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テーマ:洋楽(3396)
カテゴリ:70年代洋楽
バッドフィンガーは、私がもっとも愛するバンドのひとつである。 ニルソンやホール&オーツ、マライヤ・キャリーなどで有名な「Without You」のオリジネイターといえば分かりやすいだろうか。 が、その実力や名曲の多さのわりには、彼ら自身の知名度が低いのは悲しい。 「ビートルズの弟バンド」という形容がよく使われるバンドなのに、ビートルズ・ファンにもあまり聴かれていないというのがフビンだ。。。(泣 ピート・ハムとトム・エヴァンス、特にピートのソングライターとしての才能は今聴いても素晴らしいと思うんだけどなぁ。 そういえば、彼らを語る時に使われるもうひとつの形容詞は「悲劇のバンド」だったっけ…… アイヴィーズ(その前はパンサーズ)という名前で活動していた彼らが世に出るのは'68年。ビートルズが設立したアップル・レコードからのデビューだった。 しかし、デビュー・シングルの「Maybe Tomorrow」が不発だったこともあって、同名タイトルのアルバムはイタリア、西ドイツ、日本の三国でしかリリースされなかった。それも売り上げは芳しくなく、市場から早々と姿を消し、長きにわたってコレクターズ・アイテムと化していた。 そして翌年、Badfingerと改名し再出発した彼らは、ポール・マッカトニーの作品である「Come And Get It」をリリース(過去ログ参照)。 この曲は'70年に全米6位、全英4位となり、バンドは本当の意味でのスタートを切ることとなった。 なお、この時期には、脱退したロン・グリフィスに代わってジョーイ・モーランドが加入している。 同'70年には傑作2ndアルバム『No Dice』をリリース。 のちにスタンダードとなる「Without You」が収録されているこの盤からは、元祖パワーポップというべき名曲「No Matter What(嵐の恋)」(米8位、英5位)のヒットも生まれている。 バンドの人気上昇に伴うようにして、メンバーはジョン、ジョージ、リンゴなどのセッションに参加する。 '71年には、ジョージ・ハリスンをナビゲーターとしたチャリティ・イベント「コンサート・フォー・バングラディッシュ」にも脇役ながら出演を果たした。 バンドの活動がいちばん波にのっていたこの時期にリリースされたのが、3rdアルバムの『Straight Up』(上ジャケット)である。 プロデュースは、ジョージ・ハリスンとトッド・ラングレンという豪華な面々。 元々はジョージがフル・プロデュースする予定だったが、途中で彼が降りたため、その役がトッドに引き継がれたということらしい。 そんな経緯はともあれ、アルバムは『No Dice』と並ぶ傑作に仕上がった。 「Day After Day」はピート・ハム作のバラード・ナンバーで、アルバムを代表する一曲である。 プロデュースはジョージ・ハリスン。 シングル・カットもされて、'71年に全米4位、全英10位を記録するヒットとなった。 イントロにおけるスライド・ギターの音色からしてもう骨抜きにされる(このへん、いかにもジョージっぽい)。 憂いをふくんだピートの歌声、アコギを使ったやわらかなコード・ストローク、シンプルで美しいメロディが切なく響いてくる。 ビートルズの弟分だけあって、コーラス・ワークはバッチリ。 所々で聴けるレオン・ラッセルのピアノも絶品だ。 さらには、間奏部に入るとジョージとピートによるダブル・スライド・ギター(ユニゾン)が聴けるという具合。 う~ん、泣ける。 分かりやすいポップさと叙情性をそなえた、完璧な3分12秒だ。 ドラムのフィルがよろける箇所もあるが、まぁご愛嬌というコトで(笑 なおこの曲、プロデュース自体はジョージ・ハリスンだが、最終ミックスはトッド・ラングレンが手掛けているとのこと。 そう思って聴くと、サウンドの処理(特にアコギ)にはトッドっぽさも感じられるような。。。 自分のような人間には"ひと粒で二度も三度もおいしい"曲だなぁ。 ちなみに、ジョー・ジャクソンの'82年のヒット曲「Breaking Us In Two」は、「Day After Day」のメロディをおもいっきり借用したものとなっています 『Straight Up』からは「Baby Blue」のヒット(全米14位)も生まれ、バンドのキャリアは順風満帆のように思えた。 だが、彼らの全盛期はそこまでだった。 この後の彼らは転落の一途をたどることとなる。 悪徳マネージャー、スタン・ポリーを雇い入れたバンドは、アップル・レーベルとの関係が悪化。4thアルバムにして同レーベルからの最後の作品『Ass』は、商業的にも散々な結果に終わった。 その後も、新しいレーベル(ワーナー)と契約して'74年に二枚のアルバムを出すものの、これも(傑作にもかかわらず)セールス的に伸び悩んだ。 その上、ポリーに印税をピンハネされるなどをして、メンバーは貧苦の淵へと追い込まれてしまう。 さらには、これまたポリーのせいでワーナーとの契約トラブルが起き、結果、レコードが市場から回収されることとなってしまった。 精神的に深い傷を負ったピートは'75年4月に首吊り自殺をしてしまう。 バンドは一時活動停止した後、トム・エヴァンスとジョーイ・モーランドを中心として活動を続けたが、そのトムも'83年に首吊り自殺してしまう(ジョーイとのいさかいが原因だった)。 こうしてバッドフィンガーは事実上消滅。 いくつかのヒット曲とともに「悲劇のバンド」として人々の記憶に残ることとなった。 オリジナル・メンバーであるドラマーのマイク・ギビンズも、2005年に死去。 現在はジョーイ・モーランドが、モーランドズ・バッドフィンガーとして活動を続けているという。 彼らは決して器用ではなかったし、突出した個性もなかった。音楽的に革新性のあることもやらないバンドだった。 それでも、残された楽曲の数々は今も色褪せてないと思うし、人懐っこさを漂わす存在感も好きだった。 それゆえに、豊かな才能にめぐまれながら非業の死を遂げていったピートとトムを思うと、美しいメロディがいっそう胸にしみてくる。 90年代に入ってからは再評価がすすみ、「元祖パワーポップ」という側面からのスポットもあたったが、それでも「悲劇のバンド」の形容からはまだ逃れられてないような気もする。 これも運命か。 日本人好みのメロディなんだから、ここらでCMやドラマの主題歌にでも使われてバッドフィンガー・ブームでも起きないかなぁ、と思うワタシです つーコトで「Day After Day」を聴くにはここをクリック! ついでに、ワーナー時代の名曲「Know One Knows」はこちら。 ※ ポム・スフレのメインHPではバッド・フィンガーの名盤『Straight Up』について取り上げています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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