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奇   知   外   記

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2020.09.11
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​​​過去記事「存在しないみ言で〝虚偽〟をかたる郭錠煥氏の悪意」(2020.08.28)について「真の父母様サイト」からは郭錠煥氏TVインタビューを挙げていましたが、9月3日付でも「​「祝福権限の移譲」に対する〝虚偽〟をかたる郭錠煥氏の悪意――郭錠煥氏のインタビュー映像(トゥルーレガシーTV)の〝虚偽〟をあばく・その2​」、第2弾をUPしていました。

正確には「移譲」と「委譲」とでは大きな違いがあることは私の過去記事で書いていました。
​参考:gildongのブログ『​限りなく真っ黒に近いクロ​』のコメント欄から

4 ■Re:ぜひ本質問題の提議を委譲

>lapisさん

「祝福権移譲」と[祝福権委譲」では明らかに意味が異なります。

確かに、真のご父母様は祝福家庭に祝福の権限を与えてくださいました。
ところが、「移譲」と「委譲」の意味を調べてみると、

移譲:権限や権利、財産などを他に譲り移すこと。「所有権を-する」

​委譲:権利・権限などを他の人・機関に(一部を)譲って任せること。「執行権を-する」​

「祝福」は再臨主・真のご父母様の特権であります。祝福権移譲ということであれば、もはや、真のご父母様は全てを祝福家庭に譲り渡してそれをされないということになり、基元節の祝福式などされる必要はなくなります。

一方、祝福権委譲ということは、その一部またはすべてを任せるということです。
これまでの私たちの行ってきた祝福は、最終的には真のご父母様の祝祷を受けなければならないという条件付きのものでした。

​……​
​この「祝福権委譲」に関するお父様のみ言は「黒・天聖経」(『祝福家庭』第四章 四 1.)にも掲載されていましたので、それを理由に三男さんの「祝福権」を主張していましたが、2000年9月の「祝福権委譲式」でのお父様のみ言や祝祷からも三男さんに「委譲」されたという事実を発見することが出来ませんでしたは、自称ルポライタイーtomy4509からも書いていたものでした。以下は宣布文サイトでUPされていた対照表です。


(詳しくは「真の父母様宣布文サイト」、​こちら​から)



​同様に、今回記事タイトルは「存在しないみ言で〝虚偽〟を語る子羊さんの悪意」です。​

子羊さんのブログ右には「777」の数字が並んでいます。統一教会で「777」といえばすぐに思い浮かぶのが「スリーセブン(777組祝福家庭、1970年)」ですが、わたしの問いに対して彼はハッキリと「スリーセブン」ではないと応えていました。したがって、元1800双か6000双、6500双以降の方でしょうか? あるいは、原理の理解度から見れば幼稚そのもので未祝福者の可能性も否めません。

その彼の過去ブログでは黙示録の言葉一つ一つを暗号解読のようにして記事をUPしていました。それと同様にお父様のみ言を彼独自の「暗号解読表」に当てはめては、彼の「注釈解釈無し」にはどれ一つとしてその結論にたどり着くことが出来ない記事をUPし続けています。

彼の主張する「お母様は洗礼ヨハネの使命者」だ、というお父様のみ言はどこにも存在しません!!
私からは何度となくそれの有無の確認をしていましたが、それに対しては何一つの回答はありませんでした。

ハンドルネーム「ほふられた子羊」とは何でしょうか?
祭物です。「祭物には口がない」というお父様のみ言もあります。「​子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」​ 」と子羊さん自身が表明していたものでしたが、すでにみ言による審判は下されています。であれば、祭物としてどうされるべきでしょうか?!
見苦しいだけです。



ところで、私の意見を言わせていただくならば、お父様こそがお母様に対して洗礼ヨハネ的使命を担って来られたのでなかったかということです。
洗礼ヨハネは聖書・原理では1300年前に昇天した「エリヤ」の再臨だと言われています。主の道を整える使命を持ってきたのがエリヤであり、サタン分立のための一人として遣わされたのが「預言者エリヤ」でしたが、使命途上で昇天してしまいました。イスラエル民族はマラキ書に書かれたエリヤの再臨を信じていました。エリヤはそれほどまでに著名な人物でした。洗礼ヨハネもまた、祭司ザカリヤ家庭の名門の出で、奇跡をもって誕生したので知らない人がいないくらいに著名人でしたし、荒野に出ては修行して多くの信者を抱えていました。
ところが、わずか17歳であった少女のお母様が「洗礼ヨハネ」ですか?

原理講論『再臨論』からは、再臨主は「雲に乗って来る」の雲は「信仰の篤い信徒たち」を指してのものでり、本来はキリスト教がその使命を果たすべきであったのですが、それに呼応出来なかったので仕方なくお父様は「統一教会」を建てられました。そして迎えたのが1960年の「聖婚式」(小羊の婚宴)ということです。わずか三文字の名に様々な修飾語がつくほどの文総裁でしたが、その悪名(?)が高まるほどにお母様もその後について行って著名人となってきたというのが事実です。そして、1990年代に入ってからはその文総裁と並ぶまでとなりました。

さて、原理講論の「堕落論」を見れば、「善悪知るの木=創造理想を完成した女性」はこれまでのキリスト教(宗教)にはないものでしたし、「キリスト論」の重生論からは「善の父母「(堕落人間を生み変えてくれる)真の母」の記述も真新しいものです。さらには、1966年初版出版された「原理講論も「女性時代」の到来を予見していた!!」(2017.09.13)と、1990年前後してのお母様の登壇の預言までされていました。
まさに、文総裁がお母様の洗礼ヨハネ的使命を担っておられたのではないかという推論の方が原理的にも摂理的にマッチしているようです。
事実、「原理講論の主人はお母様」と語られていた文総裁のみ言もあります(「「6マリヤ」は存在しない(その5)-- お父様のみ言「『原理本体論』について」」(2019.02.25)参照のこと)。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.09.11 21:43:10
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