1901131 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

三角猫の巣窟

三角猫の巣窟

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カテゴリ

フリーページ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

サイド自由欄

コメント新着

三角猫@ Re[1]:読書会について考える(04/18) New! あたたさんへ ビブリオバトルなるものを…
あたた@ Re:読書会について考える(04/18) New! ビブリオバトルはどう思いますか? 営業ト…
三角猫@ Re[1]:カンニングについて考える(03/25) 四角いハムスターさんへ 日本の大学は入…
四角いハムスター@ Re:カンニングについて考える(03/25)  勉強の本来の目的は自分の心を豊かにす…
三角猫@ Re[1]:時代劇について考える(03/04) 四角いハムスターさんへ チョンマゲをつ…
2024.02.15
XML
最近は一部の脚本家が原作者や同一性保持権を軽視して原作を有料加工素材のように雑に扱って好き勝手に脚色して原作レイプしていることに多くの人が憤っている。その一方でNews PicksのYouTubeの動画で日本料理店の龍吟(りゅうぎん)のオーナーシェフの山本征治が落合何某と対談していて、うなぎを料理することはできるけれど自分でうなぎは作れないので材料を大事にするというようなことを言っていて、一流の人は良いことを言うなあと感心した。というわけで徒然なるままに材料について考えることにした。

●材料とは何か

材料とは何かの目的の為に使われる素材のことである。農業をしたい人にとっては大きな岩が邪魔だけれど、石屋にとっては石材として商品になるように、目的次第で物の価値は違っていて、目的に適するものは材料としての価値をもつ。たいていはまずは何かの目的があって、その目的を達成するために適した材料を探したり開発したりする。例えば服屋は乾きやすい服や丈夫な服を作る目的のために合成繊維を開発して、ゴアテックスだのなんだのを材料にして機能性が高い服を作って差別化する。あるいは廃棄物を有効活用するために用途を考えるアプローチもあって、例えばホタテの貝殻はそのまま産業廃棄物として棄てると処分費用がかかるし貝殻の塩分で土壌汚染もするけれど、貝殻を焼いて塩分を除去すれば肥料用の炭酸カルシウムとしてリサイクルできる。理系の大学の研究室はとりあえず何かの物質を開発してみてから何かの用途に使えないか考える方法をとることもできるけれど、研究開発費がかかる一方ですぐに収益につながるわけでもないので営利企業はそういう方法はやらない。
何かを本来の目的とは違う目的のための材料にすることは例え合法であっても倫理的に批判されがちで、例えば本来はおいしく食べてもらう目的で調理された食品を食べずに破壊することで動画のネタにする食べ物を粗末にする系YouTuberとか、本来は故人を追悼する目的で行われた芸能人の葬儀に行って参列した芸能人に絡んで動画のネタにする迷惑系YouTuberとかは批判されている。社会を良くしようとしたり人を幸福にしようとしたりするような有意義な目的がない人たちが何を材料にしたところで社会のためにならない。良い目的があってこそ良い材料たりえる。
サルトルの「飢えている子供たちを前にして文学に何ができるのか?」という問いみたいな、もともとの目的と無関係な目的を持ち出すのは不毛である。文学は食べてもらうためでなくて読んでもらうために作られているのは自明だし、どんな目的にも使える万能の材料などそもそもない。ライスペーパーにイカ墨で小説を印刷して春巻きを作ったり、饅頭に漢詩の焼き印を押したりしたら一応食べられる文学を作れなくもないけれど、飢えた子供は文学なんかどうでもいいだろう。素直に「飢えている子供たちを前にして何ができるのか?」と考えた場合に文学以外の効果的な手段がたくさんあるのだから「文学に」と限定する意味がない。「糖尿病の大人たちを前にして文学に何ができるのか?」とか「工学部の受験を控えた理系の高校三年生を前にして文学に何ができるのか?」とか「住宅地に出没する熊を前にして文学に何ができるのか?」とかどんな問題でも文学で解決しようとするやつがいたらただの阿呆である。

・材料調達の重要性

何かの物を作るにはまず材料が必要で、材料を加工するために道具が必要で、うまく加工するには技術が必要になる。論語で「朽木は雕るべからず」(腐った木には彫刻できない)というように材料がだめだったら良い道具やすごい技術があってもどうにもならないので、良いものを作ろうと思ったらまず良い材料が必要になる。それゆえに材料の目利きができて材料を調達できることも製作者には必須の能力となる。例えば陶器を作ろうと思ったら陶器に向いた土が必要になるので、陶芸家は土の目利きをして陶器向きの良い土が取れるところのそばに窯を作る。良い日本刀を作るには炭素含有量が少ない玉鋼が必要で、中世の刀工は化学の知識もないのに経験から良い材料を見極めて国宝になるほどの名刀を作った。資源が乏しい日本で料理や工芸とかの様々な文化が発展したのは限られた材料を吟味して有効活用してきたおかげだといえる。
しばしば寿司職人の長年の下積みの修行は無駄とか言われるけれど、これは材料調達を無視した意見だと思う。魚を捌いたり寿司を握ったりする技術だけなら料理学校やYouTubeの動画でも教えられるけれど、料理学校ではネタの仕入れ先は教えないし、安定した仕入れができないと寿司職人にはなれても寿司屋の経営はできない。魚屋や仲卸は大手や老舗とかの得意先を優先していい魚を売っていて、新人のすし職人がいい魚を欲しがったところで卸してもらうことはできないので、老舗の寿司屋の看板を利用して魚屋に顔を覚えてもらったり魚を見る目を培ったりすると言う点では寿司屋で修行するのは無駄ではないだろう。動画とかで技術のコツが共有されて技術が普遍化すると、限られた資源の中から良い材料を調達するほうが相対的に難しくなるので、材料調達の能力のほうが重要になる。ガイアの夜明けかなんかのドキュメンタリーで見たけれど、イギリスらへんで寿司屋を開業した人は地元の魚屋の魚は鮮度が悪いので寿司ネタにできる新鮮な魚を手に入れるところからはじめないといけなくて、漁船に乗って地元の漁師に魚のしめ方を教えて寿司ネタにできるくらい鮮度のいい魚を調達していた。寿司を握る技術が同じだとしても、外国で新鮮な寿司ネタを現地調達できれば冷凍のサーモンやマグロに頼っている他の寿司屋よりも仕入れで優位性を持てるわけである。
ものづくりだけでなくて小説や漫画とかのコンテンツ作りでも材料が必要で、道具はパソコンとかの誰でも買えるものなので道具の差はあまり出ないけれど、そのぶん材料と技術で差がでる。小説では言葉の文法とかの一般的なルールに従う必要があるし、新しい文学理論や描写技術が開発されていなくて他人が真似できないほどの超絶技巧はないのでプロ同士の技術の差はあまり大きくなくて、取材に金と時間をかけてテーマを掘り下げてネタを吟味することが作品の出来を左右していて、例えば外国が舞台の小説や企業の内幕を掘り下げた経済小説や膨大な資料を調べる必要がある歴史小説とかだと取材力がない他の小説家が真似できない作品になる。漫画なら直接取材をしなくても背景や小物の資料集を使って絵を描くこともできるけれど、実際にある場所を取材して舞台にすると物語にリアリティーが出るし、資料集を使っている他の作品との差別化もできる。クリエイターは生きる事自体が取材のようなもので、嫌な体験も良い体験も人生のすべてを創作の材料にできるところに強みがある。

●人は材料なのか

労働者は人材と呼ばれているけれど、自由意思があって規格化できない点で物としての材料とはだいぶ違う。体調によってパフォーマンスも違ってくるし、能力があってもモチベーションがないと能力を発揮しきれないし、成長することもあるし老いることもあるし、人同士の相性もあって能力が一定ではない。企業にとっては人材は利益を生み出すための材料か道具のような存在だけれど、人は利益を生み出すために生きているわけではないし、材料として使い潰されるのはまっぴらである。社会に貢献して利益をもたらすに越したことはないけれど、利益を出さないからと言って生きる価値がないだの社会に不要だのと言われる筋合いはない。その齟齬が資本主義社会での様々な問題の原因になっている。
日本の経済界は自社で人材を育成せずに削減可能なコストとして扱って代わりはいくらでもいると就職氷河期世代を酷使して使い捨てて、今になって人材がいないと言い始めた。かつて「官僚は一流、経済は二流、政治は三流」と言われていたそうだけれど、どれも三流になって低賃金で搾取された若者が結婚しなくなって少子化が進行して技術承継もできなくなって衰退しつつある。
企業が生産性を高めて利益を出すためには、従業員が経験を積んで効率よく仕事ができるようになるか、大規模化して大量に材料を調達して大量生産して調達コストを下げる方法があるけれど、日本企業はその逆に給料が高いベテランをくびにして給料が安い新人バイトや外国人技能実習生に入れ替えてうわべのコストだけ下げて、経験曲線を無視して数年おきに経験値も人間関係もリセットして教育をやり直す非効率なことを繰り返して来たのだから生産性が上がるはずもない。さらにもともと資源が乏しい国なのに食料やエネルギーの自給率を高めようとしてこなかったのでウクライナ戦争による資源価格高騰のあおりをもろに受けて、原価コストが高いうえに効率よく作業できるベテランが不足しているという極めて非効率な状況になって、可処分所得が上がっていない中で価格転嫁もできなくて資本が少ない零細企業が倒産している。ラーメン屋が1000円の壁を越えられなくて、バイトの給料を上げられなくて従業員も集められなくなって倒産しているのが典型的である。
岸田政権がようやく賃上げに動き始めたけれど、単に給料を上げればよいというものではない。岸田が当初に新自由主義からの脱却と言っていたように、権力者による搾取を正当化する新自由主義的な考え方を覆さない限り国民の生活が本質的に向上することはないし、国民が未来に希望を持って子供を作るようにならない。『カモのネギには毒がある』という経済学をテーマにした漫画で、「神はアルゼンチンの民にありとあらゆる物を与えて下さった。豊かな土地、穏やかな気候、様々な動植物、豊富な資源。ただ一つだけ恵みを与えて下さらなかったものがある。それはアルゼンチン人だ」というジョークを言っていたけれど、日本より広くて資源が豊富な土地があっても人がダメだと良い国にはならない。人間が権力者の金儲けのための材料や道具扱いされてあれをやれこれをやれと命令されたところで見返りもなしに権力者の言いなりになる人なんか当然いなくて、仕事をさぼったり脱税したり賄賂を贈って犯罪を見逃してもらったり麻薬に耽って現実逃避したりして信賞必罰が履行できなくて犯罪者が増えていくので良い国は作れない。発展途上国はたいていこのパターンで国民も政治家も官僚も警察官もすべて腐敗してうまくいっていなくて、犯罪組織の力が強くなりすぎると犯罪を撲滅しようとするまともな政治家や警察官や裁判官が殺されてなかなか腐敗から抜け出せなくなる。
個々人がどういう社会を作りたいのかを主体的に考えて行動してこそ良い社会ができる。そういう人たちは人材ではなく、国の礎と呼ぶべきだろう。人材は会社にいる間は役に立ってもいなくなったら何も残らないけれど、礎は残ってその上に何かを積み上げていくことができる。日本人が文化も学問も技術も発展した豊かな社会で生きられるのも志を持った大勢の先人たちが礎となって知識や技術や思想や倫理観を少しずつ蓄積して次代に継承してくれたおかげで、拾った財布を交番に届けたり列に割り込まずに待ったりする世界有数のモラルが高い国になっている。人材派遣や技能実習生等で一時的な労働力の確保をしたところで、その人たちは国の未来を支える礎にはならない。帳簿の数字しか見ていない経営者や経済学者はそれが理解できないようで、従業員を解雇して仕事を外注する経営コンサルタントの感覚で国民がいなくても国家を運営できると思っているらしい。
かつてアメリカが発展したのは愛国心を持ってイギリスからの独立戦争や南北戦争を戦ったりした人たちが理想のために血を流して国の礎になったおかげだけれど、今のように利己的な移民が集まった愛国心がないアメリカでは労働力こそ多くて金を稼ぐことだけはできても人種や宗教で分断されて幸福な社会を作ることはできないだろう。アメリカやEUは移民推進政策の答え合わせと清算のフェーズに入っていて、アメリカでドナルド・トランプのような際物が大統領候補に担ぎ上げられるのもそれだけアメリカがおかしくなっていることの裏返しで、保守派が多いテキサスが独立する噂まで出ている。ヨーロッパではキリスト教の国同士で移民するぶんにはうまくいっても、2015年以降にアフリカや中東から来たイスラム系移民が同化しなくて働かずに福祉にたかって治安が悪化して多文化共生は失敗だったという結論になって、ドイツやフランスやスウェーデンやデンマークで移民排斥を掲げる右派が増えつつある。かつてヨーロッパ諸国は世界中を植民地にして労働力や資源を搾取してきたけれど、一時的には儲かってもそれが国の礎にならず、愛国心のない移民の逆流で歴史や文化が蹂躙されて国の礎が壊されようとしている。
中国は植民地がないかわりに自国民の人権を無視して少数民族を強制労働させて安い労働力と環境破壊で世界の工場として成り上がってきたけれど、日本よりも格差が大きくて共産党のコネがないと就職できなくて「四不青年」と呼ばれる恋愛しない、結婚しない、家を買わない、子供を持たない青年が出現して、日本以上に急激に少子化が進行していて、将来は世界の工場としての収益モデルが成り立たなくなる。努力しても報われずに巨大なシステムの中で権力者に搾取されて思想の自由さえない人生を生きたい人はいないし、その不幸を子供に受け継がせようと思わないのも当然で、一度きりの人生で家族の為に犠牲になることをいとわない人はいても、国家や見ず知らずの他人の為に犠牲を強いられて納得できる人はなかなかいない。だからこそ愛国心が必要なのだけれど、反日教育をして仮想敵を作ることで愛国教育をしたところで、実際に中国人を殺しているのは中国人自身で、大躍進政策の失敗による食料難では3500-4000万人、文革の粛清では1000-2000万人が死亡しているし、ウイグルやチベットも無理やり同化させるために弾圧されている。いくら習近平が独裁者として権力をふるって強制労働させたり統計をごまかしたり反日教育をして批判そらしをしたりしても、一定以上の教育を受けた人は為政者の欺瞞に気付いてしまうので国民に愛国心や未来への希望を持つことを強制することはできない。国家転覆を恐れて国民を信頼できずに国民に権力を分け与えることができないのが独裁者が率いる国の発展の限界である。中国は文革で知識人がいなくなって、そのあと経済成長しても富裕層が我先にアメリカやカナダやオーストラリアとかの言論の自由がある先進国に逃げて、香港の若者の民主化運動も潰されて、国の未来の為に礎になる愛国者がいなくなったということでもう政策の答え合わせが終わっていて、いまいる人材を権力で脅して使い潰したあとは数十年かけて落ちぶれていくだろう。未完成のまま廃墟となった高層マンションだらけでうわべのGDPだけを高くしたところで、その実態は豊かな国や幸福な国民と呼べるものではない。
日本が欧米や中国の失敗から学ぶことができないのであれば、いくら移民を増やしたところで国の礎となる人がいなくなって腐敗して衰退していくだろう。何のために人が生きるのか、何のために国が存在するのか、その目的からもう一度考え直すべきである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.02.15 10:36:42
コメント(7) | コメントを書く
[その他・考えたこと] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


Re:材料について考える(02/15)   四角いハムスター さん
材料の良しあしを判断するにも、材料をうまく使うためにも、真善美が大切だと実感させられる記事でした。
現代は経済的な豊かさ、知名度の高さ、名声の多寡、社会的地位の高低など、真善美とは離れた価値観が重視されがちです。私は上記のような価値観に魅力を感じつつも、一定の距離をおきながら真善美を求めて生きたいと考えています。限りある人生を有意義に生きるにはどうすればいいか、本質的な価値とは何かということを考えた結果として、真善美を追求する人生に意義を見出しました。クリエイターが良いものを生み出すためにも、経営者が社会に貢献するような企業運営をするためにも、国家が幸福な人間を増やすような政策を進めるためにも、真善美は必要になります。
記事の最後にあるように、国の礎になるような人間がいなくなると、国家は衰退します。それを防ぐには、教育に力を入れて、高等教育を受けられる人間を増やすこと。経済的な中間層を増やすことが必要だと考えます。しかし高等教育を受けた中間層が必ずしも立派な人間になるわけではないことを考えますと、教育の拡充や経済政策だけでは、国の礎になる人間をつくることは難しいようです。
結局のところ社会に出来ることは、熱い理想を携えて真善美を追求するような個人の登場を、待つことなのかもしれません。高度な自由を維持し、社会保障を充実させ、治安とモラルを兼ね備えた社会こそが、国の礎となる人間を生み出しやすい社会だと考えます。 (2024.02.17 12:07:44)

Re[1]:材料について考える(02/15)   三角猫 さん
四角いハムスターさんへ

吉田松陰や小林虎三郎とかの江戸時代の人は若者を育てることが国の未来を作ることだと知っていたので教育に力を入れてきましたが、戦後に日本がなまじ豊かになって個人主義になると仁義礼智信忠孝悌といった人間関係から生まれる道徳が失われて自分本位の考え方しかしなくなりました。受験予備校化した学校の教育では高等教育で中間層を増やすことはできても道徳は教えられないです。
オクタビオ・パスが『弓と竪琴』で愛は存在の投影であるというようなことを言っていましたが、家族愛や郷土愛のように存在を投影する対象がなければ、自分の存在だけが大事になってしまって国や社会や他人のために自己犠牲しようとは思わないでしょう。神が死んだあとはグローバリズムの台頭で国や社会や文化や歴史が破壊されようとしていて、金以外に個人が愛するに値するものがなくなりつつあります。
こんな時代だからこそ芸術家が熱い理想を携えて真善美を追求して金以外の価値を提示するべきで、芸術作品に大衆を感化するほどの力がないのでは大衆が自発的に真善美に目覚めて変わることはないだろうと思います。 (2024.02.17 15:38:34)

Re[2]:材料について考える(02/15)   四角いハムスター さん
三角猫さんへ

社会を変えるような立派な人物は、変革期に現れる印象があります。明治時代には偉大な文豪が現れましたし、戦後にも優れた文学者が活躍しました。経済発展も頭打ちとなり、平和だった国際秩序が崩れていく現代はまさしく、変革の時代といえます。こうした時代にあっては、相対主義的で空虚なポストモダン芸術を否定して、人の心を動かすことを目的とした芸術家が出てくるかもしれません。懐を肥やすことではなく、心を豊かにしようとする人間が増えるかもしれません。ひたすらに戦争を嫌悪するだけの反戦教育では満足できず、なぜ戦争が起こるのか、どうやったら戦争がおきなくなるのかを考えて、日本の進むべき道を大衆に示す政治学者が現れるかもしれません。
いささか楽観的ではありますが、私は日本の大衆の審美眼を、ある程度信用しています。映画を例にしますと、ポリコレを誉めそやすアメリカの映画評論家や、地味な小市民映画を量産する日本の映画会社には審美眼は期待できません。しかし『カメラを止めるな』や『この世界の片隅に』といった優れた映画が口コミで広がるあたりに、日本の大衆の優れた審美眼を感じずにはいられません。
脚本家を志す私にできることは、大衆の審美眼を信じて、いつ世の中に見つかっても恥ずかしくないように、力を蓄え続けることだと考えています。 (2024.02.17 22:42:21)

Re[3]:材料について考える(02/15)   三角猫 さん
四角いハムスターさんへ

今後は心を豊かにしようとする人間は増えていくでしょう。近い将来AIが生成したコンテンツが氾濫するようになれば、人々はありふれた作品で暇つぶしして人生を浪費するよりも、芸術作品に唯一無二の感動を求めるようになると思います。
『セクシー田中さん』の事件で大衆が原作者の味方になったように、いずれ優れた倫理観を持つ脚本家が大衆に求められるようになるでしょう。頑張ってください。 (2024.02.18 00:41:13)

Re:材料について考える(02/15)   ななし さん
心、心って、自己啓発セミナーですか?
そもそもあなた本当に小説家なんですか?
このブログの内容は本当にあなたの意見ですか?
まさか誰かの受け売りじゃないでしょうね?
30~40年ほど前、今の日本は荒んでいるとか、心を大事にとかいって、綺麗事を並べて若い人や貧しい人を集めて、講演会を開いて、お金をむしり取って、詐欺罪で逮捕されるという事件が何件も置きましたが、それについていかがお考えですか?
中に一つ、詐欺では済まされない事態を引き起こした団体もありましたよ。 (2024.03.01 18:59:12)

Re:材料について考える(02/15)   nameless さん
心、心って、自己啓発セミナーですか?
そもそもあなた本当に小説家なんですか?
このブログの内容は本当にあなたの意見ですか?
まさか誰かの受け売りじゃないでしょうね?
30~40年ほど前、今の日本は荒んでいるとか、心を大事にとかいって、綺麗事を並べて若い人や貧しい人を集めて、講演会を開いて、お金をむしり取って、詐欺罪で逮捕されるという事件が何件も置きましたが、それについていかがお考えですか?
中に一つ、詐欺では済まされない事態を引き起こした団体もありましたよ。 (2024.03.01 18:59:51)

Re[1]:材料について考える(02/15)   三角猫 さん
namelessさんへ

私は小説家ではないし、このブログのどこでも他のSNSでも私が小説家だとは一度も言っていません。なぜ私を小説家だと思ったのか不思議です。
30~40年ほど前の事件が何なのか知らないので、具体的にどの団体の誰が起こしたどういう事件なのかわからないと何も言いようがないです。
私の意見が気に入らないならこんなほとんどアクセスのない場末のブログをわざわざ見にこないで無視すればいいでしょう。普通の質問なら答えますが、何の建設的な意見もない荒らしコメントなら応答するだけ時間の無駄なので次回からは削除します。 (2024.03.02 01:59:51)


© Rakuten Group, Inc.