カテゴリ:Oの人生論
ぼくは昭和31年生まれ。
戦後の混乱からは脱していたと思うが、 小学校に上がっても、 まだまだ世の中は貧しかったと思う。 特に、ぼくが育ったのは三重県の田舎だったから、 夜になると薄暗い裸電球の下で粗末な食事をし、 電化製品はラジオがあったくらい。 外は街灯もないから真っ暗。 でも、 あれが当たり前だと思っていたから、 不便に思うこともなかったし、 不満もなかった。 変に便利さを知ってしまったから、 不便さを嘆いてしまう。 東京から大阪まで、 新幹線ができるまでは特急で6時間半かかった。 それでも画期的だったと思うよ。 今では2時間半でいける。 6時間半もかかったら文句たらたらだ。 知らぬが仏。知らない方が幸せだということ。 便利になればなるほど、 もっともっとと欲が出てきて、 幸せが遠ざかっていく。 社会は、 さまざまな利権がうごめいていて、 便利さを訴えることでお金儲けをしようという方向に動いていく。 その波にのまれないことだ。 たまには、敢えて不便な生活をしてみる。 スマホやパソコンから離れる。 スーパーやコンビニに行かない。 車を使わず歩く。 鈍行で旅をする。 エアコンを切って暑さを味わう(熱中症にならない程度に)。 これからは、 あくまでも便利さを求め続ける人と、 不便さの中に喜びを感じようとする人と、 二極化するだろうと思う。 後者は少数派だろうけれども、 こっちの方が幸せには近づけるように感じるな。 子どものころ、 何もなかったのに、 大した不満はなかったし、 貧しかった分、 たまに甘いお菓子を食べたときの喜びはすごかった。 ぼくも便利さに毒されているけれども、 これ以上は求めないようにしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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