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昨日の続きです。 王様としては優れた資質を現し始めていた光海君から、クーデターによって政権を簒奪した大臣達が次の王様として担ぎ上げたのは、宣祖の孫に当る綾陽君でした。 彼は王権とは程遠い地位にいたため、学問についても帝王学についても何も学んでこなかったのです。 彼が王様になってからの大臣達の横暴はひどいものでした。 まず、光海君側についていた大臣達を罪をでっち上げて全員死刑にして、光海君を家族と共に江華島に罪人として流しました。 そして光海君が行ってきた政策を全否定し、「朝鮮王朝実録・宣祖」の修正版をでっち上げて、自分たちの行動を正当化するための細工を行いました。 このときに勇猛だけが取り柄で知的戦略を持たなかった、李舜臣将軍が英雄に祭り上げられてしまいました。 近年の研究でこれは李舜臣の親戚がクーデターを起こした大臣側にいたので、自分を高く売るために書き換えられたとの報告もありました。 そして一番大きな間違いは、光海君が行ってきた外交政策まで180度転換した事でした。 すなわち”親明排金”です。 急激に力をつけてきた女真族の国の後金(のちの清)を、野蛮な民族が作った国なので、すぐに明が後金を滅ぼすだろうと考え、事大主義に基づいて明を宗主国として崇め続けた事です。 のちに明が後金に滅ぼされる事になりますが、それほどの力を持った後金の力を見誤ったわけです。 仁祖という王様は、自分が王様になれたことで満足し政治的なことはすべて大臣達に任せ、毎晩酒池肉杯の生活を送っていました。 そして悲劇が訪れます。 丙子胡乱です。 なんの準備もしていなかった仁祖は、大臣達の野蛮人に負けるわけがない、すぐに明が助けてくれると言う言葉を信じ、相変わらずの酒池肉杯の生活を続け、とうとう清に漢城(ハンソン)まで攻め込まれ、戦う事もせず自分の命を助けてもらうかわりに清の臣下になると約束をし降伏してしまいます。 これが三田渡の三跪九叩頭礼(三度跪き、九回頭を地面にたたきつけて謝る)を招き、大清皇帝功徳碑を建てられる原因になりました。 このときの降伏の条件が・・・ 1.王世子を人質として差し出すこと。 2.毎年、美女3,000人と宦官2,000人を朝貢すること。 3.絹や金など毎年決められた数量を収めること。 などでした。 この時の降伏が200年以上にわたる清の属国になることの始まりでした。 仁祖は他にも大きな間違いを仕出かしています。 この丙子胡乱で人質になって清に連れて行かれた王世子(昭顕世子)が、清での生活で多くの見聞を広めて帰ってきて、朝鮮改革の意見を具申した時に、あろうことか清のスパイであるとして死刑にしてしまいます。 これも改革をさせたくない大臣達の陰謀に簡単にはまってしまったのです。 もうバカとしか言いようがありません。 誰を信用するべきなのか、まったく判断力を失い、自分を気持ちよくさせてくれる大臣の言葉だけを信じ、国を思う自分の子供を死刑にしてしまっています。 李王朝には数多くの無能な王様がいましたが、仁祖ほどひどい王様はいなかったのではないかと思います。 宣祖から研究されていた医学に関する研究も、光海君の治世の時に完成したと言う理由で、ホジュンも晩年は罪人扱いでしたし、光海君が進めた内政の大仕事・大同法(農地改革法)も次の考宗の時代まで止まったままでした。 そのせいで大臣達の農地に対する搾取が強まり、多くの農民が土地を捨て奴婢に転落していきました。 李王朝はこの後、正祖が現れるまで庶民にとっては暗黒の時代が続く事になります。 両班の農民達に対する搾取が峻烈を極め、多くの農民達が餓死していきます、なのに両班たちは贅沢な暮らしと農民達への搾取をやめませんでした。 大臣達が起こした自分本位のクーデターが、朝鮮人民を哀しみの淵に追いやってしまいました。 仁祖がいかに無能な王様であったか、少しはご理解いただけたかな?と思います。 大臣達が自分たちの都合で、光海君を追い出していなければ、もう少し違った世の中になっていたに違いありません。 歴史に、IFはタブーですが・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんにちは。私も浅学ながら、この時代は朝鮮にとって暗黒の時代であったと思います。常に正しいものが上に立つとは限らないのは何時でも何所でもあることですが、結局は自分の地位を守りたい大臣達の権力争いから来たことです。現在でも色んな所で見受けられることですね。
昔から自分のことばかり考える政治家がいかに多かったかということだと思います。 (2009年09月07日 17時35分18秒)
ヨンミョン1029さん
> コメントありがとうございます。 冷静になって考えるとこの時代朝鮮だけではないかもしれません。 どこの国にも、どの時代にもこういう政治家はいると思います。 早い話本能の赴くまま、自分の都合だけで生きていると言う事ですもんね。 (2009年09月07日 22時15分31秒)
働かざる者、喰うべからず。であるのに、世の寄生虫たる両班は、自分たちの世の中を希求します。小人閑居して不善を為す、の典型だと思います。もっとも、人間はそういう堕落が本来の姿じゃないかとも思います。私にはそう思えてなりません。立派な両班もいっぱいいたはずですが、なんとかならなかったのでしょうか。残念です。
日本の武士たちは、人類歴史上でも極めて稀な存在だったのでしょう。 (2009年09月07日 23時32分27秒)
君子の教育とは、重いもんですね。。。
(2009年09月07日 23時33分04秒)
とらのこどもさん
> おはようございます。 確かに朝鮮の両班は寄生虫のような人物が多かったですね。 特に売官行為がひどくなってからは、両班は地位を買った代金を農民から搾り取っていました。 日本の武士のような清廉な支配者は世界でも稀有な存在と思います。 本当に生活習慣や教育と言うのがいかに大切か・・・ (2009年09月08日 07時11分08秒)
こんにちは~~
歴史のドラマ観ていても、 策略や欺きで、うんざりするんですよね・・・ 日本でよかったと思うことが多いです。 サンキュウさん、すごい歴史にお詳しい^^ 尊敬!! (2009年09月09日 09時02分41秒)
>日本の武士のような清廉な支配者は世界でも稀有な存在と思います。
(形を変えていたとはいえ)その日本武士の精神の根底にあったものが、中国・朝鮮から伝えられた儒学(朱子学)だった事は皮肉ですね。 (2009年09月09日 13時41分42秒)
ちーこ♪ソウルさん
いやいやお恥ずかしいです。 まだまだ偏った知識かな?と思っています。 まだまだ勉強が必要ですね~ いつもコメントありがとうございます。 (2009年09月09日 21時26分32秒)
諸葛亮さん
> いつは私の祖先は(家系図によりますと)林羅山の末裔のようです。 江戸時代中期まで、林姓を名乗っていたようです。 朱子学という事で思い出しました。 ところで、私の知る限りの話ですと、中国や韓国の儒教は自分の家族(親や先祖)に対する”孝”を中心とした儒教で、日本は主人に対する”忠”を中心とした儒教で、似て非なるもの・・・という話を読んだ事があります。 (2009年09月09日 21時31分08秒)
本当に愚かな王ですね
現在の中国領土には 清の時代から含んだ古朝鮮の領土も含まれている遠因も李王朝の権力闘争にあり あの高句麗時代の明元と戦うこともな蜀国に甘んじた朝鮮 こんな愚かな王が国を統治する 是も内部権力人間たちの欲望の果て・・ (2010年02月22日 14時35分20秒)
asayama55さん
>本当に愚かな王ですね >現在の中国領土には 清の時代から含んだ古朝鮮の領土も含まれている遠因も李王朝の権力闘争にあり あの高句麗時代の明元と戦うこともな蜀国に甘んじた朝鮮 >こんな愚かな王が国を統治する > 是も内部権力人間たちの欲望の果て・・ ----- asayama55さん。 コメントありがとうございます。 私なりの李王朝時代の歴史解釈ですが、あながち大きく間違ってはいないであろうと思っています。 歴史学者ではありませんので、間違った解釈もあろうかと思います、またコメントいただければ幸いです。 (2010年02月22日 22時53分48秒)
ほんまにあほやな この仁祖 光海君が追放されてホジュンが罪人となって 無能な両班のあほバカ大臣に踊らされ 政治はほったらかし 金明の力の選択を誤り 清の奴隷 自分の子ども世子まで殺して こんなバカな王が朝鮮王
其れこそ反正反省しなきゃならないのに でもって蛮夷と他国を非難する 朝鮮あほにされてもしかたないくらいの 最低朝鮮王でした (2016年05月14日 07時26分46秒) |