カテゴリ:Oの人生論
だれしも、 のんべんだらりと生きているわけではない。 なにがしかの苦労をしつつ、 懸命に前へ進んでいる。 生きるというのはそういうこと。 苦労を望んだり好む人はいないと思うが、 多かれ少なかれ、 つらいこと悩むこと苦しむことを体験させられるようにできている。 ただ、 苦労を実にするか毒にするかは自分次第。 腐敗するか発酵するかの違いかな。 ウジ虫がわくような生ごみになるか、 味噌や納豆のようになるかは、 考え方によって決まってくる。 ぼく自身が戒めていること。 「どうして自分だけが」 と考えるのは腐敗への道。 みんな苦労しているし悩んでいる。 自分が苦労の王様なんてことはない。 とげが刺さっても骨折しても痛いものは痛い。 骨折の痛みを知っている人は、 とげの痛みもわかるはず。 「そんなの大したことないよ」と言えるのは、 より大きな痛みを知っている人だけだ。 苦労を乗り越えた人は、 同じような苦労をしている人を助けることができる。 末期のがんから生還した人は、 その体験を語ることで、 がんで悩む人の救いになる。 言い訳も腐敗につながる。 できないことは素直に認めて、 「ごめんなさい」と謝って次につなげればいい。 できない理由は探さなくていい。 本当にそれがやりたいなら、 できるようになるにはどうしたらいいか、 そちらに目が向くはずだ。 できない理由を探して、 言い訳をしているなら、 それは本当にしたいことではないわけで、 ほかの道を探した方がいい。 でも、 どこかで言い訳をやめないと、 いつまでも探し続けて終わってしまう。 腐敗を発酵に代えるには、 とにかくやってみることだ。 成功、失敗なんていうのは、 やってみないとわからない。 成功すれば万々歳、 失敗すればやり直せばいいだけのことだから。 昔、 今言ったような話を両親にしたものだ。 いつも言われた。 「お前の言うてることはきれいごとや。 現実はそんな甘いもんと違う」 気功の話も、 無農薬のことも、 脱原発も、 両親の心には響かなかった。 「あいつは何も知らんから」 「経験がないから」 で終わりだった。 あれはかなしかったな。 悔しかったな。 だけど、 それが今のぼくの行動の原動力にもなっている。 志をもって生きようとすると、 必ず足を引っ張る人が出てくる。 しかし、 それは大事な存在だと思っている。 鉄下駄をはいてランニングするようなものだ。 足腰が鍛えられる。 ぼくは思った。 「口だけじゃだめだ。実際にやってみよう」 今の山梨での果樹栽培につながった。 あのとき、 両親が「お前はええこと言うな。偉いな」とほめてくれたら、 そこで満足して、 農業をやろうなんて思わなかった。 口だけで満足してしまっていただろう。 腐敗で終わっていた。 今は発酵に向かっていると思う。 行動していると味方、仲間、応援団も増えてくる。 人が集まれば、 きれいごとが現実になってくる。 ぼくは、 これからも「きれいごと」や「夢物語」を大切にしていきたいと思っている。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024年02月23日 11時28分23秒
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