カテゴリ:Oの人生論
「この世はすべて幻」
お釈迦様は言った。 幻だと言われても、 現実に、 目の前を車が通り過ぎていくし、 お腹もすくし、 夏になれば暑いし、 転べば痛いし、 お酒を飲めば酔っぱらうし、 なかなか「そうですね」とは納得できない。 苦しくて仕方のないときには、 「幻であってくれ」 と思うから、この世が幻であれば、苦しみはなくなることを、 ぼくたちは潜在的に知っているのかもしれない。 何があっても幻であると思えばいいのだと、 お釈迦様は教えてくれたのだろうか。 心頭滅却すれば火もまた涼し。 気持ちの持ち方ひとつで、 苦しみは苦しみでなくなる。 苦しみや悩みは、 その実態があるわけではなくて、 自分が作り出しているもの。 たとえば、 お金がないと不幸だと思い込んでいると、 お金がなくなったときに苦しまないといけない。 病気はつらいものだと思っているから、 ウイルスを必要以上に怖がる。 死だってそうだ。 いい成績をとって、いい大学へ行くことが幸せだと思わされているから、 一生懸命に受験勉強をするわけだ。 中卒は不幸で、一流大学を出た人は幸せだというエビデンスなんて、 どこにもないのだから。 お金がいっぱいあって不幸な人はたくさんいるのに、 みんながお金持ちになりたがる。 長生きして不幸な人は山ほどいるのに、 長生きをしたがる。 お釈迦様は、ぼくが考えているよりも、もっと深い意味で、 「この世は幻」と言ったのかもしれないが、 ぼくのレベルだと、 「自分の世界は思い込みでできている」 というくらいまでは理解できる。 いつも不安や恐怖を抱えて生きているけれども、 それを客観的に見ることで、 自分の思い込みを見つけ出すことができる。 見えないことには消せない。 思い込みに気づき、 消してしまうために、 不安であり恐怖という感情があるとも言える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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