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カテゴリ:本
繁忙期のために来てもらっている大勢の派遣スタッフの
中に今日から2人、外国籍の女性が来た。 セクションは違うけど、話をするのを楽しみにしていた。 ところが、筆耕というセクションへの配属だったため、 漢字の入力がネックになってしまった。 派遣会社の話では日本にもう長くいるし、履歴書も漢字で 書けるから、ということだったが、さすがに筆耕は無理だ というもの。 結局、夕方、派遣会社の担当が来て、2人と話し合い、 今日限りということになってしまった。 納得いかない感じで帰って行った、と聞いた。 妻のことが重なって、胸が痛んだ。 他のセクションなら問題なかっただろうに、なぜよりに よって、筆耕に入れたのか。 派遣会社の担当も、うちの会社の担当も、筆耕の担当も、 悪いと思いつつ、でも本人の怒り、痛みなどを理解することは できないだろう。責任を転嫁して、だって……と言うばかり だろう。 自分が覚えているこの気持ちは何なのか。 世の中に対する怒りとでも言えばいいのか。 こうしたことで人が抱えるもやもやした感情は、全く別の 第3者に向かうことがあり、向けられた方は納得のいかない ものをぶつけられて、それをまた別の者へ。 世の中というのは、こういう風にして、納得いかない感情が そこかしこで投げつけられている。 自分が何もしてあげられない、もどかしさ。 そんなもどかしさを覚えたところで、2人には何の役も立たない。 『生きているかぎり』(新藤兼人・著)読了。 新藤さんの文章には、地に足のついた「生きる」という骨太な 柱が貫いてある。読むたびに、身がひきしまる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 9, 2012 02:51:31 PM
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