619574 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

“しょう”のブログ

PR

Profile


shchan_3

Category

Comments

shchan_3@ Re[1]:憲法改正に関する玉木代表の発言について(07/27) KUMA0504さんへ  お久しぶりです。コメ…
shchan_3@ Re[1]:ポスト京都議定書に向けてIPCCの論議(12/14) 京都議定書失敗から学ぶ研究生さんへ  …
KUMA0504@ Re:憲法改正に関する玉木代表の発言について(07/27) 教えてくださってありがとうございます。…
京都議定書失敗から学ぶ研究生@ Re:ポスト京都議定書に向けてIPCCの論議(12/14) COP3、京都議定書が日本にとって大失敗に…
shchan_3@ Re[1]:沖縄と連帯するとっとりの会(12/20) KUMA0504さん、お久しぶりです。  米国…

Favorite Blog

小雨ふる朝 New! moririn65さん

・二階氏「まずまず… New! あならいずぁさん

大根の間引き菜と葱 New! けんとまん1007さん

2019年9月に観た映画A New! KUMA0504さん

「京都アニメ」放火… meisinn2006さん

Calendar

全18件 (18件中 1-10件目)

1 2 >

学校の力を高める

2012.03.22
XML
カテゴリ:学校の力を高める

 近年注目を集めている「学びあいのある授業」(学びの共同体)について私自身の考えも整理しておきたいと思います。 

  学習形態(コの字型やグループ学習)自体は別に新しいものではありません。「学習集団づくり」などの実践は従来から積み上げられていました。しかし、「学びの共同体」の新しさは明確に「学校づくり」、「学校改革」として取り組みが打ち出されていったことでしょう。

 ここでは特に高校の現場における意義(および課題)を列挙しておきたいと思います。(常態で)

1、教科や学科の枠を越えて、学校全体が「授業研究」に取り組む体制ができる

例)授業づくりと学校づくり (過去記事)

 これまで高校の現場において、教科や学科の枠を越えて「授業研究」を一緒に行う機会は稀であった「学校改革の取り組み」としての「学びの共同体」の広がりが、同時に教科や学科の枠を越えた「授業研究」を広げていく意味を持っていたことは間違いない

 もともと、そのような取り組みとして提唱されたことに加え、授業後の研究協議が「子どもの学びの事実」を中心に進められる(したがって、発言にはその教科の専門性を必ずしも必要としない)という方式が「枠を越える取り組み」を促進した、と考えられる。

2、上記の体制を基盤に、教職員自身が学びあう同僚性が構築できる

 この点については、リンク先の「授業づくりと学校づくり」からもよく読み取れる。そこでの同僚性の構築については、I さん自身の「周りを見る目」の変化としても語られているが、強い説得力を感じさせるものがある

 また、1、でも取り上げた「子どもの学びの事実」を中心に進められる授業後の研究協議が、実りある「教育評価」(教育の成果を子どもたちの実態に即して丁寧に評価し、授業改善や学校改革、教育条件の整備につなげていく取り組み)の力量を互いに高めていくものであることにも注目しておきたい。

(現在の「学校評価」も、子どもたちの現実に即してその「学びや成長を評価していく現場の力量」を高めていくことによって初めて実質的な改革につながると考えられる。)

3、「学びの共同」の大切さを共有できる

 「教室の学びを個の経験の軌跡を基盤として共同体的な実践へと再構成する活動」,「個人主義的な学びを共同体的な学びへと転換すること」(佐伯胖・藤田英典・佐藤学編 「シリーズ学びと文化(3)学び合う共同体」 東京大学出版会92頁)の重要性が、実践を通して共有されていく。

 個人が「平和で民主的な国家および社会の形成者」となっていくためには、発言を出し合い聴き合って「学びの共同」を成立させていく経験は貴重なものであると考えられる。

4、希薄になりがちな子どもたち同士の「関わりあい」(集団づくり)の大切さを共有できる

 「学びの共同体」には「授業を通しての集団づくり」という側面が確実にある。事実、佐藤学自身、「学びあい」「関わり合い」の大切さを繰り返し強調している。また、例えば広島県安西高校の報告の中には、「学びの共同体」を学校全体で取り組むことが、生徒会行事の活性化等にもつながったことが報告されている

5、「聴きあうこと」の大切さを共有する

(佐藤は)相手の言わんとすること,教材が問うていること,教師が発問していることをしっかりと「聴く」ことによって,自分の考えを構築していくような教室を「しっとりとした教室」(佐藤学「教室からの改革-日米の現場から-」 国土社)と形容する。

(「しっとりとした教室」では,「話す」以上に,「聴く」ことが大切にされている。こういった様々な事象を受け止め「聴く」ことを佐藤は,〈受動的能動性=対応〉と呼んでいる。) 

「学びの共同体」の課題 

1、「学びの共同体」の立場から佐藤学は、「学び合い」と対比したかたちで一斉授業を批判する。しかし、その批判される一斉授業は、常に「教師による教え込み」である。単純な図式化によって一斉授業がその質を問われることなく、十把ひとからげに否定されるのは問題であろう。
 一斉授業も大切にしながら、状況に応じて「グループによる学び合い」を取り入れる。それが実践における妥当な判断だと思われる。「学び方」に多様性を認めない教条的な面が「学びの共同体」にあるとすれば、それは問題である。

2、学びを成立させ深める際の「教師の指導性」が適切に位置づけられていない

 柴田義松が(「『学びの共同体』と学習集団の実践」 現代教育科学No.591 明治図書2005で)指摘するように「学びの共同体」においては「子どもの発言を交通整理的に分けて板書することによって,お互いの相違点や共通点を明らかにし,対立するポイントを明確化したり,発問によって子どもの思考をゆさぶり,子どもの考えを広げたり,深めたりする教師の指導性」があまり追求されていない

 子どもたちの「聴き合う関係」,「学びあう子どもの学び」をつくるための教師の指導性や教材解釈をしっかり問うことは大切であろう。そのためにも、学びの共同体」の取り組みに「過去の授業研究の積み上げ」を包摂していくことが、その「学校づくり」を豊かにしていくことになるだろう

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ人気ブログランキングへ (教育問題に関する特集も含めてHP"しょう"のページに・・・)

(アメーバブログ〔= 「しょう」のブログ(2) 〕を復活させました。

『綴方教師の誕生』から・・・ 、生活綴方教育における集団の問題 など)







Last updated  2015.04.18 00:09:31
コメント(8) | コメントを書く
2009.04.12
カテゴリ:学校の力を高める
この間、私が多くの学びと刺激をいただいているブログの一つに「教育の窓・ある退職校長の想い」(toshiさんのブログ)があります。

 質の高い数多くの記事を発信しておられますが、2008年12月14日の「テレビ報道番組から、(4) 公教育の改革は現場の力で!」 にも大きな刺激を受けました。

 『真相報道バンキシャ』で報道された『問題校が模範校に・・・公立中の自力改革』に登場する校長の発言「(国や教育委員会が、)いくら制度いじりをしても、その制度を運用するのは教師なのだ。学校を変えるのは学校の力ですよね」をとりあげ、次のように述べておられます。

教育をよみがえらせる一番の力は、『学校の力』なのである。

>そういう意味で、国や教育委員会のなすべきことは、学校や教員に対し、強圧的、権力的に臨むのではなく、学校や教員を支援する、そして、信頼する、そうした方向性をもった教育行政でなければならない

>それを実感させてもらえる映像だった。

 番組はこちらです。(画面左、「問題校が模範校に・・・公立中の自力改革」をクリック)

 上記ブログ記事でtoshiさんは、そのような自力改革がいかにして成立したのか学校長の姿勢や、具体的な実践についてわかりやすくていねいな考察を加えていらっしゃいます。まだお読みになっていない方はぜひご一読ください。


 さて、この自力改革における鍵となる言葉は「学校の力」ですが、問題は「それを高めていくために大切なことは何か」ということでしょう。

 このような「学校の力」に関して私も具体的な実践事例をもとに特集記事(左記カテゴリーの「学校の力を高める」)をまとめました。ここで、簡単に総括しておきたいと思います。

 私が特集記事で取り上げたのはU高校の取り組みです。この学校においては校長のリーダーシップではなくKさんというキーパーソンを中心に職員集団がさまざまな取り組みを展開することで「学校の力」が大きく高まっていきます。

〔U高校の実践の内容〕

1、根本的な論議の積み上げ
  「茶髪」、「中抜け」等、子どもたちの現状をどのように見るか

  この論議をへて「即決でなく、放任でなく」、「きまりは時押さえ」、といった方針を確認


2、研修会の実施
 「○○先生に学ぶ」というテーマの研修会を行う
 (U高校の例ではありませんが「授業研究の取り組み」も学校の力を高める重要な研修でしょう)

3、こどもたち(生徒)自身の集団の力を高める取り組み
赤点学級(留年防止のために生徒が討議し、関わり合う)
入場者4000人を越える学校祭の取り組み

・全校タバコ討議
 U高生による喫煙の実態に関する討議を経て全クラスで「タバコ追放宣言」を出す

・危険な踏み切りの通行に関する要求運動・自主管理から、駅前公園づくり に展開


 U高校では職員集団の力が生徒集団の力を高め具体的な取り組みが子どもたちの誇りや仲間・学校への信頼感を高めていきます
 それが、保護者との連携を深めるだけでなく「学校を突き抜けて地域へ」と実践が大きく展開していくのです。

 さて、そもそも「学校の力」とは何でしょうか。
 U高校の実践例から強く感じるのは「教職員集団の力と生徒集団の力だ」、という点です。取り組みの全体が「生徒集団の教育力」を抜きにしては成立し得なかった学校改革だといえるでしょう。

 確かにU高校の場合、その実践は長い年月かけて行われた壮大な取り組みです。学校の力を基盤にして行われた「高校生が駅前広場をつくる」実践にしても、簡単にできるものではないでしょう。しかし、基本的な姿勢や発想生徒集団の力を高めるための重要な点を実践から取り出していくことは可能です。

 そのことを私なりに試みましたので、時間のあるときに左記カテゴリー「学校の力を高める」の各記事をごらんいただければ幸いです。
(上記 〔U高校の実践の内容〕 でリンクした記事も含まれています。)


 また、U高校とは別に「生徒集団の力を高め、学校を改革していく取り組み」として、比較的身近で具体的にできそうな実践例もあります。
 全生研で活躍しておられた家本芳郎氏の著書『家本芳郎のしなやか生徒指導 -生徒を大切にした明日につながる実践を-』に示されている学校再生の取り組みです。

 職員集団の力以上にこどもたち(生徒)の集団の力・集団の教育力(影響力を含む)に注目したこの実践を次回記事で紹介します。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ人気ブログランキングへ 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています
      ↑      ↑
よろしければクリックして投票・応援いただけますか
(一日でワンクリックが有効です)

 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページ​に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)






Last updated  2019.03.30 13:47:15
コメント(6) | コメントを書く
2008.03.10
カテゴリ:学校の力を高める
教育としての自治から権利としての自治へ 5 (U高校の実践記録)

 ※「夢の駅前公園プロジェクト」の実践記録(下)はこちらです。 これまでU高校の実践を紹介してきました。一つの学校における実践紹介としては、多すぎるくらいの回数だったかもしれません。しかしながら、U高校の実践にはそれだけの素晴らしさがあるのではないか、多くの方々にとっても意味があるのではないか、と考えています。

 さて、「D-pro」の実践紹介もようやく終わりです。昨日と同様、「高生研第40回大会基調」を引用しながら述べたいと思います。

 D-proは、校風委員の有志と一般の希望者から出発するという緩やかな組織を基本にした。各クラス何名というハードな組織に比べ意思あるものが強制されずにやる、という強迫性を持たないやさしい組織といえよう。

 ・・・加わった参加者たちは、地域との交流事業での太鼓、ゲーム等やパネルディスカッションでの発言など、さまざまな生き生きした自分の出番をつくっている。

 Dproのメンバーたちの思いは、自治会長や市建設課、地元市会議員等への訪問など、立場や意見が違う異質な世代の大人たちとの対話や実務の中で、受け止め応答される。

 その結果、「社会全体に支えられている自分を確認できる」と彼らは受け止め、「社会は変えられる」という確信をのべるまでになるのである。                                   (以上引用)

〔コメント〕

 D-proの取り組みを通して高校生は信じられないほどのエネルギーを発揮していきます。彼らが主体として活動し、確かに変えることのできた現実をつかんだことが重要なポイントでしょう。

 また、高校生はたくさんの大人たちとかかわりながら心からそれを楽しんでいます。「主体的な参加」にこだわりつつ成功した実践といえるでしょう。

 市長などの行政をはじめ自治会長、地域の人々など大人たちが彼らを一面では高校生と見ながらも、もう一面で本格的に大人として扱っていること、そして、大人として扱われることで高校生が驚くほど急速に成長することも注目できます。

 以上のように、U高校の実践は文字通り「平和的な国家および社会の形成者」として子どもたちを育てていくものになっていますが、「“社会は変えられる”という体験を通した確信」が生まれていることが素晴らしいですね。

 学校における授業等では「U高校のような直接的な体験」は難しい場合が多いですが、「歴史を含めて間接的に取り組みを学ぶ」ことも含めて、「平和的な国家および社会の形成者」を育てていくことが大切であると思います。

 たとえ同じことが出来ないとしてもU高校の実践は「教育が目指していくべきもの」を考えていくうえで多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。


ご訪問いただきありがとうございます。一押ししていただけるともっとうれしいです。
   ↓
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ


(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)






Last updated  2019.03.02 13:31:19
コメント(2) | コメントを書く
2008.03.09
カテゴリ:学校の力を高める
教育としての自治から権利としての自治へ 4 (U高校の実践記録)

 ※「夢の駅前公園プロジェクト」の実践記録(中)はこちらです

 子どもたちが「平和的な国家および社会の形成者」となっていくことは、ルソーの言う「直接民主主義」の主体(社会的な問題について直接に学習・判断・意思表示していく主体)へと自己形成していくことだ、と言えるのではないでしょうか。

 「国民投票」や「住民投票」などある意味で特別な場合(制度として直接民主主義が採用されている場合)だけでなく、社会的・政治的判断や意思表示の主体、さらには社会を創造・変革していく主体としての自己形成こそが民主的訓練の目標でしょう。

 そのことは民間教育研究団体である「高生研」が結成されてかなり早い段階で明確にされていたように思われますが、U高校のD‐proの実践は「高生研第40回大会基調」でも以下のように取り上げられています。

 D‐proの実践は、遮断機のない踏み切りを使い、・・・危険で不便なこれまでの通学路を安全で便利な通学路にしてほしい、という生徒と職員の長年の共通の必要にもとづいて展開したものだが、「なぜ自分たちが使う駅のことについて参画できないのか」という生徒の疑問が「社会参加」の出発点におかれている。

 この「社会参加」の実践が、子ども・青年の必要を基盤として展開されたことを「基調」は指摘するとともに次の点に注目します。

 D‐proの実践では4月14日の段階〔実践記録(上)〕の段階ですでに生徒会長や校風委員会委員長らが教員と一緒に「市長交渉」を行い、高校生でありながらいわば「大人」扱いされ、交渉の中で「対等」に扱われている。(・・・)

 この時点で、建設課長から、設計に高校生の意思を反映させること等が確認され、同時に市長から「芝生の管理を(地域で)引き受けてほしい」とその後の責任まで要求される。
 U高D‐proのメンバーは、この決定に参画することで「市民」として社会に参加していく権利とそれを行使していく責任を自覚していく。


 上記のように、U高校の場合は、教員と市長とのあいだで「子どもたちを育てるという観点で接してほしい」という話が事前に行われていたということもありますが、大切な場面で「大人として扱い決定に参加する権利を認めると同時に責任を要求すること」が重要なポイントとなっています。

 「政治的に無関心な個人」を育てていくのか「社会に参加していく個人」を育てていくのか、U高校のよういかなくても、教育においては重要な視点であると思います。

ご訪問いただきありがとうございます。一押ししていただけるともっとうれしいです。
   ↓              続く
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ

(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)






Last updated  2019.03.23 19:58:41
コメント(0) | コメントを書く
2008.03.07
カテゴリ:学校の力を高める
教育としての自治から権利としての自治へ 3 (U高校の実践記録より)

「権利としての自治」を発展させる観点からは次の実践をあげたい。(Kさん)

 一つは、「禁止踏み切りを通学路にかえる」という自由拡大の取り組みである。正式には駅から学校まで.15分かかる通学路。禁止されている近道を利用すると8分という現実。

 幅90センチの作業道で、加えてオイルターミナルの入れ替え線が交差する禁止踏み切り危険度が高いためJR関係(当時)から厳重に禁止され続けてきた踏み切り。しかし、観光により通行が許されている地元の人びとの存在と便利さから、毎朝多くの生徒が通行し、駅とのトラブルが絶えない。

 「U高生通るべからず」の駅側の立看板に対して生徒会は全校生をまとめ、踏み切り通行の自主的ルールを確立し、それを条件に駅側と交渉を重ねた。

 そして、自分たちが踏み切り指導を徹底させることを条件にJR側に踏み切り通過を認めさせ、さらに学校・PTAと共に交渉を発展させて、将来の“跨線橋”建設と駅前開発、通学路整備の展望までつなげた取り組みは全校集団が「世界に向かい世界を変えた」自治本来の闘いとして重要であった。さらに学校・PTAと共に交渉を発展させて、将来の“跨線橋”建設と駅前開発、通学路整備の展望までつなげた取り組みは全校集団が「世界に向かい世界を変えた」自治本来の闘いとして重要であった。

 この取り組みは現在さらに発展し、生徒会は「D-プロジェクト」(ドリーム・ステーション・パーク・プロジェクト)を発足させ、U市長との交渉、地元自治会との共同など多面的に活動を組織した。

 そして、自由横断道路と駅前広場を早期に完成させること、その広場づくり活動にU高生の意志を反映させる権利を要求し、学校ぐるみ地域づくりに参加していく活動に広げつつある。

  ※「夢の駅前公園プロジェクト」の実践記録(上) はこちらです

〔コメント〕

 連載で、U高校における「子どもたちの自治を追及する実践」を紹介してきました。「タバコ追放宣言」の取り組みも素晴らしいものでしたが、「夢の駅前公園プロジェクト」の実践は、U高校のみならず、日本の教育の歴史に残る実践といっていい内容です。

 「社会は変えられる」と確信を持って発言する高校生を登場させていくような実践とはいかなるものだったのか。上記に実践記録のリンクを張っておきましたので、ぜひご一読ください。
               続く
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ 
    ↑
よろしければ投票していただけますか
(一日でワンクリックが有効です)

(教育問題に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめています)






Last updated  2019.03.23 20:01:02
コメント(0) | コメントを書く
2008.03.06
カテゴリ:学校の力を高める
教育としての自治から権利としての自治へ 2 (Kさんの講演)

 (昨日ドラマが起こったと紹介した)このクラスの話し合いが終わった後で、そのことを模造紙3枚にギッシリ書いて廊下に貼りだしました。次の日、これを読んだ子どもたちが感動しました。2年生のルーム長会議の責任者の女の子はみなに訴えます。

 今、なされているタバコ討議が、やらされている討議では駄目なのだ。ほんとうに、今回こそ本音で私たちは、この討論をしましょうと各ルーム長に檄を飛ばすのです。こういうふうにして、学校全体のタバコ討議は、いっきに変わりました。

 そして、12月のはじめまでに、全校・全クラスからタバコ追放の決議が廊下に出されて、そして、それを、まとめる形で、「全校タバコ追放宣言」というのがでるのです。

 生徒会長が全校を集めます。そして、彼は平場でこう言います。「ほんとうに、今の状態は情けないと思う。駅の問題でも小学生にタバコを拾わせるのは高校生として切ない。だから、俺たちは、明日から駅を出見回る。協力してくれ。」

 「俺たちはそのことを先生に一切言うつもりはない。だから、俺たちに協力してほしい」 と。マイクを持って切々と訴えました。そして、次の日からそのことをやりはじめたのです。

 この取り組みを通してタバコの問題は一気に解決しました。駅から1本のタバコもなくなったのです。学校全体でも、タバコは1本もなくなりました

 駅長さんが電話を掛けてくれました。「それにしても学校の教育力ってすごいですね」 と。そのことが、U市の青少年育成協議会でも話題になりました。

 私が出席した小・中・高の生徒指導の先生の会で、指導主事が「最近、感激したことがあります。青少年育成の会議でU市にある駅をいくつか回ったのですが、U駅で、不思議な光景を見ました。」

 「そこのところでは、生徒諸君の代表と思える子どもたちが、一生懸命に、みなを指導して、整然と、乗降を繰り返していました。タバコも1本もなくなったと聞いております」

 こう言ってくれたのです。多くの中学の生徒指導の先生たちや小学校の先生たちが、これを聞いて、ほんとうに、喜んでくれました。

 それを私は、全校の子どもたちに報告をしながら、子どもたちに、今時こんなことができるって、すごいのだぞと返してやるのです。子どもは自分たちの力で、タバコ漬けの学校生活を変えることができた。

 その取り組みによって、自分たちが社会的に、「あの学校の生徒は勉強もしないで、タバコ漬けになっている」という偏見をひっくり返していく。そうしてもう一つ、自分の学校への誇りを創っていくことが出来たのです。

〔コメント〕

 一クラスではなく全校的に「タバコ討議」が成立したきっかけは、「あるクラスにおける本音の討議」でした。その元には「職員によるていねいな呼びかけや、意見の掘り起こし」があったのですが、やはり、生徒に大きな影響を与えるのは生徒自身なのです。

 ドラマ「翼をください」自体、一人が本音を語り始めると周りの者も語りたくなって「真実の対話が出来た」という物語でしたが、U高校ではまさにそれが現実の出来事となり、それが生徒自身の全校的な取り組みに発展し、「誇りのもてる学校づくり」として具体化していくのです。
                 続き
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ 
    ↑
よろしければ投票していただけますか
(一日でワンクリックが有効です)

(教育問題に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめています)






Last updated  2019.03.23 20:01:47
コメント(0) | コメントを書く
2008.03.05
カテゴリ:学校の力を高める
「教育としての自治」から「権利としての自治」へ 1 (Kさんの講演)

 さて、さらに子どもたちの要求に基づく学校づくりとなると、一つのクラスではダメです。学校として社会に向かって自分たちの姿勢を示す。これは、S子が提起していた問題点です。

 そこで私たちは、いくつか取り組みました。たとえば、当時、私たちの学校は、タバコがすごかったのです。U駅というところが、私たちの学校だけが通学する駅なのですが、毎日、どんなに駅員が、片づけても、タバコの吸殻が40本くらいはある。

 そして9月、ちょっと時間が空いたところで全校討議を仕組みました。はじめはなかなか討議にならなかったですね。「タバコどう? そりゃ吸わない方がいいに決まっている。」こういう表面的な議論しか成り立たないのです。

 しかし、何人かの先生たちが一生懸命に話をして、発言がないから感想文を書いてもらいました。そうすると感想文の中に、同じ仲間が、タバコを喫って駅員に怒られていたとか。アパートのところに、ものすごく吸殻があって恥ずかしかったとか。そういう声も出てくるのです。

 その声を学級通信に載せて、クラスに戻す。読んでみてどう? それについて、また、いろんなことを書いてきます。そういうことをやっている先生も何人か出てきました。

 私は、それを全校のものとして、子どもたちに返す「本音で語ろう」というタバコ通信を出したのです。それでも1ケ月くらいは、あまり、きちんとした議論になりませんでした。

 ところがある時、2年生のクラスで、ドラマが起こりました。放課後、担任の先生のところに、女の子が来るのです。先生、ちょっと来て。今、全校でタバコ討議をやっている最中に、私たちのクラスでタバコが喫われている。

 先生は青くなって行きました。そしたら煙突のところの蓋を開いてみたら、真新しいタバコの吸殻を含めて、山のようです。

 先生が私のところに相談に来て、どうするか。これを表にいっきに出して、そして勝負をかけようというふうにしました。次の日にタバコを吸った者は、出てこいと言ったら、子どもたちが開き直った感じで7人出てきました。

 先生は、その子を直ぐに別室に置いておいて、クラス討議を仕組むのです。ところが最初は、ぜんぜん駄目なのです。未成年はタバコを吸わない方がいいと思います、みたいな話で終始するのです。

 ところが、しばらくそんな議論をしてへラヘラ笑っている議論が突然変わります。女の子が、つまりタバコを知らせてきた女の子が手を挙げて「このタバコの問題を先生に知らせたのは私です」と言ったのです。みんなの前で。これは、どういうことか。

 先生方は、もう、お分かりだと思います。高校では「ちくった」といって、大変な問題です。仲間から浮いてしまう。ところが、彼女はこう言ったのです。

 「今、全校でタバコ討議をしている時に、私たちのクラスでタバコが吸われている。そのことが許せないし、そのことに黙っている自分が許せない。だから私が先生のところに言ってきたのです。」こう言ったのです。

 そうしたら、それに続いて、直ぐに友だちの子が立って「私もそう思っているのです」と言って泣いて伏すのです。みんなの前に命がけで体をさらしているのです。このことが討議を変えました。

 そして、それまでの薄っぺらな討議が、ほんとうにきっちりした討議になった。なぜ、そうなったのか。それは、タバコを吸っていることを注意できなかった。 注意できないということは、友だちの間に注意するという関係が成り立っていないからだ。

 同級生をパシリにして、物を買わせにいっているという仲間の間柄もある。そういうことを嫌だと思っても、誰も言えなかった。8時くらいまで議論して、そういう人間関係こそが問題なのだということに、なったのです。

〔コメント〕

 喫煙などをテーマにした討論はなかなか成立しがたいもので、一般的には教職員もあまり生徒に討議を持ちかけないでしょう。
 しかし、「こんなことではいけない」と思っている生徒はどんな学校にも必ずいるものです。この討議が成立したきっかけは、上記の文章にあるような「ある女生徒の訴え」だったのです。
 ただ、そのような声を引き出すために教職員も粘り強く呼びかけたり、アンケートを実施して生徒の声をていねいに拾い上げたことが、「生徒の声」を公の場に出していく大切なポイントであったように思います。
               続く
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
 
    ↑
よろしければ投票していただけますか
(一日でワンクリックが有効です)

(教育問題に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめています)






Last updated  2019.03.23 20:02:35
コメント(0) | コメントを書く
2008.03.04
カテゴリ:学校の力を高める
「きまり」からはいって「自主規律」に発展させる(Kさんの講演より)

 とりあえずきまりは必要です。しかし、人間を変えていくという営みを、続けていくことによって、子どもたち自身が、もう、そんな規則なんてぜんぜん知らなくても、楽々と通過していく段階まで成長します。

 そういう人格をどう育てるのか。「自主規律」を生み出す条件は何だろうか。それは、「個」でいえば、自分が誇りにできるということです。私学差別で、ズタズタにされている彼らの心をもう一回立て直して、自分って素敵な人間なのだという思いをどのくらい教育の中で生み出していけるかということ。

 もう一つ、「集団」でいえば、誇りをもてる集団になれること。俺のクラスは良い。俺の学年は素敵。俺の学校は誇り。こう彼らが思うように、どういう営みを続けていくのか。そのことをやりましょうということです。

 自主規律のことで、例を一つ言えば、ステージダンスの取り組みがあります。先ほど特進クラスができた時に、私たちはOKしたと言いました。理事会に最後は任せたと言いました。特進クラスはつくられました。

 その結果今までと違った形の子どもが何人か入ってきました。私たちは、それを一つのクラスに閉じ込めることをしないで、全校改革に、彼らの力をどう活かせるか、と考えたのです。生徒会執行部にどんどん彼らを入れていきました。だから、受験のためだけに絞るとか、そういうやり方にさせなかったのです。

 この子どもたちが生徒会本部になった時に、学校がひとつまた変わります。彼らのクラスが、当時「ダンス甲子園」というのを始めたのです。色々な取り組みを思い切って彼らはやりました。例えば2年生の時は、24時間ソフトボールといって、ぜんぜん寝ないでグランドで、ソフトをやり続けたのです。親もみな出てきて、炊き出しをやって応援したのです。
  
 このクラスが3年のときにダンスました。当時ダンスはそんなに流行っていなかったのですが、練習のときからまったく気合や人気が違うのです。練習をしていると子どもたちが、みな集まってきて、一生懸命に見ている。いよいよ、当日になりました。もうダントツです。見る者みんなが集中している。

 ワンステージが終わったところで、見ていた生徒のひとりがトイレットペーパーのロールを投げたのです。そうすると、今までだったら教員が出てきて怒鳴ったものですが、このときは違ったのです。

 生徒自身がマイクを持って、「誰、いまこれを投げたのは」「仲間が一生懸命踊っているのだから、一生懸命に見ようよ」とこうなるのです。すばらしい舞台を作って彼らは変わったのです。

 今までの学校祭ではいい加減な態度で見ていた子どもたちが、自分たちが誇れるステージを作ったときに、それ妨害する者を許さない。つまり、自主規律です。
 こういう実態を作っていくということが、彼らが自分たちを立派にしていく、自らの規律を作っていくという関係なのです。

〔コメント〕

 U高校では、新しく設置された「進学クラス」の力を活かしながら「質の高いステージダンス」と「自主規律」の伝統を創造していきます。「学校祭」は生徒会を中心に「生徒が自主的に創り上げていく時間・空間」です。
 
 上記の実践も優れたものですが、U高校では「行事」とは異なる「日常生活」までも変えていくような討議が創られていきます。それを次回、お知らせします。
                    続き
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
    ↑
よろしければ応援していただけますか

(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)






Last updated  2019.03.23 20:03:20
コメント(0) | コメントを書く
2008.02.29
カテゴリ:学校の力を高める
(二)どう対応するか-生活指導と生徒指導(Kさんの講演より)

 「生活指導」に関しては、こういうことを合い言葉にしようと話し合いました。

1、即決主義でなく放任主義でなく

 高校の現場では、上記のどっちかにいきやすいのです。

 そこで、即決でなく放任でなくということを合い言葉にしました。なぜ、即決でないのか。だって、15歳で私たちの目の前に現れるまでには、彼らは15年のキャリアがある。15年間かかって様々な生き方というものを身につけている。 

 それを一片の説教で分かるなどと思わない方がいい。教師はいろんな癖をもっています。何かあるとすぐ呼んで説教をします。「分かったなあ」。生徒はしょうがないから「分かったよ と言って出ていく時に、ドアーをピッシャツと閉めていきます。そうすると教師は直ぐにドアーを開けて追っかけていって首ねっこをつかまえて「何だ、今のは」と。 

 でも、そういうやり方では、ぜんぜん、子どもたちは変わらないのです。こういう議論をしました。

 だから、即決でなく、です。じゃあ、ほったらかしていいのか。そうではない。やはり、それは違うと思うよと、教育要求はきちんと出す。しかし、そこのところに遊びをつくる。このことが大切な「こつ」だということを私たちは考えた。

 その時々で教師は直ぐ頭にきやすいけれども、「即決でなく放任でなく」を口癖にしよう。それを一言つぶやいてみると、ずいぶんと気持ちは変わるのです。こんな話を実践的にやってきました。

2、「きまり」 は必要だが 「きまり」で鯵負をかけない

 とりあえずは、きまりは必要です。「8時半から学校が始まるよ」ということがなければ、学校にならないのです。

 でも、そのことだけで、勝負をかけようとすると、どこかの学校みたいに、時間になって門を閉めたら生徒が死んじゃったという、そういう問題になります。

 だから、私たちは、きまりは必要だけれども、きまりで勝負をかけない。きまりがなければ、学校にならないのだけれども、「きまり」は「時押さえ」と考えよう、と話し合いました。

 きまりだということで、ギューッと絞めると、子どもを殺してしまうのです。そうじゃなくて時押さえと考えよう。これは「とりあえず」ということです。

 じや、何をするの?時押さえをしている間に、子どもたちが自分たちで、自覚的に、そういうことが出来る人間になっていくよう育てていこうということなのです。そこに指導性があるのではないか。

〔コメント〕

 U高校ではさまざまな取り組み(4700人の学校祭など)の手ごたえを確認しながら、日常的な生徒とのかかわりについて、ていねいに何が大切なのかを論議していきます。

 結局、このような論議と実践こそが、「学校の力を高めていく」ことにつながるのです。そして、「力をためた」U高校は他校にはとてもできないようなことを実現していくのです。

 その出発点となる考え方について、さらに詳細な実践について、少し時間がかかるかもしれませんが、ぜひ紹介したいと考えています。
                    続く
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ 
    ↑
よろしければ投票していただけますか
(一日でワンクリックが有効です)

(教育問題に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめています)






Last updated  2019.03.23 20:04:22
コメント(0) | コメントを書く
2008.02.22
カテゴリ:学校の力を高める
S子がU高校で体験できたこと 2

「U高祭」を中心にした学校づくり

 16日の日記で4700人を集めた学校祭の取り組みを紹介 しましたが、それはS子が卒業した後のことです。ここではKさんの講演から「S子も体験できたU高祭」を紹介します。

 秋になりました。そういう努力を、是非、地域に見てもらおう。あの暴力事件はひどかったけどその後、クラス・学年を通じて学校を建て直す努力を見てもらおうよ。学園祭を一般公開しよう、というふうに、呼びかけたのです。

 私の学校はそれまで6年間、一般公開を止めていました。なぜか。見せるものがないのです。もう、ほんとうに荒れていて、とても見せられる状態じゃなかったのです。なかなかか勇気が出なくて、子どもたちはうんと言いませんでした。でも、ようやく私たちの説得を受けて一般公開をすることに決めたのです。

 そこで私たちは、どうせ一般公開するならばお客さん3000人に来てもらうという目標を立てようよ、といいます。いろんな曲折がありましが、そういうことになりました。

 私のクラスのことについて言いますと、じや、3000人の1割、300人を引き受けようよということになりました。何をやったらいいか。考えついたのが、身の回りにある、竹で作った玩具をみんなで作って、その作り方を展示したりして、子どもを集めようということでした。

 竹とんぼを作って、竹とんぼ教室をして、子どもに賞品を出すって宣伝をすればいいという話になったのです。それがいいということで、竹とんぼが作れないといけないという話になりました。

 ところがHRで、竹とんぼを作らせたら、ぜんぜん、飛ばないのです。ヒョロヒョロと上がって、直ぐに落ちてしまう。ナイフを使えないということが話題になった時期でした。

 たまたま、クラスの役員の男の子のお父さんが竹細工の職人だったのです。よしこれだ、というわけで、来ていただいて、1時間HRで指導してもらったら、これはもうすごいです。

 今度は、たとえば、体育館でやると、横に飛ぶのは、ここから後ろまで飛んでいく。まっすぐに上がるのは、しばらく天井に張り付いて落ちてこないのです。

 こうなるとおもしろいのです。体育の先生も、自分で一生懸命に竹とんぼを作っているのです。そんな状態が、ズーッと広がっていってブームになったのです。

 いよいよ当日になりました。子どもたちは入り口のところに机を出して、一人入ってくると“正”の字を一つずつ書いているのです。12時に300人を突破しました。そして終わりの2時半のところで532人になったのです。これは感激でした。

 後で分かったことなのですが。彼らは子どもたちを集めるために一生懸命にやっていたのです。中学の先生のところへビラを持って行って「配ってください」とお願いしたり、幼稚園に行って、10月ですから朝寒いのですが、ビラを配っていたり本当によくやっていました。

 その結果、全校では1700人になりました。これは、来てはくれないと思っていた子どもたちに、ひじょうに大きな励みになりました。

〔コメント〕

 「うちの学校祭なんか誰も来てくれない」とKさんの提案に対して渋っていた生徒たちでしたが、具体的な取り組み・事実によってそのような認識を乗り越えていきます
 
これが、生徒にとって大変な自信となり、そしてそのことに教職員集団が大きく励まされ、生徒・教職員の実践がさらに進んでいくことになるのです。
                  続く
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
    ↑
ランキング(日本ブログ村)はこちらです






Last updated  2014.08.06 13:08:13
コメント(0) | コメントを書く

全18件 (18件中 1-10件目)

1 2 >


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.