エンゲルス『自然の弁証法』、この草稿の一端について
エンゲルス『自然の弁証法』(草稿)、その一端について当方はヘーゲルの『大論理学』に挑戦していているんですが、14回目です。前回紹介しましたが、ヘーゲルを学習する上で、このエンゲルスの『自然の弁証法』草稿の重要性を、再認識させられています。前回はその中身は紹介できませんでしたから、今回はその点での補足です。一、エンゲルスの『自然の弁証法』は、マルクス・エンゲルス全集の第20巻に、『反デューリング論』とともに発表されています。両者が書かれた時期ですが、『自然の弁証法(草稿)』が1873-1883年、公刊された『反デューリング論』が1876.9-1878.6と、かさなりあっているんですね。だけど『自然の弁証法』の方は、刊行されたのがソ連邦での1925年だったそうですから、議論になることが少ないんですね。『反デューリング論』は晩年のマルクスとの共同作業ですし、『自然の弁証法』はその結論とともにエンゲルス独自の「研究ノート」的な性格のものです。前回紹介したように、『自然の弁証法』には、「弁証法」の主題で、二か所が出てきます。①.P379-385での7ページ分と、②.P519-550の30ページ分です。二、その内容ですが、冒頭の部分を引用します。①.P379-385「弁証法」ですが、「1、「自然および人間社会の歴史からこそ、弁証法の諸法則は抽出されるのである。これらの法則は、これらの二つの局面での歴史的発展ならびに思考そのものの最も一般的な法則にほかならない。それらはだいたいにおいて、三つの法則に帰着する。 量から質への転化、またその逆の転化の法則、 対立物の相互浸透の法則、 否定の否定の法則。これらの三法則はすべて、ヘーゲルによって彼の観念論的な流儀にしたがってたんなる思考法則として展開されている。第一の法則は『論理学』の第一部の存在論のなかにあり、第二の法則は『論理学』のとりわけ最も重要な第二部の本質論の全体を占めており、最後の第三の法則は全体系の構築のための根本法則としての役割を演じている。 誤謬は、これらの法則が思考法則として自然と歴史とに天下り的に押しつけられていて、自然と歴史とからみちびきだされていないという点にある。 とわいえヘーゲルを少しでも自分なりに知っているものにとっては、ヘーゲルが何百もの箇所で自然と歴史とからの弁証法の諸法則の適切な個別的例証をあたえていることもわかるだろう。」(P379)三、じつに明快ですね。さすがエンゲルスです。1830-40年代の青春時代につかんだ弁証法的唯物論の真理と確信を、明快な概念で表現しています。私などは、ヘーゲルの『大論理学』自体にあたって中身をつかもうとしているんですが、とかく、うっそうとした森の中に入りこんじゃうんです。この結論を聞くようには、実際にそれをつかみ表現することは、けっして簡単なことではないんです。そうしたなかで、この叙述をみると、じつに分かりやすく問題の全体像が紹介されています。エンゲルスは弁証法について、ここで3つの法則を指摘しています。ヘーゲルはもちろんそれを事柄としては説いていますが、このように簡潔・明瞭なものではありません。ヘーゲルの「逆立ち」問題が、霧の中のように分かりにくくしているんです。ところで、ここでのエンゲルスの弁証法についての総括ですが、これは歴史的にみると最初のものなんですね。弁証法を「おおまかに」三つの法則としてまとめた最初のものなんです。その後の、古今東西の社会科学者による出版物は、誰しもこの特徴を基軸にして展開されています。真理のレールの開拓は、エンゲルスのここにあったんですね。この弁証法が、自然と社会と、人間の思考の一般的な法則であるとの本質に関する提起も、ヘーゲルの逆立ちを正した結果で明瞭です。私など『ヘーゲル論理学』を学ぼうとする者にとって、第一部有論、第二部本質論の、その全体像について、端的にアドバイスしてくれています。四、②.P519-550の「弁証法」30ページ分ですが。これは、まだこれからあたるところで、確たることはいえないんですが。ここにエンゲルスは、全体で42節のコメントを書き遺してくれています。これまで私などは、難攻不略な『大論理学』をよじ登っていくうえでは、レーニンの『哲学ノート』の抜粋とコメントだけが頼りといった状況だったんですが。ここにたのもしい遺産が残されていたということです。論理学の個々の概念を、エンゲルス流に吟味してくれていたということです。しかし、問題は私などがみるのに、『自然の弁証法』がそうした価値あるものとして、紹介されている例が、ほとんどないんですね。私などの狭い認識がもつ誤解であるならすくわれるんですが。もしも、それが当たっているとすれば、歴史的な怠慢ということです。せっかくの宝を、持ち腐れにしてきているということです。この側面も、『自然の弁証法』の論理学での探求史の面も、確かめてみたいと思っています。