開拓の途中の現在
この2月は元みかん園の開拓をしています。
前回紹介しましたが、2月26-27日には、雑木林に通路をつくって、
巨木化した木を伐採し、下場のつる草などの草刈りをしてきました。
まだ、着手したばかりで、作業はこれからなんですが。
前回はその雑木林を南側から北側を見ての変化を紹介しましたが、
今回は同じ林を東側から西側を見ての変化です。
2月5日時点での、開拓にかかる前の様子です。
たまたま、みかん園に隣接する部分の下草をすこし刈りだしたときのもの。
まさか、それら全体を相手にしようなどとは思っていなかったんですが。
この時点では、「何とかならないかな、あのヒヨドリのとまり木を・・・」と思っていたんですが。
この写真は2月5日のものです。
不思議なことに、その希望・願望をいだき、つぶやいていたら、
もちろん当方には、伐採・開拓などの能力も手段も、仕方も分からなかったんですが。
「知らぬが仏」の思いの域を出ないものでしたが、
力ある人たちが、1人、2人と集まってきてくれたんですね。
気持ちと技が協力すると、ユートピアでしかなかった事態が現実に動き出すんですね。
次の写真は2月27日のものです。
この3週間、バラの様な棘のある木と格闘してきたんです。
どうやらそれは、イヌザンショウという木とのことです。
ヒヨドリは山椒の実が好物なんですね。
それでどこからか種を運んで来て、時とともみかん園が雑木林になったということです。
下のテントを張ったように小木につる草がかぶさっていますが、
それはイノシシの楽園状態になっていたんです。
おかげで、棘のため人は、足や腕が傷だらけです。
草刈り機の刃も、ボロボロの状態てせす。
国の農業の切り捨て政策の下で、農家は体力の限界まで頑張ってはいるんですが。
何かしらの生きた協力が加わらないと、畑の荒廃化がすすんでいきます。
早川でも、30パーセントのみかん園が雑木林に代わっています。
担い手がいなくなるのも「当然」な事態がすすんでいるわけです。
まあしかし、この2枚の写真を見れば、
ドン・キホーテのような努力ではあっても、
かつての人がつくった自然の富は、多少となり復活しうるということです。
不可能ではないということです。
しかし、70代が若手としてになっている農家が一般的ですから、
それこそ早くまともな手を打たないと、肝心の働き手がいなくなるわけです。
今の政治は、この現実にたいして、なんだかんだと言っても、
具体的な、まともな手を打てていないのが、今の農政の現実の事態です。
その状況は国民には知らされてないんですが、
それを知った時には、何とかしなければと思った時には、
農民がすでに誰もいなかった、なんでバカなことが無いように、
はやくなんとかしたいものです