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カテゴリ:雑感
今の社会はこうであるという決めつけから発想された小説はつまらない。
例えば、規制緩和が進み今の若者の労働環境は厳しい。だから職場ではパワハラやセクハラが横行し、物言えぬロボットとして教育されてきた青年たちは長時間、低賃金労働に甘んじ、貧困に喘いでいるに違いない。という推測の下に書かれた小説など読む気はしないだろう。 逆なら良い。現在の職場をリアル(現実そのままという意味ではない)に描くことによって、結果として読者が社会や政治のあり方に目を向けるようになるのなら良いのだ。読者は小説に描かれた世界を社会や政治と結びつけないかも知れないし、作者とは違った問題意識を持つようになるかも知れない。小説は論文ではないし、もちろん語源から対比される大説であってはならない。 前者は演繹法、後者は帰納法だ。もちろん、演繹法がダメとか、帰納法が優れているとか、言うつもりはない。理論は現実によって検証されなければならないということだ。その理論は場合によっては否定されるかも知れないが、正しさを含んだものであればさらに磨かれることになる。 突然、こんなことを考えたのは何とか細胞の騒ぎのせいではない。念のため。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.04.05 10:34:56
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