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studio PINE SQUARE

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RC200t

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RC200t@ Re[1]:セナのいた季節(1989-1994)(05/21) 元H@さんへ >やっぱりあの時代の象徴な…
元H@@ Re:セナのいた季節(1989-1994)(05/21) あの頃のF1はセナを軸に面白いレースが数…
元H@@ Re:ミスター・フォゲッタブル(プロスト JS45 無限ホンダ)(04/08) お久しぶりです。 このクルマ、私も購入し…
2019.10.07
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カテゴリ:ルマン24h
​ ​ハチロクをやったんなら、次はコレ、とゆー予定調和。
 またまた、ベントレー・スピード8をダシにして、ネタをひとつひねくり出そう、と。




 ベントレー・スピード8とアウディR8Cでハチハチ。
 TSMのハチ(スピード8)を入庫待ちしてる間に、運よくコレもスパークから発売になったからね。
ただノーマークで予約もしてなかったもんだから、そそくさとショップに出掛けてって買いましょう、
とか思っていたんだけれども、ネットに昔出たBBRのが超お買い得価格で漂っていたもんだから。
いかにスパークが新品といえども、中古とはいえ天下のBBRがスパークよりも安値で出てたら、
そりゃあのほうをBBRを買うのが人情ってもんよねぇ(笑)


BBR1/43 アウディ R8C "1999年ルマン24h DNF"
#9 ステファン・ヨハンソン / ステファン・オルテリ / クリスチャン・アプト

 1998年のいわゆる「なんちゃってGT-1」の成功は、人気の面では大成功だったものの
「クローズドボディで、1台だけ公道カーを売ればあとはどうでも」みたいなGT-1規定は、
結局、予算を持てる者と持たざる者に分断しただけで、市場としては先細りがミエミエてる。
そこで、主催のフランス西部自動車クラブ(ACO)は大ナタを振るい、GT-1クラスを廃止して
より改造範囲が狭くて、しかもGT-1時代よりもたくさん作って売らなきゃいけない、本来の意味
でのGTを競わせるGTSクラスを新設した。
替わりと言っちゃあなんだけど「お金のある人はこっちに行ってね」とクローズドボディでさえあれば
量産車を作らなくてもいいLMGTPクラスも新設した。
となれば、オープンタイプのLMPよりも空力的に有利なLMGTPが、俄然優勝候補となるわけで
早々にトヨタとメルセデスが、既存改良か完全新型かどっちにするかは別にして、いずれにせよ
LMGTPで参加すると表明した(結局、どっちも既存改良だったけど)
日産は、Gフォースと組んでLMPへ路線変更(R391)した。
とはいえ、LMPを主座に置きたいACOの思惑から、LMGTPにはクローズドボディで得られる
最高速の優位性を相殺するために、細いタイヤを履かなければならない制限も忘れなかった。
 ルマン初参戦を控えたアウディは、これらの動向を参考に、元々予定していたLMPに加えて
LMGTPにも手を出すことにした。
LMPプロジェクトがダラーラと組んだのに対して、LMGTPはレーシング・テクノロジー・
ノーフォーク(RTN)と組むことにした。
チーム運営は、かのリチャード・ロイドを巻き込んだアウディ・スポーツ・UK。

 開発期間を十分に取って様々なテストもこなして熟成されたアウディR8R(LMP)に比べ、
マシン完成が遅れ、ルマン合同テストデイまでに十分なテストが出来なかったR8C(LMGTP)は、
フロントフェンダー内側をオープンにしたためタイヤハウスにエアが溜まらずブレーキ冷却が進まない、
車体内部へ流れ込むエアが、車体後部からうまく排出できずエンジンカバー部にどんどん蓄積されていき
最終的にエンジンカバーが吹っ飛ぶ、など問題を露呈した。
クローズドボディのおかげでユノディエールで時速350キロを出すことは出来たが、ハンドリングにも
問題を抱えて、フルラップタイムでは全然ペースが遅かった。
いわゆる直線番長とゆーやつである。
結局、予選は20番手(#10)と23番手(#9)と振るわなかった。
 決勝でも、ルマン勝者のステファン・ヨハンソン、ステファン・オルテリを以ってしても
如何ともしがたく、ギアボックストラブルで早々にリタイア。
(因みにもう一人のドライバー、クリスチャン・アプトは現在フォーミュラEにアウディ・スポーツ・
アプト・シェフラーから参戦してるダニエル・アプトの叔父さんである。
アプト、アプトとアプトだらけでも判るだろうが、アウディのセミワークス、アプト・スポーツラインの
経営者でもある)

 気になる(ならんか)R8Cのスポンサー様は。。。
インフィニオン・テクノロジーズ(半導体)、シェル石油、シーフランス(フェリー会社)、リカルド
(先行開発エンジニアリング会社)、O.Z.ホイール、パラメトリック・テクノロジー・コーポレー
ション(ソフトウェア)

 ルマンの惨敗で、アウディは早々にR8Cを引っ込めて、実戦はルマンのみとなった。
翌年から、R8Rを正常進化させたR8でアウディは見事ルマン6戦5勝をマークするわけだが、
その常勝R8に唯一土をつけたのが、諦めたと思ってたR8Cの知見を活かした、アウディエンジンを
積む、いわばR8Cの親戚筋(まあ、当時すでにベントレーもアウディも同じフォルクスワーゲン傘下
だったから、単なる同族のバッジエンジニアリングと言えなくもない)にあたるベントレー・スピード8
だったとゆーのは、なんとゆーか歴史の妙とゆーヤツだな。





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Last updated  2021.07.29 18:08:04
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