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みかんの木を育てる-四季の変化

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2021年08月16日
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​ヘーゲル『大論理学』26 概念論第二篇客観性に挑戦​

ヘーゲルの『大論理学』への挑戦も、今回が26回目となりました。
あと残りは、第二篇客観性と、第三篇理念の二つの篇まできました。
今回は、私はどのように第二篇客観性に挑戦するか、
その接近方法、学習の仕方の紹介です。
私のこの間の学習の試行錯誤からできてきた一つの形ですが。




その手順は、大体次の三点です。
一、対象に対するおおまかな概略をつかむこと。
二、先人の研究者が論じている点を、大体ですが確認しておくこと。
三、ヘーゲルの著作そのものを読み込むこと。

一、まずは、大体の中身をつかむことが大事だとおもいます。

『大論理学』は、ヘーゲルの主著で、彼が20数年の研究、うんちくを注ぎ込んだ大作です。
私などがその著作にいきなり当たっても理解不能におちいることは必定なんです。
対象の大まかな中身を理解しておくことが、細かい点でつまづかないために、必要なんです。
ヘーゲル自身も、そうしたアドバイスをしているし、また自身が序論を書き添えたり、各篇・各章の冒頭部分には「区分」などで、その大筋を紹介してくれているのもそれなんですね。

私の場合は、このおおまかな中身をつかむ本として、次の2冊を読むようにしています。
1つは、『ヘーゲル論理学入門』(鰺坂・有尾・鈴木編 有斐閣新書)。
もう1つは、カール・ヘーゲル筆『ヘーゲル論理学講義1831年』(文理閣)で、最晩年の講義の記録です。

この二つは、中身そのものをつかむ上で参考になるし、コンパクトだし、比較的に初心者にも分かりやすいように配慮してくれてます。一般によくある自分勝手な解釈論とは、性格が違うんです。

何故、自分にとってその学習が必要なのか、この自分自身の問題意識をメモしておくことも大切かと思います。私の場合ですが、すぐおもい浮かぶ点ですが、
一つは、よく聞くところの「図式的な、もん切り型」の考え方が気になるんですが、「機械論」的考え方という言葉が使われますよね。機械的唯物論とか。その具体的な意味をつかんで、それを超える考え方というようなことを、ヘーゲルはここで展開していると思うので、それを探ってみたいこと。

二つには、ヘーゲルは客観的観念論者ですが、この篇では主観的概念と客観的概念の関係を論じていますが、客観的観念論者としてもそれらをどの様に論じているのか、その点を探ってみたいこと。
三っ目は、ヘーゲルが初めてまとまった形で論じた弁証法ですが、主観的概念と客観的概念の関係として論じているはずですが、自然と社会、思考法則との関係の問題が、ここでどの様に説かれているのか。

少なくともこんな点は、問題意識として片隅に置いている点です。

二、第二に、先人がこのテキストを、この難しい大著を、どの様に読み解いているのか、大体ですが確認しておくことも大切かと思います。
自分勝手な解釈論は山ほどあるんですが、真摯にその中身を探ろうとしたものは、山と積まれた中でも大変少ないんですよ。それでも、それを見つけて、そうした努力と成果を学ぶことは欠かせないと思うんです。

私の場合ですが、次の二冊がそうした本になります。

一つは、レーニンの『哲学ノート』の「ヘーゲル論理学の摘要」です。全集38巻にあります。
もう一つは、『ヘーゲル大論理学 概念論の研究』(ヘーゲル論理学研究会編 大月書店)。
この二冊です。

前者は科学的社会主義の立場からですし、後者は真摯なその道の研究者の立場からの、それぞれ努力した作品です。この二つのグループですが、それぞれ大事にしたいものです。

私などは、少なくとも『大論理学』を学習するには、この二つは欠かせないものと思っています。いわば先人の貴重な努力の成果がここにあると思っています。しかし、いずれもその道の人には知られているんでしょうが、これまで私などは良くは知らなかった。あまり一般に紹介されてないんじゃないかと感じています。じつに残念なことと思っているんです。もったいないことで、その道の人たちに「なまけものめ!」と義憤さえ感じることもあるんですが。
とにかく、この二つの成果、提起されている論点に通じておくことは、大事だと思うんです。

だいたいヘーゲルの著作はいずれも難解な印象をもちます。
そうした印象論を逆手にして、「自由勝手な」解釈論といったものが氾濫する。「おれがこそが独創的な」解釈をしたんだ、といったものがわんさか出てくる状況があり、そしてそれは避けられないんでしょう。商業主義の世の中ですから。
しかし、私たちが歴史的な成果を学んでいく上では、そうしたフェイントに惑わされずに、難解との印象のあるそのものに即したところの学習が欠かせないわけです。どんなに苦しくても。
私などとしては、この二冊は、それらとは対照的な真摯な研究として学ぶに値すると思っています。こうしたものこそ必要だし、評価がされてしかるべきだと思っているんですが。

ときどきの流行というのは、キャッチコピーやタイトルで、また時々の一点の関心に注目させて販売するわけですが。本当に中身があるのか、疑問です。そんなまどわせの流行書に飛びついて、いくらモグラたたきしても、徒労とはいいませんが、多くの場合に実のある成果をえるには、いくら頑張っても、結果として乏しいことになるんじゃないかと思います。これもメディアに踊らされる、多くの大衆の悲しさですが。

三、オーソドックスにヘーゲルの著作そのものを読み込むことが大事だと思います。

これまでのことは、難解な本体を読むための下準備の作業です。やはり肝腎なのは、ヘーゲルのこのオリジナルな作品自身に、どんなに苦労したとしても直にあたること。
それは簡単じゃないんですが、それが難しいし難しいから、こうした準備もして苦労しているんですが。
しかし他のどんな解説をもってしても、原本に置き換えることは出来ません。
原本にある中身を引き出す必要があるし、そこが大切だし、それが弱いのが問題の問題たるところだと思っているんですが。

そうしたオリジナル作品ですが、
もちろん『大論理学』そのものがありますが、

私の場合、その他に、一つには、先に紹介した『論理学講義 ベルリン大学1831年』があります。
二つに、『小論理学』(岩波文庫)があります。これには、その注釈書として『ヘーゲル「小論理学」を読む』(高村よしあつ著 学習の友社)があります。

前者はヘーゲルが、限られた時間に、実際に講義した講話なんです。ヘーゲルは1831年にコレラの大流行で亡くなりましたが、その1831年の、最晩年におこなわれた講義の筆記録です。学生たちにわかりやすいように、端的に具体的に、配慮されたものとなっています。
後者・『小論理学』は、その大学での講義の時のテキストでもあるんですが、同じ中身ですが、理解しやすいように具体例が多岐にわたって紹介されているんです。


おなじ事柄が、時と場所を変えて、いろいろな表現で語られているんですね。出された時の事情でいろいろ変わってくるんです。若い学生たちに理解しやすいように配慮されて表現している場合もあります。口頭の講義を聞くと、鎧兜でつつんだ鉄壁の文章とはまた違ったものが見えてくると思うんですよ。ここに実際の中身をつかむ上でのヒントがあると思うんです。

私は、ヘーゲルという人は誤解されていると思うんですよ。
「難解な著作」ばかりを書いたと。たしかにそんな印象も分からなくはないんですが。結果として、誤解・先入観のバリアが歴史的に張り巡らされていると思うんですよ。それには解説を書いている人にも責任があると思うんです。その原本にしっかりとあたって、その中身の根拠に基づいて書かれるんじゃなくて、自分勝手な解釈論がそれこそ掃いて捨てるほど氾濫しているんです。自分が分からないくせに、それでいて分かったような高度なトンチンカンを平気で書いている。まったく困ったことです。
やはり、ヘーゲルの作品は古典作品であるとはいえ、今もってその本当の中身の紹介は歴史的な宿題となっていると思うんです。

私などが挑戦するのも、たとえそれが如何に微力だったとしても、他にそれをする人がいなければ、アマチュアでも頑張らざるをえないんですね。研究者の努力が見えてこなければ、努力せざるをえないんです。歴史の宝を持ち腐れにするわけには、放置したままにして置くわけにはいかないじゃないですか。
私などが、四の五の言う必要などないように、その道の人はもっとしっかりしてほしいんですが。

以上、私の『大論理学』の学習の仕方を紹介しました。
これまでに、保留した箇所はたくさんあるんですが、発信したブログについてはこの方法による成果なんです。私なりには、この方法が有効性なことがしめされていると思っているんですが、いかがでしょうか。

さて、これからいよいよ『大論理学』の圧巻の部分です。締め括りの部分です。
残りのあと二つの篇-第二篇「客観性」と第三篇「理念」ですが、これに挑戦していきます。

はたして、どのような成果をそこから見つけ出すことができるか。
当初の目的は始めの方で紹介した通りですが、
名にしおうヘーゲルですが、けっしてそんなことにとどまらないはずです。
はたしてヘーゲルは、私たちにどのような遺産を残してくれているのでしょうか。






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Last updated  2021年08月16日 23時44分10秒
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