ご存命なら90歳後半でしょうか
現地で商売をしていた日本人の父親と
地元では裕福な家柄の母の間に長女として生まれた彼女。
戦争が始まると
父は徴兵され
戦死
日本人と結婚して子供もできていたから
母の家族は現地人から迫害され
叔父二人、現地人に殺され
戦後
米軍が入ってきたら
日本人の子だからと
母親からも引き離され
日本に送還された時
小学生だったそうです。
終戦後の
貧しい日本で
言葉すらまともに話せない彼女は
戦死した父の実家に
無理矢理預けられ
そこで
中学を卒業し
講和条約の後
現地に戻れました。
戦争当時のことは
ご本人の記憶にはあまり残っていなくて
むしろ
戦後の日本での
知らない親戚との
知らない場所での教育の中で
わからないことだらけ
学校ではハーフといじめられ
家庭内では差別され
戦後皆が貧しかったとはいえ
皆が衣食住に苦労していた時とは言え
と付け加えてはいらっしゃいますが
その時の
恨み
つらみ
延々と2時間
淡々と
私に語り続けました。
後で思うとね
録音しておけばよかった、かしら。
私が日本人だから
思い出したって。
その後
現地で大学も出て
子どもにも恵まれ
当時は幸せに暮らしてらっしゃいました。
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Last updated
Aug 18, 2021 04:00:07 PM
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