ドラマ「不適切にもほどがある」
遅まきながら、U-NEXTでドラマ「不適切にもほどがある」を見た。面白かった。タイムトラベル、タイムスリップ、タイムトリップ、タイムリープ・・・。いろいろな言い方があって、違いはわからないが、とにかく、未来へ行ったり過去へ行ったりというドラマ。こういう類のドラマはあまり見ないようにしてきた。簡単に未来や過去に行ってしまうのは設定が安易すぎるし、いっぱいあるので手あかがついている気がするから。だから、「不適切~」にも興味がなかったのだが、ネットニュースで毎日のように、このドラマに関する話題が流れてくるし、娘も「面白いよ」というので、「ちょっと見てみようかな」という気になったわけだ。流れが軽快で、人間関係がわかりやすくて、笑えて泣けて、現代社会をチクリと皮肉っているのが良かった。昭和61年と令和6年行するする主人公は昭和10年生まれだから、ぼくよりも21歳年上。父親世代だ。戦争を体験し、食糧難を乗り越え、高度成長でうかれまくった。底辺から頂上までを知っている。近代日本人としてはもっともたくましい人たちかもしれない。彼が今をどう感じたのか。ちょっと適応力があり過ぎる気もするが、コンプライアンスという言葉がいつの間にか定着して、行動や発言がどんどん制約されてしまって、窮屈極まりないと感じるのは、ぼくも同じ。多様性を声高に叫ぶことで、多様性が阻害されてしまっている部分があるのではないか。昭和61年というと、ぼくは30歳だった。東京へ出て2年目。東京はあこがれだったし、文章を書く仕事にも慣れてきたし、楽しい毎日を過ごしていたんじゃないかな。ヨーロッパにふらりと出かけて行ったのもこのころだった。暇つぶしに習っていたドイツ語がどれくらい通用するかと、1ヶ月ほど、ドイツを中心に気ままに歩き回った。この先、どうやって生きて行こうかなどまったく考えてなかった。今日が良ければそれでいい。なんでフリーライターという不安定な仕事をしていながら、将来のことも考えず、平気でいられたのだろうか。多様性って言葉もなかったのではないか。大学を出たら、就職するのが当たり前。終身雇用なんてあって、会社を辞めることは完全に人生のドロップアウト。ぼくは、2つも会社を辞めが落ちこぼれ人間だったのに、不思議と堂々としていた。サラリーマンはとても窮屈で、ぼくには夢ももてなかったし、希望も感じられなかった。そこから逃れられただけで喜びだったのだと思う。籠から逃げ出した小鳥が、ウキウキしながら飛び回っているって感じだ。カラスにつつかれたり、トンビに食べられたりするなんて、考えもしないわけで、まったく能天気なものだった。そんなことを考えながらドラマを見ていた。昭和61年と今とどちらを選ぶかと言われたら・・・。あのころのぼくは、将来のことは考えてないと言っても、お金がほしい、有名になりたい、女にもてたい・・・目先のことにギラギラしていた。今のぼくは、成功したいとか、有名になりたいとか、そんなことは考えてない。だけど、これまで培ったものが、今にすごく生きているように感じているし、今やっていることが、社会的にもすごく意味があるのではと思えて仕方ない。だから、今の自分がすごくいいし、これから、「こんなことやろう」と思ったことを、どんどんやっていきたいと思っている。そういう意味で、30歳の自分よりもはるかにダイナミックに生きている。ぼくは「今」がいいな。ドラマを見ての感想として、多様性のこともっと書きたいと思ったけれども、うまく書けない。ゆっくり考えることにする。今は窮屈な世の中だけれども、ぼくは、上手に「いち抜けた」ができたのかもしれない。多様に生きている一人になれたのかもしれない。