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2021.12.09
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カテゴリ:教養書

原始時代から現代までのサピエンスの社会の変化をざっくりと解説した本。

●各章の面白かったところのまとめ

第1部 認知革命
第1章 唯一生き延びた人類種

人間は二足歩行するようになって女性の骨盤が小さくなったので未熟な状態で子供を産むようになり、子育てには仲間が力を合わせる必要があるので社会的絆を結べる者が進化で優遇されて、未熟な状態で生まれるがゆえに他のどの動物よりも教育して社会生活に順応させることができる。30万年前に日常的に火を使うようになって調理できるようになり、エネルギーを使う腸が短くなったぶん頭が発達したと考える学者もいる。
ホモ・サピエンスと他の人類が交わったという交雑説と、ホモ・サピエンスが他の人類を滅亡させた代替説があって、DNAの調査で中東とヨーロッパの現代人のDNAのうち1-4%がネアンデルタール人のDNAで、オーストラリア先住民の固有の遺伝子の最大6%にデニソワ人の遺伝子があったので、一部は交雑したことが判明した。

第2章 虚構が協力を可能にした

ホモ・サピエンスは共通の神話という虚構を集団で信じることで協力できるようになった。社会的な動物の行動は遺伝子によって決まっていて突然変異なしでは行動は変化しなくて、ホモ・エレクトスは200万年石器を使い続けていたが、ホモ・サピエンスは認知革命によって遺伝子や環境の変化を必要とせずに振る舞いを変えて新しい行動を後の世代に伝えた。以前よりも大量の情報を伝えられるようになって、大きくまとまりがある集団を作って、見知らぬ人同士で協力できるようになって、協力して道具を作れるようになって進歩した。

第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし

進化心理学では現在の人間の社会的特徴や心理的特徴の多くは農耕以前の長い狩猟採集時代に形成されたと言われている。狩猟採集民は生き延びるために誰もが素晴らしい能力を持つ必要があった一方で、狩猟採集時代以降は農業や工業で他者の技能に頼れるようになって脳の大きさは縮小した。狩猟採集民は資源が豊富で様々な食料をとっていて栄養不良になりにくい一方で、農民は小麦やジャガイモや稲などの単一の作物でカロリーの大半をとって栄養素を欠いていた。犬しか飼いならしていない狩猟採集民は家畜由来の疫病にかからなくてまばらに住んでいたので感染症にもならなかったが、農耕社会や工業社会では人口が密集した不潔な定住地で暮らしていた。
狩猟採集民は平和で農業革命で私有財産を蓄えるようになってから戦争や暴力が現れた説と、狩猟採集民は並外れて残酷だという説があるが、どちらも証拠がない。狩猟採集民は多種多様な宗教と社会構造を持っていたので場所や時期によって暴力の度合いも様々だったと思われる。

第4章 史上最も危険な種

サピエンスは認知革命の後にアフロ・ユーラシア大陸から移住するのに必要な技術や組織力を獲得した。4万5千年前にインドネシアの島に住んでいたサピエンスが海洋社会を発達させてオーストラリア大陸へ移住して、その後数千年で体重が50キロ以上のオーストラリア大陸の動物24種のうち23種が絶滅して生態系が変わったが、気候変動が原因とは考えにくい。

第2部 農業革命
第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇

放浪の狩猟採集民には乳幼児が重荷なので子供を産む感覚を3-4年置いていたが、中東の気候が小麦の育成に理想的になってナトゥーフ人が小麦を栽培して定住するようになり、村落で食料の供給が増えると女性は毎年子供を産めるようになって、子供を母乳でなく粥で育てられるようになると余剰の食物はなくなって兄弟姉妹と競っておかゆを手に入れようとして子供の死亡率が急上昇して、ほとんどの農耕社会では3人に1人の子供が20歳になる前に死亡したが、死亡率の増加を出生率の増加が上回って負担が大きくなっていった。何世代もかけて社会が変わったころには以前の暮らしを思い出せる人がいなくなって、人口が増加して後戻りができなくなったので、農耕をやめなかった。

第6章 神話による社会の拡大

狩猟採集民はその日暮らしで食べ物を保存したり所有物を増やしたりするのが難しかったので未来を考えなかったが、農業は未来のために働く必要があって、干ばつや洪水などの未来を心配して手を打つ必要があった。
余剰食糧と輸送技術が組み合わさって多くの人が歳に密集して暮らせるようになったが、養えるというだけでは分配や紛争の解決には不十分で、神話を共有していたおかげで見知らぬ人同士が協力できた。ハンムラビ法典もアメリカ合衆国の独立宣言も神話で、共同主観的な想像上の秩序である。

第7章 書記体系の発明

アリやミツバチは社会を維持するのに必要な情報の大半がゲノムにコード化されているが、サピエンスの社会秩序は想像上のものなので、DNAの複製を作って子孫に伝えるだけでは秩序を保つのに不可欠な情報を維持できない。帝国は法律や税金の記録や目録などの膨大な量の情報を生み出すが、人間の脳は容量が限られていて、死ぬと脳内の情報が消えて、人間の脳は動植物の形状や集団の関係などの特定の種類の情報だけを処理するように適応して大量の数理的データを扱う必要に迫られなかったので、脳は帝国サイズのデータベースの保存装置としてはふさわしくない。古代シュメール人は脳の外で情報を処理して保存する書記というシステムを開発して、都市や王国や帝国の出現への道を開いた。アンデスでは縄に結び目を作るキープという書記体系に数理的データを記録した。

第8章 想像上のヒエラルキーと差別

人類は大規模な協力ネットワークを維持するのに必要な生物学的本能を欠いているのに、想像上の秩序を生み出して、書記体系を考案することでネットワークを形成したが、その秩序によってヒエラルキーを成す架空の集団に分けられた。ヒエラルキーのおかげで見ず知らずの人同士が個人的に知り合うために必要とされる時間とエネルギーを浪費しなくてもお互いをどう扱うべきなのか知ることができる。
能力を磨く機会があるかどうかはヒエラルキーのどの位置にいるかで決まり、違う階級の人が完全に同じ能力を開発したとしても異なるルールで勝負しなければならないので同等の成功を収める可能性は低い。さらに穢れと清浄の概念が支配階級が自らの特権を維持するために利用されて、女性やユダヤ人やロマやゲイや黒人などは穢れの元と思い込まされて分離されて差別される悪循環になる。

第3部 人類の統一
第9章 統一へ向かう世界

ホモサピエンスは人々を「私たち」と「彼ら」の二つに分けられると考えるように進化したが、認知革命を境に彼らを兄弟や友人と想像して見ず知らずの人と協力し始めた。紀元前1000年期に普遍的な秩序となる可能性を持った貨幣、帝国、宗教が登場して、私たちVS彼らという二分法を超越した。

第10章 最強の征服者、貨幣

狩猟採集民には貨幣がなく、集団は経済的に自立していて、よその人から手に入れる必要があるのは地元では手に入らない少数の珍しい品だけだったので単純な物々交換ができた。都市や王国が台頭して輸送インフラが充実すると、靴職人などの専門職やワインやオリーブ油などの製品に特化した村落ができて、専門職同士の物々交換の管理に問題がでて、貨幣を作り出した。王が貨幣を信頼してそれで税金を払うように要求するので我々も貨幣を信頼していて、貨幣の偽造は君主の支配権の侵害なので大逆罪として拷問や死刑になった。
歴史上の最初の貨幣はシュメール人の大麦貨幣で、特定の量の大麦のシラが普遍的尺度として使われたが、保存や運搬が難しかった。紀元前3000年紀半ばに古代メソポタミアで銀の重さを単位にするシェケルが出現して、やがて硬化の誕生につながって、リュディアの王アリュアッテスが紀元前640年ごろに史上初の硬化が作られた。ローマのデナリウス銀貨は信頼が厚くて帝国の外でも使われて、デナリウスは硬貨の総称になって、イスラム教国家では名前がアラビア語化されてディナールを発行した。

第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン

帝国は異なる文化的アイデンティティと独自の領土をいくつもの別個の民族を支配していること、変更可能な境界と潜在的に無尽の欲があることを特徴とする。ハプスブルク帝国が婚姻同盟によってまとめあげられたように帝国は軍事的征服によって出現する必要はなく、独裁的な皇帝に支配されている必要もなく、大きさも関係なくてアテネ帝国やアステカ帝国のような小さな帝国もある。帝国は過去2500年で世界で最も一般的な政治組織で、非常に安定した統治形態だったが、帝国を建設するにはたいてい大量の人を殺戮して残り全員を迫害する必要があった。

第12章 宗教という超人間的秩序

狩猟採集民は動植物を対等の地位とみなしていたが、農業革命には宗教革命が伴っていて動植物は資産に格下げされた。人間は支配した動物を繁殖させる方法を悩んで、豊穣の女神、空の神、医療の神などの神々が人間と口の利けない動植物との仲立ちをしてこの問題の解決策を提供したので重要性を獲得して多神教の宗教の出現につながった。多神教は力の限られた多数の神的存在を信じているので、度量が広くて異端者や異教徒を迫害することはめったにない。
多神教の信者の一部は自分の守護神を気に入って、自分の神が唯一の神で宇宙の至高の神的存在であると信じて一神教が生まれた。多神教では善と悪の対立する力の存在を認める二元論があったが、一神教では全知全能の神がなぜ世界に悪や苦しみがあることを許しているのか説明するのに困り、神はそうすることで人間に自由意思を持たせているのだと説明するものの、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教は悪魔の存在を信じている人が多い。人間には矛盾しているものを信じる才能があって、混合主義と呼ばれる。

第13章 歴史の必然と謎めいた選択

多数の小さな文化から少数の大きな文化へ、ついには単一のグローバルな社会への変遷は人類史の必然的結果だった。歴史は決定論では説明できないし、二次のカオス系なので正確に予想することは決してできない。歴史の選択は人類の利益のためになされるわけではない。

第4部 科学革命
第14章 無知の発見と近代科学の成立

1500年ごろまでは人類は新たな力を獲得する能力が自らにあるとは思えなかったが、過去500年間に科学研究に投資することで自らの能力を高められると信じるようになった。近代科学は進んで無知を認める意思があり、観察と数学を中心にして説にまとめあげて、テクノロジーの開発で新しい力の獲得を目指す点で従来の知識の伝統と異なる。

第15章 科学と帝国の融合

コペルニクスが太陽が宇宙の中心に位置していると主張した後に天文学者は太陽は地球からどれだけ離れているかに興味を持って、太陽と地球を結ぶ線上を近世が通過する時間を観測するためにヨーロッパから世界各地に遠征隊が出向いて、ロンドン王立協会は天文学者チャールズ・グリーンをタヒチ島に派遣することにして、植物学者や科学者や画家を同行させてクック船長が指揮する遠征隊が1769年にタヒチを調査した。クックは柑橘類で壊血病が回復するというイギリスの医師ジェイムズ・リンドの手法を取り入れてリンドの手法の正しさを証明しただけでなく、天文学、地理学、気象学、人類学に関するデータは政治や軍事にも価値があって、イギリスが世界の海を支配して地球の裏側にまで軍隊を派遣する力を持つことに貢献して、オーストラリア、タスマニア、ニュージーランドが征服されて植民地としてヨーロッパ人が入植して先住民が殺戮された。
ヨーロッパはアジアの列強には及ばなかったが、アジアの国々が外界に興味を持っていなかったのでヨーロッパ人がアメリカを征服して海上での覇権を得ることができた。フランス人やアメリカ人はイギリスの最も重要な神話と社会構造をすでに取り入れていたのでイギリスを見習ったが、中国やペルシアは考え方や社会の組織が異なっていたので、すぐに模倣したり取り込んだりできなかった。

第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

近代以前はビジネスはゼロサムゲームのようにとらえられて、パイの大きさが変わらないので誰かがたっぷり取ると誰かの取り分が減ると考えられて、多くの文化で大金を稼ぐことが害悪とみなされて、経済が停滞したままだった。そこに科学革命が起きて、進歩という考え方が登場して経済に取り入れられて、将来に信頼を寄せるようになり、信用(クレジット)に基づく経済活動で将来のお金で現在を築けるようになった。アダム・スミスが『国富論』で個人起業家の利益が増すことが全体の富の増加の反映の基本だという主張は人類史上屈指の画期的な思想だった。自由市場資本主義は利益が公正な方法で得られることも公正な方法で分配されることも保証できず、成長が至高の善として倫理的なたがが外れると大惨事につながり、奴隷貿易が盛んになり、19世紀の産業革命は無数の労働者を貧困に追いやった。

第17章 産業の推進力

経済成長にはエネルギーと原材料が必要で、どちらも有限だがどちらかが不足して経済成長が減速する恐れが出るたびに科学とテクノロジーの研究に資本が流れ込んで、既存の資源のより効率的な利用法だけでなく、新しい種類のエネルギーと原材料が見つかった。
産業革命以前は木、風力、水力のエネルギーを使っていたものの別の種類のエネルギーに変換する方法がわからなくて、使うことができるエネルギー変換装置は人間と動物の体だけだったが、産業革命で蒸気を動力に変換できるようになった。

第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和

産業革命は人間社会に大激変をもたらして、時間遵守、都市か、小作農階級の消滅、工業プロレタリアートの出現、庶民の地位向上、民主化、若者文化、家父長制の崩壊などがあるが、最も重大な社会変革は家族と地域コミュニティの崩壊と、それに取って代わる国家と市場の台頭だった。親密なコミュニティは衰退して、国民と消費者という想像上のコミュニティが台頭して、膨大な数の見知らぬ人々が自分と同じコミニティに帰属して、同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると想像させようとしている。
暴力の大部分は家族やコミュニティ間の不和の結果だったが、国家の台頭のおかげで暴力は減少した。核兵器で戦争の代償が大きくなったことと、戦争で得られる利益が減少したことで帝国は衰退する。歴史の大半で敵の領土を略奪したり併合したりすることで畑、家畜、奴隷、金などの富を手に入れられたが、今では富は主に人的資源、技術的ノウハウ、銀行のような複合的な社会経済組織からなるので富を奪うのは困難になっていて、イラクのクウェート侵攻のように旧来の物質的な富に依存する地域では国家間の全面的な戦争が起きている。伝統的な農耕経済では遠隔地との取引や外国への投資はごくわずかで平和にたいした得はなかったが、現代の資本主義経済では対外貿易や対外投資が重要になって平和からはこれまでにないほどの利益が上がるようになった。

第19章 文明は人類を幸福にしたのか

富は幸福をもたらすが、一定の水準を超えるとほとんど意味を持たなくなる。家族やコミュニティは富や健康よりも幸福感に大きな影響を及ぼすが、過去二世紀の物質面の劇的な状況改善は家族やコミュニティの崩壊で相殺されてしまった可能性がある。
幸福は客観的条件と主観的な期待との相関関係によって決まる。科学から見た幸福では主観的厚生は外部要因でなく、神経やニューロンやシナプスやセロトニンやドーパミンやオキシトシンなどの生化学物質に決定される。仏教は幸せは外の世界の出来事でなく体の中で起こっている過程に起因するという生物学的な見識を受け入れているが、つかの間の感情を空しく求めることが苦しみの根源だとして、感情を渇愛することをやめるべきだという異なる結論に行きつく。しかしこの考え方は喜びの感情を必死で追い求めることに人生を費やしている現代の自由主義の文化とはかけ離れているため、仏教に初めて接した西洋のニューエイジ運動では内なる感情に耳を傾けるべきだというブッダの教えとは正反対の主張になった。

第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

サピエンスはどれだけ努力しようと生物学的に定められた限界を突破できないというのがこれまでの暗黙の了解だったが、21世紀にサピエンスは限界を超えつつある。生命の法則を変える方法は、自然選択の法則を破る生物工学、サイボーグ工学のバイオニック生命体、コンピュータープログラムなどの完全に非有機的な存在を作り出すことの三つの方法があって、どの形でも自然選択に取って代わりうる。
サピエンスの歴史に幕が下りようとしているのだとしたら、私たちは何になりたいのかという疑問に答えるために時間を割くべきだが、ほとんどの人はそれについて考える気になれない。

●感想

この本では人類がどうやって原始的な状態から社会を作ってきたか、認知革命、農業革命、科学革命、産業革命と順番にわかりやすく解説されていて予備知識がなくても読める。歴史や人類学や政治や経済に興味がある人にはおすすめで、特にグローバリズムや移民問題を考えるうえでは読んでおいたほうがよい。上下巻で3800円するのは私には高くて文庫になるまで待てなかったので中古で買ったけれど、興味がある人は新品を買っても値段分の面白さがあると思う。1日1章読んでも20日ぶんの暇つぶしができてよい。

というわけでグローバリズムと移民問題について考えることにする。私たちは何になりたいのか?と著者が投げかけた疑問に対しては、私たちを考える前に、私は何になりたいのかというアイデンティティの問題が必然的に出てくる。たぶんたいていの人は今の自分の国籍や宗教や文化のアイデンティティを保ったままそこそこ物質的に豊かになって幸福になりたいという答えになるのではなかろうか。国家が台頭して家族やコミュニティが壊れたからこそ、グローバリズムを推進して国家という想像上のコミュニティが壊れたらもはや消費者という想像上のコミュニティしか残らなくなる。しかし第19章で富よりも家族やコミュニティのほうが幸福への影響が大きいと著者がいうように、人間が幸福であろうとしたら単に消費者として豊かであるだけでは不満を持って、また家族やコミュニティへの再帰が起きる流れになると思う。最近は日本で岸田総理が外国人労働者の在留資格の緩和をしようとしているけれど、私は日本の歴史や文化を尊重しない外国人を単なる安い労働力として受け入れる移民政策には反対である。グローバリズムで国境をなくそうとするのではなく、インターナショナリズムで相手の国を尊重しつつ文化が違うもの同士で友好関係を築いて互恵的経済発展を目指すべきで、そうでなければ第二次世界大戦後に旧植民地の国が独立して固有の文化を持った主権国家となった意味がないではないか。
そんで移民に経済的なメリットがあるかというとあまりない。アメリカや中国みたいに金に糸目をつけずに世界中の一流の研究者や技術者を集めることができるのなら新しい技術が発明出来てメリットがあるだろうけれど、人件費をコストとみなして削減しようとするケチな日本ではそれができない。旅行するのが大変だった近代以前なら異文化を取り入れるのはヘレニズムとかロマン主義とかの文化的な発展につながったけれど、いつでもネットで交流できる現代で高度な技能を持っているわけでもない普通の外国人を連れてきたからといって文化や産業が発展するものでもなくて、労働集約型産業の機械の代わりの動力源になる程度である。第16章に書いてあるように本来は利益は国内への投資と雇用のために使われるべきで、日本も国内への投資をして日本人を雇ったから第二次世界大戦で負けて焼け野原から奇跡的な経済成長ができたのに、新自由主義政策をとりだしてからおかしくなって、1990年代は一人当たり名目GDPは3-4位だったのに、2003年から11位に低下して、2020年は24位まで低下している。日本人を雇わずに移民を雇ったり、従業員や下請けの給料を削って大企業が利益を出したぶんが配当として外国人株主に取られてそれが外国への投資に使われたら内需が減ってデフレになって世界が経済成長する中で日本だけ30年経済成長せずに貧しくなって当然である。移民を入れる前にまず国内の失業者をなくしたり生活保護受給者の経済的自立に取り組むのが先だし、移民を入れるにしても、送り出し機関に借金して日本に来る外国人技能実習生は移動の自由や職業選択の自由を制限された奴隷制度みたいなもので、日本は中国の人権侵害を批判する以前に自国の制度も見直すべきだろう。
第8章に人はヒエラルキーで決まると書いてあるのはその通りで、中国秦代の宰相の李斯が便所で人や犬に怯えながら汚物を食べる鼠と兵糧庫で人や犬に怯えずに粟をたらふく食べた鼠を見て居場所がすべてだと悟ったように、ヒエラルキーは昔からの社会の真理のように見える。それゆえに教育と機会の均等で才能を拾い上げて適職につかせて分業するのが重要なのだけれど、低スキルの単純労働力として扱われる移民はヒエラルキーから抜け出せない最下層となって格差を拡大させてしまう。この点ではEUで大量に移民を受け入れた失敗が顕著になっている。スウェーデンで新首相が移民に対してスウェーデン語を覚えて働くように要求したのが話題になったように、経済移民はたいてい母国よりも手厚い福祉に集りに来ていて働かなくて、言葉を話せないので就職先が限られて貧困からギャング化して犯罪をするようになって、スウェーデンの殺傷事件の発生率はヨーロッパ最低レベルから最高レベルに増えて治安が悪化している。オランダも同様に多文化主義で受け入れたムスリムがオランダ語を話せずに落ちこぼれて低学歴低スキルになって、移民の失業率がオランダ人よりも高くてエスニック地区で貧困と暴力が蔓延して福祉行政の破綻を心配し始めている。移民に対して同化主義をとるフランスでさえ一気にたくさん移民が来て自分たちでコミュニティを作ってしまって同化に失敗しているくらいだから、多文化共生を掲げたら価値観の違いで衝突して当たり前だろうに、リベラルは寛容な自分に酔って移民を推進して、寛容の限度に達してようやく理想と現実は違うと理解したらしい。
迫害された難民をかわいそうだからといってヨーロッパに連れてきたところでアイデンティティを捨てない限り結局は自治権を求めるだろうし、先住国民と移民の新国民の不和はいずれ自治権の問題に発展する。第18章で戦争は割に合わなくなったので平和になって、大半の国々が全面戦争を起こさないのは単独では国として成り立ちえないのが理由だと書いてあるけれど、自治権をめぐる紛争は割に合うか合わないかとか国として成り立つかどうかの話ではなくてアイデンティティの問題なので利益を度外視して行われている。近年のたいていの紛争はアイデンティティの相違と自治権が原因で、例えば中東のクルド人にはトルコ人やイラン人の多数派とは違うアイデンティティがあって自治権を求める独立武装派がいるのでテロ組織扱いされて迫害される原因となっている。ヨーロッパは陸続きなので有史以来隣の国を侵略し合って、帝国主義が終わってようやく戦争がなくなって落ち着いてきたのに、また言語も宗教も異なる移民を入れて自ら紛争の種を蒔いていて、民族の自治権を求めて争ったユーゴスラヴィア紛争から教訓を学んでいないのではないか。特にイスラム教徒は法律よりも戒律を優先して、教義で改宗を認めないので同化しにくい。ドイツのメルケル元首相やフランスのサルコジ元大統領は大量の難民を受け入れる以前の2011年頃にはすでに多文化共生は失敗だったと認めていたけれど、現在はヨーロッパ各国のイスラム教徒の比率は5-8%で、2050年にはドイツ、フランス、オーストリアでは20%近くなると予想されている。積極的に世界中にイスラム国家を樹立しようとする勢力もいて、イギリスの女王にイスラム教に改宗するか国家を去るように求めたり、バッキンガム宮殿をモスクに変えるように求めたりしているし、将来的にはヨーロッパでイスラム教徒が多い地域が独立する可能性もある。内乱や独立戦争が起きたら多文化主義は単なる失敗どころでなく国家が分裂したり崩壊したりする要因になる。
第18章に国家が台頭して暴力が減ったと書いてあるように、安全であるためには個人よりも法律を優先してある程度自由と権利を抑制しなければならない。このときに信仰の自由があるので宗教は規制できないのが治安上の弱点になる。近代以前は為政者が統治のために異民族や異教を意図的に排斥してきたものの、現代の自由主義の国では特定の人種や民族や宗教を理由にして国民を排斥することは人権侵害になるので、一度移民を入れたら排斥して元の状態に戻すことはできなくて、治安を犠牲にして移民の権利を守るか、治安を守るために移民の権利を犠牲にするかというジレンマを抱えることになる。それゆえに移民に対して厳しく慎重な態度を取るのが賢明な自治の考え方で、例えばシンガポールは明るい北朝鮮と呼ばれるくらいに自由が制限されていて、言論の自由が制限されてデモや集会が禁止されていて、移民国家でありながら移民が政治的主導権を取れないような仕組みになっている。移民国家のアメリカでも国家の危機だと判断した時は個人の権利を侵害していて、冷戦の時は思想が違う人を取り締まって赤狩りをしたし、同時多発テロが起きた時は中東系の人を不当に拘束している。逆にヨーロッパでは移民に対する規制がなくて誰でもウェルカムしてアフリカや中東の移民を入れたがゆえに移民によって国家のアイデンティティが壊れることを危惧して右傾化が起きて、ノルウェーで移民推進派議員の子供を狙って大量殺人事件を起こしたブレイビクやニュージーランドのモスク襲撃事件を起こしたタラントのような反移民テロリストが現れて強行的に移民を排除しようとするわけである。個人が事件を起こすだけならテロだけれど、民族同士が対立すると民族紛争や少数民族迫害になる。同じ宗教の人なら人種が違っても仲良くできるだろうけれど、違う宗教の人同士は融和しないのは歴史が証明している。アイルランドはカトリック、北アイルランドはプロテスタントで宗教の違いから融和することがなくて、同じ小さな島に住んでいながら長年紛争を続けている。パキスタンはインドから独立したイスラム国家だけれど、同じイスラム教でもスンナ派がシーア派の少数民族ハザラ人を異端者とみなして攻撃している。キリスト教徒でもカトリックとプロテスタントで対立して、イスラム教徒でもスンナ派とシーア派で対立を続けている段階なのに、他の宗教とうまく付き合えるとは思えない。各国で起きている内乱はたいてい宗教の違いが原因なので、混ざらないで別々に暮らして自治をするほうが平和である。
移民受け入れで得をするのは農場や工場とかの労働集約型産業に安い労働力がほしい経営者なので、移民受け入れを主導するのはグローバリストの経営者や政治献金を受ける政治家である。次に得をするのは発展途上国から先進国に来て生活水準を上げたい移民自身で、移住しただけですぐにインフラや福祉を享受できるので、グローバリストと移民の利害が一致する。そこに国家や国境を破壊したがっているリベラルが乗っかる形になる。租税回避するグローバル企業に社会保障費として相応の税負担をさせることができず、雇った移民が起こした問題に対しても雇用者としての責任を取らせることができないまま貧しい移民を大量入れると、必然的にフリーライドを許すことになって、元々その国に住んでいた庶民にとっては移民が増えることで得をすることはなく、むしろ増税や福祉の削減や失業や治安悪化などで損害を被ることになる。フランスの黄色いベスト運動では富裕層を優遇するグローバリストのマクロン大統領を批判しているように、庶民にとっての敵は隣の移民ではなくグローバリストである。
クルーグマンとかの経済学者は国民の文化や幸福は無視して経済合理性だけ考えて日本は移民を入れるべきだというけれど、日本人は経済を考える前にヨーロッパの移民政策の失敗と日本の移民の状況をよく見ておくべきである。すでに日本では移民絡みのもめ事があちこちで起きていて、群馬あたりでは農作物の窃盗やドラッグストアの窃盗が多発していてギャング化したベトナム人がフェイスブックで盗品や偽造在留カードを売りさばいているし、大分県杵築市で平成14年に中国人留学生を世話していた人が強盗殺人の被害にあったし、イスラム系移民が土葬を求めたり学校の給食にハラール食を出すように求めたりして揉めているし、宗教関連施設は異質なものとして認識されて破壊の対象になりやすくてナイジェリア人が愛媛県西条市で仏像を破壊したり、この男が住む阪南市で大量の墓石が破壊されたり、サウジアラビア人が浅草寺の仏像を破壊したりしている。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているので、日本でムスリムの移民が増えたら漫画やアニメやフィギュアといった日本ならではのサブカルチャーが迫害される可能性もある。あるいはイギリスみたいに天皇がイスラム教に改宗するように要求されたり、皇居にモスクを建てるように要求されることだってありうる。宗教に配慮しろという要求が外国人からの要求なら無視できるけれど、移民が日本国籍を持ってしまうと移民系議員が出てきて要求を無視できなくなる。使い捨ての労働力として移民を欲しがっている経団連や一次産業の経営者や、外国人に投票権を与えようとしている武蔵野市とかの左翼は日本の文化が変容してアイデンティティをなくして国民が幸福でなくなる可能性についてどう考えているのか。今より幸福になれないどころか今より不幸になるなら移民を入れる意味がないではないか。移民について考える際には、人手不足や少子化が云々とかよりも、私たちは何になりたいのか?という著者の問いをまずは考えるべきだろう。

★★★★☆

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]
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サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]






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最終更新日  2021.12.09 15:32:47
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