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2016年02月27日
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プレハーノフ『史的一元論』の明と暗 その9


これまで、プレハーノフの『史的一元論』を読んできました。
今回で最終回です。

今回から岩波文庫の下にはいったんですが、そこで重大な問題にぶつかりました。


写真: DSCN4265

 

下巻は、第5章「近代唯物論」のつづきと、「結論」です。

この第5章のつづきですが、その内容はマルクスの歴史理論の検証としての『資本論』です。

これまで、『史的一元論』を読んできましたが、最初からここまで読んでくる中で感じたことは、プレハーノフという人は、フランス唯物論や空想的社会主義、王政復古時の歴史家たち、ドイツの観念論哲学をたどることで、マルクスの新しい歴史理論(唯物論的歴史観)が誕生する必然性を解いてきました。独特にその元になる諸資料の吟味と、そこから引き出される方法論の展開には、「ロシア・マルクス主義の父」と賞された学識の豊かさを感じさせられてきました。それは今でも変わらないのですが。

 

今回、第5章のつづき、「『資本論』と唯物史観」を読んだ時、一つの重要な問題にぶつかりました。これと同じ問題を扱っている著作を、以前に読んでいたからで、それを取り出してみました。
それで、今回初めて気がついたんですが、あらためてレーニンの著作『人民の友とは何か』
(一分冊)を読んでみると、この第5章つづきとが、証明の形態は違っていても、議論の筋書きがあまりにもよく似たものになっていることでした。レーニンとプレハーノフ、 いったいどちらが元なのか。どちらに著作権があるのか、当然ながら気になりました。

プレハーノフ
(1856年-1918)の『史的一元論』は、18952月初めに、ロシア本国で刊行されました。他方レーニン(18701924)の『人民の友とは何か』は、1892年ころから準備され、18943月から6月に書かれて非合法的に広められたそうです。
要するに、ひと回り以上も年上のプレハーノフは、1885年の『われわれの意見の対立』ころからはマルクス主義の大御所的な存在だった。歴史哲学の知識も豊かに持っていたことは、これまでの『史的一元論』の前の諸章でもしめされています。しかし、この「『資本論』と唯物史観について」の基本的な論述は、当時はまだ2224歳の、無名の青年・レーニンが最初に書いていたものだということです。プレハーノフは、その文章を読んで、彼の学識をもってその骨組みに添えたということです。といえば聞こえはよいのですが、ことわりがない。 端的に云えば、大御所が非合法の刊行物を読んでパクったんです。まぁ、よく言えば、この部分はその骨格を生かして、彼なりに自らの学識をそえて豊かなものにした、ということでしょうか。だとすれば、ことわりが必要です。

 

そうしてみるとプレハーノフという人は、「ロシア・マルクス主義の父」と賞賛された時期もありますが、帝国主義戦争での「祖国防衛」に賛成したり、1905年の革命は「立ち上がるべきではなかった」など、後期の政治活動では誤った道に陥っていきます。明から暗への人でした。明については、それとしてしっかり評価しなければないとおもっていますが。
では、いつから、このマルクス主義者はおかしくなっていったのか?この問題があります。


この問題については、不破哲三著『レーニンと『資本論』』
(2)の中の「チューリヒでの失望」P118との部分で、レーニンの手稿「どのように『イスクラ』(火花)はあやうく消えかけたか?(全集4巻 19009月初め執筆)が紹介されています。
これはレーニンの刊行されたのは死後の全集ででした。個人的な覚書だったんです。ここに問題の人間像が出てきます。レーニンも当初は、プレハーノフを著作で知っていたわけですが、その限り、その積極的な業績に、ずーっと敬意を感じていたんですね。ところが、イスクラの新聞づくりで亡命先のスイスで、プレハーノフと初めて直接に会って打合せしたところ、それまで想像していたプレハーノフの人物像と実際の現実との間には大きなギャップがあることを、突き付けられたんですね。このギャップの根っこや、性格はどのような問題があるのか。この文章が示しています。それ以来、レーニンのプレハーノフに対する対応は、学術的に評価できる面は認めるにしても、それとは別に、政治的・運動的な人間像については現実にそくした分析的対応になっていきます。

 

以上が、岩波文庫の下巻、第5章の「近代唯物論」(つづき)において、「『資本論』と歴史理論」の部分が持つ問題点です。
繰り返しですが、ここでのマルクスの歴史論について検証している作業は重要です。それは今日でも学ぶべき事柄だと思うんですが。全体の事実にもとづいて論証している点については学ぶ価値があります。しかし、すでにこの章に関しては、問題を持ってるわけです。基本のくみたての骨子は既成の別にあって、その骨組みをもとにして、代数的に新たな事例を加えることで、全体に独創的な印象を与えようとしている点があること、このやり方については注意が必要です。

最後です。今回、40数年ぶりに『史的一元論』を読んでみました。初めて読み通しました。プレハーノフの人物像が二面的に見えてきました。レーニンが当初もっていた敬愛の情もわかりますし、またガッカリした気持ちもわかります。私なども、この作品を大事に持ちあるって来たわけですから。たしかにそこには学びとるべきものもふくまれてます。しかし、その人間像を知っちゃったんですね。これからは、プレハーノフの作品に関しては、栄光とされる時期についても、より注意して、明暗をもつ人物として、しっかりと腑分けしながら学ぶべきだと思うようになりました。






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Last updated  2016年02月28日 07時27分17秒
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