カテゴリ:本日のPTA
20日に、ライプチさんから、ご意見をいただきました。 取り込んでおりましたので、お返事が遅れまして申し訳ありません。 『 PTAは本当に必要か 』 という古い記事へコメントいただきましたので、 新たにこちらの方へコピペさせていただき、考えて行きたいと思います。 > 20年来、毎年のようにPTA役員をやってきました。 > 3人の子どもそれぞれに、広報部長とか書記、副会長・・・役職がほとんどです。 > パートですが、仕事もしています。 >「子どもたちのために!」と信じてやってきましたが、 > 今頃になってわかってきたことがあります。 > 幼稚園、小学校のPTAは、学校行事のお手伝いであったり、 > 保護者の皆さんをとりまとめる、子どもと一緒に・・・という要素がほとんどです。 > 活動を通して、他の保護者の方達と“子どもの話題”を中心に > 親睦を深めるのが目的になります。 > でも、その延長で、中学、高校のPTAに関わっていたらダメだと思うのです。 > なぜかというと、思春期の子どもにとって、自分の親がPTA役員だなんて > “うざい”以外の何ものでもないからです。 > PTAのお便りが親の手元に届かないという声も多々聞かれますが、 > それは自然のことです。 > 「大事なお手紙なんだから!」などと、子どもの鞄を勝手に探そうものなら、大変です。 > 役員だからと、学校の廊下や職員室にたびたび出入りし、 > PTAの用事の次いでに先生と個人的に喋ったり、教室をのぞいたり・・・ > 友達に「お前の母さん、また来てるな」などと冷やかされ、子どもも辛い目にあっています。 > 入学式や卒業式では、来賓として紹介され、他人のふりをするも、顔も名前も有名だし・・・。 > 我が子のためと思い、時間を割いて奉仕しているのに、というのは、親の勝手。 > 親睦を深めるなどと言いながら、話の内容は、子どもの自慢とか > 友達にしられたくないような恥ずかしい話。(なんで恥ずかしい話を自慢するのか?) > 子どものことは、何でも見ておきたい!!何でも知っている!! > それが子どもには迷惑なんだ、と親業20年にして、初めて知った今日この頃です。 (2006/10/20 01:35:25 AM) PTA役員経験者にとっては、少々耳の痛いご意見だと感じます。 けれども、だからといって、 ライプチさんは、中高のPTA(活動)不要論を説いていらっしゃるのではないことがひとつ。 また、「でも、その延長で、中学、高校のPTAに関わっていたらダメだと思う」と、 ライプチさんが経験して来られた幼稚園、小学校時代のPTAの在り方については、 是認しておられることがひとつ。 どうやら、PTAの在り方そのものに関してより、 ご自身を含めた、PTA役員としての保護者の在り方に問題を繙く鍵がありそうです。 > 子どものことは、何でも見ておきたい!!何でも知っている!! > それが子どもには迷惑なんだ、と親業20年にして、初めて知った今日この頃です。 中学生や高校生にもなった子どもたちのことを何でも観ておきたい、と 思うのはどうしてでしょう。 何でも観ておきたい、識っていたい、のは、何のためでしょう。 つきつめれば、自分が観ておきたいから。 自分が識りたいから、ではないのでしょうか。 何のために? 自分自身がお子たちを観誤らないため、です。 お子たちへ、保護者としての在り方を誤らないため、です。 保護者としての自分自身が学ぶため、です。 そこを「子どもたちのため」と言い切ってしまうと、そりゃ、迷惑でしょう。 子どもたちにとっては、余計なお世話だと思います。 それに、どれだけ学校へ日参しようが、どれだけ職員室に入り浸ろうが、 保護者が子どもたちの全てを観、識ることができる訳がありません。 なのに、子どもたち、もしくは我が子のために、という錦の御旗を掲げ、 PTA活動に勤しむことで、 > 子どものことは、何でも見ておきたい!! 何でも知っている!! という態度で在るなら、認識不足も甚だしく、 我が子は勿論、他のお子たちや、他の保護者さんたちから、 「勘違い野郎」と思われても仕方がないような気が致します。 子どもたちは、幼稚園、小学校、中学校、高校、と 当然の如く、心身ともに劇的な成長を、遂げています。 私たち保護者も、そのお子そのお子の年齢分しか保護者でしかないのですが、 その分、成長を遂げていたいですね。 幼稚園には、幼稚園の、 小学校には、小学校の、 中学校には、中学校の、 そして、義務教育を終え、それぞれのお子たちの進路を見据えた、 選択・選別されている高校には、高校のPTAが在り、 それぞれの在り方、そして保護者の関わり方は、各学校の特色も踏まえた上で、 違っていて当然であるし、また、違わなければならない、と私は思っています。 但し、PTAの根本である、意義やら意味やらは、きっと同じ。 中学生までは、ウザい地域のおばちゃん、で在っていいのだ、と思いますし、 保護者の殆どが、同様のスタンスであれば、 PTA役員のお子がからかわれたりいじめられたり、といったことも防げるでしょう。 要は役員さんの在り方だったり、役員以外の保護者さんの在り方だったり、 そうしたところへ集約されるもののように感じます。 高校PTAではまた、少し違うでしょう。 金銭的助成が大きな目的になってくるのではないでしょうか。 もう青年に近い子どもたちが、PTAのおじさん、おばさんに感謝できるような、 そんな活動を展開していけたらいいですね。 結婚もできるような年齢の子どもたちのプライバシーを暴露しあって それをもって親善を深めるような役員関係では、情けなさ過ぎますよね。 私も少年たちが幼い時分には、毎晩のようにPTA会議が続き、 少年たちだけで夕食をとり、お風呂に入り、帰宅すると就寝している。 こんなに淋しい想いをさせて、何がPTAだ!と思うこと、数え切れませんでした。 少年たちが、仲良しの兄弟であってくれたからこそ、続けられた、と思っています。 うちの少年たちが一人っ子であったなら、 少なくとも小学校低学年の間は、私には本部役員は無理でしたでしょう。 また、 「 あなたたちのお蔭で、私もまた勉強させて貰ってる。 有難うね。 忙しくしててごめんね 」 我が子に対する感謝の気持ち。 ごめんね、という気持ち。 そんな気持ちを忘れたら、おしまいであったような気が致します。 学校・保護者・地域。 高校は少々また異なりますが、 これらが一体となって、子どもたちを見守り、育んでいく。 誰よりも絆が深いはずである我が子と、いつまでもいい関係であれるよう、 保護者である私たちは、我が子の学ぶ学校で、 保護者として学んでいきたいなぁと思います。 PTAは、そのツールなのだ、と思っています。 役員も、役員でない方々も、みな、保護者としては同じ。 PTAという、せっかく在る組織をうまく活用して、 常に自分たちの行動を見直し、在り方を考えて行きたいなぁ、と思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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