事に説明不足(「神性と神学の違い」等)があったとのことで弁明のメッセージを頂いています。これに関しては改めて書いていく予定です。 余談ですが、「火の粉」を始めとして大概は私のブログ名をカタカナ表記で批判してくる方が多いのですが、彼は謙虚で「クリスチャンの鏡」ですね。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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しばらく記事更新がない「ほふられた子羊さん(777)」でしたが、ブログ村のカテ「家庭連合」から別のカテゴリーへ移動されたみたいですね。以下ブログ村プロフィールからですが、11/22以前の圏外(ランキング外)はそのカテゴリーには参加されていなかったことを意味しています。
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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2020.11.26 00:13:19
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2020.11.25
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ブログ村のカテ「家庭連合」で家庭連合(旧・統一教会)は「異端」だと書かれるクリスチャンの方の記事を最近見かけました。
11/24付記事「イエスキリストの神性を認めない異端達」もその一つです。 異端がなぜ異端なのか?ここでいくつかの聖句を挙げてはアウグスティヌスの「三位一体説」を主張しているようですが、「三位一体”説”」といっても所詮は「諸説の一つ」に過ぎません。 聖書をみれば、イエス様はご自身のことを「人の子」と語られていましたが、それについてはどのような解釈をされているのでしょうか。以下は聖書検索からのごく一部で、マタイ伝(30個ヒット)「からです。 >----- 1:マタイによる福音書/ 08章 20節 イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。 2:マタイによる福音書/ 09章 06節 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。 3:マタイによる福音書/ 10章 23節 一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。 4:マタイによる福音書/ 11章 19節 また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。 5:マタイによる福音書/ 12章 08節 人の子は安息日の主である」。 6:マタイによる福音書/ 12章 32節 また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。 7:マタイによる福音書/ 12章 40節 すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。 8:マタイによる福音書/ 13章 37節 イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。 9:マタイによる福音書/ 13章 41節 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、 10:マタイによる福音書/ 16章 13節 イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。 … … … 21:マタイによる福音書/ 24章 30節 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 22:マタイによる福音書/ 24章 33節 そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 23:マタイによる福音書/ 24章 37節 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 24:マタイによる福音書/ 24章 39節 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。 25:マタイによる福音書/ 24章 44節 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。 26:マタイによる福音書/ 25章 31節 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 27:マタイによる福音書/ 26章 02節 「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越の祭になるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」。 28:マタイによる福音書/ 26章 24節 たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。 29:マタイによる福音書/ 26章 45節 それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。 30:マタイによる福音書/ 26章 64節 イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。 -----< また、家庭連合はイエス様の神性を否定しているなどといったニセ情報はどなたから聞かれたのでしょうか? 教義書『原理講論』のキリスト論 第二節(詳細はこちらから)からは イエスは創造目的を完成した人間として、神と一体であられるので、彼の神性から見て彼を神ともいえる。しかし、彼はあくまでも神御自身となることはできないのである。神とイエスとの関係は、心と体との関係に例えて考えられる。体は心に似た実体対象として、心と一体をなしているので、第二の心といえるが、体は心それ自体ではない。これと同じく、イエスも神と一体をなしているので、第二の神とはいえるが、神御自身になることはできない。そういうわけで、ヨハネ福音書一四章9節から10節のみ言どおり、彼を見たのは、すなわち、神を見たことになるのも事実であるが、このみ言は、イエスが正に、神そのものであるという意味で言われたのではない。家庭連合を異端視する理由として「異端は三位一体説及びイエスキリストの神性を否定する。」を挙げていましたが、「三位一体”説”」は諸説であって聖書に書かれたものではありませんでしたし、また、イエス様の神性を否定しているわけではありません。異端視される根拠が一つ二つと消えました。 【関連記事】
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
Last updated
2020.11.25 00:53:11
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