2069724 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2015年06月27日
XML
カテゴリ:旅日記(近畿)
さてそれでは「叡山攻め」に戻ります。

JRで山科まで戻る・・・が、この時「旅のお決まり」
現地から先行報告した、手袋を電車に置き忘れるというポカをやらかしました。

う~ん、あと2日だし、指ヌキの薄い手袋はあるからなんとかなるだろ・・・
と思ったものの、山科で下りて歩き出すともう夕方で寒いし
とにかく身体が疲れきっていたので、やけに寒さが身にしみる。

山科の宿に預けておいた荷物を回収する前に、
大丸で必要なみやげを買いそろえておこうと思っていたので、
ついでに手袋も買おうと思ってまずは大丸へ。

ここにはわたくしの好きな洋菓子店「マールブランシュ」が入っているのだ。
今では京都駅構内に独自のショップを構えるほどの店なので
ご存じの方も多いでしょうが、2011年の旅の時だったか、
ここの銘菓「茶の菓」を職場に買って帰って以後、
うちの職場では京都みやげといえばマールブランシュの「茶の菓」が定番になりました。

あまりにみんなが「茶の菓」を買ってくるもんだから、
今回は別の品にしようと思って物色。

そのほか、今回は1週間のリフレッシュ休暇という長い休みでもあるので、
直接迷惑をかける最小単位でのチームのメンバーにはそれなりの特別なみやげを
用意せねばならんだろうと思ってたんだけど、ちょうどこの時はバレンタイン前で
色々な品が出ていたので、バレンタイン用のチョコをそれぞれのメンバーに用意。
泥くさいわたくしの旅には似つかわしくないオサレなゴディバのチョコの餞別をくれた
もと上司にもみやげをチョイス。
これはいずれも好評でした。

山科のマールブランシュには生菓子も置いてあって、
初日に寄った時はほとんどのケーキが売り切れだった。
それでも残っていたケーキを2つばかり買って帰って宿で食べたんだけど、
お店のお姉さんによると連日夕方にはほぼ売り切れるんだそうな。
さすが、人気の店。

あと、スープジャーを買ってくれた相棒にも発送の手配をした。
これでみやげのノルマはこなしたダッシュ
手袋を買って宿まで戻り、初日に延暦寺会館などで買っておいた品々とあわせて
宿から土産を宅急便で送り、コロコロをひいて今度は次の宿のある東山へ向かう。

1人旅の時には防犯にも配慮し、だいたいは夕方には宿へ入る。
そもそも1日中歩いているわたくしの旅はいつも体力勝負なので、
1日の行動が終わるとその場でどっと疲れが出るから
夜まで元気に街を歩くなんて気力も体力も持ち合わせてはいないのだ。

それが、この日、東山駅に着いた時にはもう19時を回っていた。
使ってみると意外に山科は立地がすこぶる良く、
三関のひとつである逢坂の関を山科付近に置いた理由がよくわかった。
交通の便はいいし、宿も悪くなかったし、
宿替えなんかするんじゃなかった・・・
宿替えなんかしなければここまで寝不足になることもなかったのに・・・

心の中で激しく後悔しながらも、東山のコンビニで食料を買い揃えてから
重い身体とコロコロを引きずって次の宿目指して白川沿いを歩き出す。

白川は地下鉄東山駅のすぐ東を流れる小川だけど、ホントはもう少し
東まで行ってから脇道に入った方がいくぶんわかりやすくて近いのかもしれない。
でも、かつてこの辺を少し歩いたことがあるわたくしは、
暗い夜道を歩くなら少しでも知っている道の方がいいと思って白川沿いの道を選んだ。

白川沿いの道を選んだのにはもうひとつ訳がある。
ここを訪れたのは史跡めぐりを始めて2年めの2010年1月のことで、
相棒と現地で予定を入れ替えたりもしているし
何しろあれから時間が経っているので細かい部分の記憶が今ひとつな箇所もある。

東山もそのひとつで、1人だとあれこれと周囲に気を配るから
結構道順だとかの細かいことまでも覚えてるもんだけど、
連れがいるとおしゃべりしたりして周りを見ていなかったりするので
移動の記憶がすっぽ抜けてることがある。

東山の宿を決めてから周辺の地図を見ていた時、
なんかこの地形、見覚えあるような・・・と思っていたので、
自分の記憶を再確認するために当時と同じ道を歩くことにしたのだ。

とは言っても、もう夜だからその場所へ寄る気はなかった。
アレがあるところだよな、ってことだけ確認したかった。
で、当時の記憶を辿りながら白川沿いを歩いていくと、やっぱりアレがあるところだった。

      光秀の首塚2
      (2010年当時の写真)


こわがりのわたくしが夜に寄りたくないといえば見当もつくでしょうが、
住宅密集地帯にぽつんとたたずむこのお堂は、

 【明智光秀の塚

  天正10年(1582)、本能寺にいた主君の織田信長を急襲した明智光秀は、
  すぐ後の山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、近江の坂本城へ
  逃れる途中、小栗栖の竹藪で農民に襲われて自刃、最後を遂げたと言われる。
  家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に
  首を埋めたと伝えられている。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

光秀の首がここまで運ばれてきた理由は、
ジモティーに襲われ死期を悟った光秀が首を知恩院に届けてくれと
家臣に頼んだからだとされる。

首実検に供された首は3つあり、夏の暑い時期だから顔の判別も難しかったかもしれないけど、
一般的には首と胴をつなぎあわせて京の七口のひとつ、粟田口にさらされたとされる。
粟田口はここからほど近いところにあり、石碑もあるのであとで紹介します。

粟田口の首は顔がはっきりしなかったのか、
光秀の墓とされるものは他にいくつかある。
西教寺の墓もそのひとつ・・・
あ、西教寺の記事で「あとで紹介します」としたのはここの首塚のことです。

光秀の墓とされるもののどこに光秀本人が埋まっているのかは
わかりませんが、少なくとも天海=光秀ではないでしょう。
あの状況で生き延びるなんてまず無理だし、生き延びたとしても
華々しい場所なんかに出られたハズがない。

ただここ、伝承の通りだとするとちょっとおかしな面もある。
だってもう知恩院は目と鼻の先で、この場所だってほとんど
知恩院の境内のようなものなのだ。

まあ、この首塚ももとは別の場所にあって現在地へ移されたという話もあるから、
いちがいにアヤシイとは言えないものの、ちょっとどうかな、という気はする。

それでも地元では大切に祀られてきたらしく、綺麗に整備されていたし
お堂には明智らしく桔梗の花なんぞも供えられていましたが、
お堂にかかる真っ赤なちょうちんには

      光秀の首塚3


とデカデカと書かれており、名前の裏には

      光秀の首塚4


明智の家紋、土岐桔梗紋があしらわれてます。
お堂の他には

      もとの墓石


確かこれが「もとの墓石」と言われているもので、
江戸幕末の銘がある。
墓碑はもうひとつあり、

      市川団蔵による墓石

  
複数ある光秀の戒名のうち、「長存寺殿明窓玄智大禅定門」がここに刻まれている。
戒名を複数持ってる戦国武将は他にもいるけど、
つまりは本物の光秀はどこに眠ってるか昔からわかってないってことだろうな。

でこの墓碑は、1903年に歌舞伎役者の市川団蔵が建てたものだそうで、
かつてこの付近に寄席があって市川団蔵が光秀を演じたことから
供養のために建てられたんだそうな。

この近くには「光秀まんじゅう」なるものを売ってるお婆さんがいるってことだったけど、
結局当時はわからなかった。
そもそもマップファンでのこの辺の地図はあまり正確ではなく、
細道を出たり入ったりして住宅地を歩き回った末にようやく首塚を見つけたのだった。

でも、場所がわかっていた今回、道の奥を見ながら歩いてみると
夜道でも白川沿いの通りからお堂が見られることがわかった。


さて、あいにく写真がありませんが、白川はその名の通り川なので
いくつか橋がかかっている。
そのうちのひとつ、光秀の首塚の近くには

「誰がこんなの渡るんだよ!!」

という、シンプルどころじゃないぐらいの橋がある。
手すりなんかないです。
ただの石の板を渡したような、一本橋。

2010年に初めてこの橋を見た時は思わず鼻で笑っちゃいましたが、
実はこの橋、叡山で700日の回峰を終えた行者さんが下界へ出る
「京都大廻り」および「京都切廻り」で知恩院のすぐお隣にある青蓮院から
八坂神社へ向かう際に渡る橋だそうで、「行者橋」というんだそうな。

そんな歴史を知らなければ、「誰がかけたんだ、こんな橋」ってぐらいの
超シンプルな石橋なので、後から行者橋だということを知った時は驚きました。


行者橋からさらに川沿いに進むと、祇園。
この時はいかにも夜の祇園という風情ある景観となってましたが、
もちろん芸者遊びをしにきた訳じゃありません。

疲れ切ったわたくしがようやく辿り着いたお宿は、
知恩院のデカい山門のすぐ前にある知恩院の宿坊・和順会館。

       叡山5・和順会館外観


写真はもちろんあとで明るい時間に撮ったものです。
宿坊に泊まるのは初めてだったけど、フツーのホテルと何ら変わるところはなく、

       叡山3・知恩院和順会館


       叡山3・知恩院和順会館2


お部屋もお風呂もウッディーな感じを基調にしていて、すごくキレイ。
そして広い。
居住空間を重視するわたくしにとっては大変よいお宿でした。
しかも部屋に備え付けの湯飲みは

       叡山3・知恩院和順会館3


徳川の家紋入り。
これは知恩院の歴史と関係があります。

広くて綺麗な部屋に入る頃にはマジぐったり・・・
3日目の歩数は23,881歩。
もっと歩いた気がするよ~・・・


にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015年06月27日 21時49分06秒


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ]
価格:2916円(税込、送料無料)







PVアクセスランキング にほんブログ村

お気に入りブログ

ほげほげと えびねっこさん

© Rakuten Group, Inc.