陳述書1~亡き娘と祖父との関係~
昨日もとっても忙しい日になってしまいました(^-^; 朝、ボランティアメンバーNちゃんが完成品を100個持って来てくれて材料も取りに来てくれました。そして、一昨日じゅんさんに言ってもらい、昨日春日井支部のOさんとも相談した、公のパンフレットを作ることも一緒に手伝ってほしいとお願いしました。Nちゃんは快く引き受けてくれました、ありがとう(^-^) お昼過ぎ、新聞を見てにじいろ会🌈にクラフトテープなどをたくさん送って下さった方が、用事があり知立に来られるという事でナビを頼りに我が家へ来て下さいました。こんなコロナの緊急事態宣言中なので駐車場だけでご無礼し、暑い中でしたが、少しのお時間お話しすることが出来ました。その方はまた「クラフトテープの端切れだけど良かったら使って」と持って来て下さいました。夜公式LINEにも入れて頂きましたが、その方やご友人の間でもグッドタイミングなことが多くて、これは「さえりん」の導きではないかと言って下さいました。私も本当にこの偶然は紗愛理が起こしたのではないかと身震いするほど有難く思いました!私は、この方にこれから様々な場所で、事故が起きないようににじいろ会🌈とさえりんのことを広めて頂きたいと願いを込めて、Nちゃんが作ってくれたストラップ100個をお渡ししました。 それから私は郵便局へ行きました。にじいろ会の名前の通帳を作ってもらうためです。これも今後必ず必要になるからとアドバイスを頂いていたからです。しかし、今新規で通帳を作るにはすごく審査が厳しくて手続きも面倒なんです。私は今までに2回郵便局で何が必要なのか聞いて書類も頂いていたのでしっかり記入漏れがないか確かめて必要書類も全部そろえたつもりで行きましたが、規約に会の所在地が入っていなくて、一度家に帰り規約を作り直して午後もう一度提出し今度は受け取ってもらえたのですが、夕方足りない箇所と訂正印が欲しいと電話をもらい作日3回郵便局へ行きました。ようやく書類の提出は出来ましたが実際に通帳を作れるかどうかは審査に1ヵ月くらいかかると言われました(;'∀') そんな忙しさの中今まで後回しにしてきてしまった期限ぎりぎりの書類に夕方やっと取り組みました。それはN弁護士に言われていた、次の民事裁判の時に裁判官に提出する「陳述書」というものです。まずはN弁護士に昨日中にメールで送る約束でしたのでセーフでした(^-^;紗愛理と祖父(義父)との関係、紗愛理と祖母(義母)との関係、紗愛理と妹(次女)との関係について、紗愛理の母の私からの意見を述べる書類です。これで良いのかどうかはわかりませんが、私から見た紗愛理と義父との関係性や義父の紗愛理を喪った悲嘆の現状を書いてみました。私は思いつく限り書きながら改めて思いました。義父もやっぱりさえりんを喪った強い喪失感のせいで今の気難しい性格になってしまったんだと。決して悪気はないんだと、少しだけ父の気持ちも察することができるようになれた気がするのです。今日はまず紗愛理と祖父の関係を載せます。これはあくまでも私目線ですが・・・陳述書紗愛理と祖父との関係 我が家は最初から主人の両親との同居生活でした。従って紗愛理は生まれた時から祖父と同居していました。紗愛理が生まれた時、義父はあまり感情を表に出すタイプではありませんでしたが、それはそれは喜んでくれました。紗愛理は義父にとって初孫に当たり、長男の長女として生まれたため、義父は紗愛理を目に入れても痛くないほどの可愛がりぶりでした。仕事から帰ると必ず紗愛理を膝に入れて晩酌をし、一日の疲れを癒していました。 紗愛理が少し大きくなるとその成長に合わせて、義父は知育と体育に必要な玩具や道具を買い与えました。木のおもちゃ、積み木、歩行器、手押し車、三輪車、補助輪付き自転車、バランスボール、一輪車、ローラーブレード、ジェイボード、自転車などなど。紗愛理は両親だけでなく祖父母からの愛情もたっぷり受けてすくすく成長していきました。我が家は主人が平日休みの仕事の為、紗愛理が幼稚園に入園すると殆ど休みが合わず幼稚園の行事や、土日に遊びに連れていくことが出来なくなりました。そんな父親の代わりをしてくれたのが祖父の義父でした。自転車の乗り方も義父が教えてくれました。幼稚園の発表会、運動会、父兄参観日にも毎回欠かさず義父は足を運んでくれました。土日に公園や遊園地、動物園、水族館などにもいつも連れて行ってくれました。紗愛理は祖父にとても懐きいつも遊んでもらっていました。紗愛理は大きくなるとよく祖父と一緒に近くの天然温泉に行くのが楽しみでした。一緒に温水プールにもよく行きました。休日前の日になるといつも「ねえおじいちゃん明日暇?私温泉に行きたいんだけど連れて行ってくれる?」と甘えて頼みました。義父はそんな可愛い孫の誘いを断ることなく殆ど受け入れて2人で一緒に出掛けました。そんな生活は紗愛理が生まれてから亡くなるその日まで、20年11ヵ月ずっと続きました。そして、これからもずっと続くものだと信じて疑いませんでした。 それが、突然の紗愛理の交通事故死に義父も動揺しましたが、私と母の気が狂いそうなほどの動揺に義父はただひたすら一家の大黒柱として息子、和彦と共に立っていてくれました。しかし、家族が誰もいないところでは一人仏壇の前で男泣きするのです。義父はあれほど自分の命に代えても守ってやりたかった愛おしい初孫、紗愛理がこんな形で突然こんな無残な形で命を奪われてしまったことが、どうしても納得できず悔しくて悲しくて時々泣き叫びたくなるのです。あれから2年以上たちましたが今でも悲嘆にくれています。紗愛理の写真を見るだけで悲しみが沸き起こり、抑えられない感情は家族への八つ当たりにも繋がることも。あれほど我が娘同然だった初孫娘、紗愛理の死がこんなにも性格まで歪ませ心を蝕んでいるのです。たまに遊びに来るだけの関係の孫と祖父以上に、父親よりもっと長い時間を毎日毎日共に過ごした深い関係なのです。それはある意味父親以上の存在であると言えます。義父は紗愛理の成長をずっと側で見守り、女の子2人の孫娘のうち長女紗愛理を我が家の跡取りにと期待していました。家も財産も全て紗愛理に譲りたいと思うくらい溺愛していたのです。紗愛理自身もこの家の跡取りとして両親や祖父母の面倒を自分が見ていくつもりでいました。それほどまでに深い結びつきだったのです。(さえりん11歳の時 お家でクリスマス)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lin.ee/aThfM2Z