000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

“しょう”のブログ

PR

X

全6件 (6件中 1-6件目)

1

歴史

2020.08.23
XML
カテゴリ:歴史

 近年(おそらくここ10年程の間)に幕末から明治の歴史に関する見方・評価が大きく動いています。 

 例えば、『墨夷応接録』〔ペリーと交渉をした幕府全権 林 復斎が残した応接(交渉)の記録。〕これは、「黒船来航」に対して、幕府は実に見事な二国間交渉を展開していたという明治維新以後150年の「常識」を覆す記録です。

 また、『勝海舟』(筑摩書房)歴史学者松浦玲が膨大な資料の緻密な検証をもとに勝海舟の全生涯と時代の総体を描ききった労作です。 

また、ここが変わった! ここまでわかった! 『日本の歴史』(朝日新聞社)の幕末から維新を特集した号(2013年)には、今の私たちが持つ「志士」像は明治政府による英雄化の産物だった、という記述があります。「幕末から明治初期に命を失った「殉難者」への贈位などを通じ、勤皇の志士を政治的に顕彰することによって、明治政府は自らの権威を高めるような歴史像を形成していった、」というわけです。 

なるほど、「ペリー来航後の幕府はあまりに無能だったので、勤王の志士たちによって薩摩長州を中心とする強力な政府をつくって大改革に成功したのだ」という物語は当時の薩長藩閥政府によってつくられた「彼らにとって好ましい歴史像」だった、という見方も一定の説得力があります。(上記資料『墨夷応接録』『勝海舟』(筑摩書房)など参照)

 これまで私たちが常識と考えてきた幕末から維新の歴史が、「国家によって意図的に作られてきたものではないか」、「作られた歴史像に大きく影響されているのではないか」という問いを避けるべきではありません。そのような観点からすると、今日顧みられるべきは、その時代において明治政府に対して明確に示された批判的見識ではないでしょうか。

 例えば、士族から始まり民衆にも広がった「自由民権運動」は、その過程で自ら民主的な憲法案を作るなど、当時の藩閥政府に対する根本的な批判を形にしたとも言えます。しかし、それが結局、「国権論」に取り込まれ、明治政府との対決姿勢を鈍らせていったのは有名な話です。

 確かに、鋭く根本的な批判となると当時の日本人にはかなり難しかった面もあるかもしれません。日清戦争あたりから、国力・軍事力拡張の流れが時代の風潮になっていくとすれば、なおさらでしょう。

  しかしながら、明治政府の要人に一目置かれながらも、上記のような風潮に流されず、鋭く根本的な政府批判を行い続けた人物がいます。それは西郷隆盛とともに江戸城を無血開城に導いた勝海舟です。
 彼の言動については『氷川清話』、『海舟座談』(本人の証言)や『勝海舟』(松浦玲)などにまとめられています。
 さしあたって、
勝海舟 - Wikipedia から要点(一部)を引用しておきましょう。

  海軍の生みの親ともいうべき人物であり、連合艦隊司令長官の伊東祐亨は海舟の弟子とでもいうべき人物だったが、日清戦争には反対の立場をとった。(・・・)

 勝は戦勝気運に盛り上がる人々に、安直な欧米の植民地政策追従の愚かさや、中国大陸の大きさと中国という国の有り様を説き、卑下したり争う相手ではなく、むしろ共闘して欧米に対抗すべきだと主張した

(引用は以上、松浦玲の『勝海舟』に照らしても、上記の記述に問題なさそう。) 

 私は、勝海舟が日清戦争に反対だったことを数年前に初めて知り、感心しました。日本史の教科書には日露戦争に反対した人物(幸徳秋水や内村鑑三)は出てきますが、日清戦争に反対した人物は、出てきませんよね。 

 周知の通り、幕末、勝海舟は日本海軍の増強を主張し、海軍を支える人材の育成に力を注ぎましたが、あくまでその目的は日本に不当な圧力をかけてくる欧米諸国と対抗することであり、薩長両藩の優位に立つことやアジアに勢力を拡大することでは断じてなかったのです。 

 以下は、『氷川清話』に収められている海舟自身の言葉です。

 おれは大反対だったよ

「日清戦争にはおれは大反対だったよ。なぜかつて兄弟喧嘩だもの、犬も喰はないじゃないか。たとえ日本が勝つてもどうなる。支那はやはりスフインクス(註)として外国の奴らが分らぬに限る。支那の実力が分つたら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。つまり欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。 

〔註:エジプト神話におけるライオンの体と人間の顔を持った神聖な怪物。当時の清は「眠れる獅子」と言われていたので、海舟はこのような比喩を用いた。〕 

 そもそも支那五億の民衆は日本にとつては最大の顧客サ。また支那は、昔から日本の師ではないか。(・・・)東洋の事は東洋だけでやるに限るよ。

 おれなどは◎維新前から日清韓三国合縦(がっしょう)の策を主唱して、支那朝鮮の海軍は日本で引受くる事を計画したものサ。

今日になって兄弟喧嘩をして、支那の内輪をさらけ出して、欧米の乗ずるところになるくらいなものサ。」

『氷川清話』勝海舟/江藤淳、松浦玲編(講談社学術文庫、2000年)より 

下線◎に関連した資料

(幕末 神戸海軍塾設立の直前における)「勝海舟の日記」より口語訳 

『勝海舟』215頁 松浦 玲 筑摩書房 

 「現在、アジア州の中で、欧米に抵抗できる者(国)はない。それは、(国力の)規模が小さく欧米の遠大な策(帝国主義政策)に及ばないためだ。今こそ、我が国から船を出し、広くアジア各国の主に説くべきだ。相互の連携を強め、海軍力を増強し、手段を尽くして学問と新しい技術を研究しなければ欧米諸国に蹂躙される流れを防ぐことはできないということを。それを、まず隣国の朝鮮に説き、そのあとで中国に説き及んでいこう。」 

〔以下、引用者付記:

日清戦争に際して海舟は詩(漢詩)を作ったが、その中で次のように言い切っている。

※ その戦、更に名無し(そのいくささらにななし)

 =そのいくさ(日清戦争)には全く大義名分も正義もない                            

海舟は日清戦争勝利後も、領土要求は欧米列強の新たな侵略をまねくとする立場からこれに反対したのですが、彼が予測した通り日清戦争後、欧米による猛烈な中国分割競争が始まるわけです

 さて、このような欧米による中国分割に対して一片の抗議もしなかった日本が、ずっと後に欧米帝国主義国の支配からアジアを解放するとして「大東亜共栄圏」という言葉を使いはじめます。

 これが文字通り「アジア全体を各国が共存共栄する対等な共同体にする」、という意味であるとすれば、日本がアジアのどこか(例えば朝鮮や台湾)を植民地支配するということはあってはならないはずです。
 ごまかしのない「大東亜共栄圏」は、(日清韓三国合縦を主張し、日清戦争に反対した)勝海舟や(日本はアジアに領土を拡張すべきでない、植民地を率先して放棄「模範を示」すべきであると主張した)石橋湛山の構想の延長上にしかないはずだと思うのです
 

なお、一万円札の顔である福澤諭吉は「日清戦争は文野の戦争(文明と野蛮の戦争)」だと言って、戦争への賛成を表明しています。

〔参考:日清戦争に対する福澤諭吉の見解はこちら

 ただし、この論理でいえば、「欧米によるアジアの植民地化は正当な行為」ということになってしまいますが。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村人気ブログランキングへ
教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページ​に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
​​
「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)​







Last updated  2020.10.21 00:42:37
コメント(0) | コメントを書く


2020.08.18
カテゴリ:歴史

 安倍首相の「戦後70年談話」の際に公開した記事を改めて掲げておきます。

 以下、再掲。

 「戦後70年談話」で安倍首相は「歴史に真正面から向き合うこと」を強調しましたが、果たして言行を一致させることができるでしょうか。安保法案を何が何でも成立させようとすることや、歴史にまともに向き合っているように思えない育鵬社の教科書を推奨したり・・・。「談話」の内容にも結構突っ込みどころがあります。 (→末尾の注)

 ところで私は一か月以上前になりますが、「新しい歴史教科書をつくる会 」が主催する講演会「演題:日本を取り戻す教育」(講師:高橋史朗)に参加しました。

 めったに聞く話ではないので、その内容を要約しておきます。〔( )内は、私の心のつぶやきの一部です。〕

 自分は、渡米してGHQの文書を読み込み、研究してきた。
 そこからわかったことは戦後GHQが、徹底的に日本人を洗脳し「義眼」をはめこんだことだ。例えば、靖国神社はA級戦犯が合祀されているから問題だといわれるが、そもそも「戦争を起こした罪」によって〔指導者を〕戦犯として裁くということは、当時の国際法からしても成立しない。
  『菊と刀』というルース・ベネディクトの戦略的論文がある。
 日本人には「内なる道徳律」がなく、世間の目(恥)が実質的な善悪の基準だという。
 日本の軍国主義(集団同調主義)は本質的なものとして日本人に染みついているという趣旨の記述もあり。日本に来たこともないルースがなぜ日本人の本質について語れるのか? おかしいではないか!


(中国・現地での聴き取り・取材・資料のまともな検討もしていない「特定の日本人」が、なぜ「南京事件」の虐殺は虚偽だなどと断言できるのでしょうねぇ:私)

 朝日新聞をはじめとする戦後のジャーナリズムを見ると、日本人がいかに「義眼」をはめられ「自虐史観」の染まっていったかがよくわかる。従軍慰安婦は嘘であったにもかかわらず、韓国が問題として激化させている

 GHQによって日本人は罪の意識を埋め込まれた。
 「原爆投下は戦争犯罪である」といった主張は言論界でも抑圧された。
 朝日新聞などは早い段階で「義眼」をはめこまれ、自己検閲をしてしまっている。

(そのような教育によって洗脳されたのは「ベトナム戦争」「イラク戦争」などに際しても一切米国を批判できない歴代首相では? 日米安保条約に基づいた「地位協定」という国際的にみても不平等な実態に関して歴代総理大臣が一言も発しないのは、ある意味「洗脳」状態にあるのでは? 「日本を取り戻す」というなら最低限見直し発言ぐらいすれば?:私 )

 「反日」の日本人が多い背景にはGHQによる洗脳がある。自虐的な教科書が横行している現実を変革していかなければならない。
 日本人は東京裁判を正当化する「太平洋戦争史」に毒されてきた。日本人の弱点はこのような実態への批判的精神に乏しいことだ。「太平洋戦争史」に教師たちは反論していない。武士道の精神が残虐行為につながったなど、誤解が横行しているにも関わらず。

 講演の要約は以上

〔講演会後に私が会場で発言した内容〕 

 中学に通っている子どもがいるが、私は自由社や育鵬社の教科書で学ばせたいとは思わない。子どもには「世界に通用する論理・歴史観」を身につけてほしいからだ。「偏狭で自己中心的な観点から」自国の立場を強調する歴史を学ぶことは本当の誇り・「愛国心」とは無縁だと思う。

 まず、「世界に通用する論理」について例を挙げたい

1、「戦後50年」を機に来日したワイツゼッガー元西ドイツ大統領の演説
 彼は、ドイツも日本も勇気をもって自らの歴史と向き合うべきことを強調すると同時に、連合国が勝つために行ったことの全てが正当化されるわけでは決してないことを主張した。  
 (東京大空襲等の無差別爆撃や原爆投下などを想定。)

2、「東京裁判」におけるパール判事(しばしば右派に都合よく利用される)の論理
 日本軍国主義は欧米帝国主義の悪しき模倣であり、いずれも道義的には許されないことであると厳しく主張すると同時に、当時の国際法には「戦争を起こした罪」を裁く観点は明記されておらず、「事後法」によってA級戦犯を有罪とすることはできないと主張した。
 いずれも世界に通用する論理だと思う。偏狭な自己正当化を主張する歴史観が世界に通用するとは思えない。

 続いて、自国の行為・歴史の見方について、日本とは別の事例を挙げたい。
 私は過去に参加した原水爆禁止世界大会で、ある米国人のスピーチに感銘を受けた。彼女は、米国によって行われた「原爆投下」、「大空襲」を厳しく批判する(当時の米国人は日本人のことを「黄色い蛆虫」と呼んでいた!)と同時に、第二次大戦後、米国がベトナムやイラクで行ったことについて激しく非難していた。米国で彼女は「愛国心の足りない者」、「自虐的で不当に米国を貶めるもの」と非難されるかもしれない。しかし、このように真正面から自国の犯した犯罪行為に向き合う姿勢こそ、尊敬に足るものではないか。

(自由社や育鵬社の教科書はどうだろうか?) 

 最後に、「軍慰安婦」の問題について発言したい。仮に軍による直接的な韓国人女性の強制連行の証拠が見つからないとしよう。しかし、慰安婦制度には根本的な問題がある。
 そもそも韓国併合条約には「(日本による)韓国人の保護義務」が明記されている。

 慰安婦の多くが「業者等に騙されて連れてこられた」ことはよく知られた事実であるが、「騙されて連れてこられた人たち」は当然(警察・軍隊によって)保護され解放されるべきである。しかし、現実には一人の逃亡も許さない形で慰安所の中に拘束された。これは、明らかに「韓国人の保護義務」に反することを国家(軍隊)が行ったのではないか。(「性奴隷制度」という批判に反論できないのではないか?)

 私の、質問・意見は以上でした。

 講師の反応は省略します(一部「70年談話」と重なるような発言もありました)が、私の発言に対して「そのような考えもあるんだ」という空気が会場に流れ、最後に主催者が、「先ほどのような質問・意見は私には出せない観点でした」とあいさつするなど、話はしてみるものだという「手応え」を得ることはできました。 

(安倍首相の「戦後70年談話」に関する注)

 例えば談話の途中に出てくる「・・・危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」などは日本の自慢話ですが、​この時代​についてインドのネルーは以下のように証言しています。安倍談話がしっかり「歴史に向き合うもの」といえるのかどうか、ということですね。

ネルー著『父が子に語る世界歴史3』大山 聡訳 みすず書房(1975)               

 日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかということをわれわれは見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけ加えたというにすぎなかった。その苦い結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した。日本は開国の当初から、すでに朝鮮と、満洲の一部を、自己の勢力範囲として目をつけていた。もちろん、日本はくりかえして中国の領土保全と、朝鮮の独立の尊重を宣言した。帝国主義国というものは、相手のものをはぎとりながら、平気で善意の保証をしたり、人殺しをしながら生命の神を聖公言したりする、下卑たやりくちの常習者なのだ。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村人気ブログランキングへ
教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページ​に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
​​
「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)​







Last updated  2020.08.19 08:32:21
コメント(0) | コメントを書く
2019.03.11
カテゴリ:歴史
菅野完が以下の題名の記事を書いていました。本人への評価は色々あるようですが、意図するところは理解できましたので一部紹介しておきます。(ただ、最後の部分は心を病んだ人への差別性が垣間見えていただけませんが…。)

「三・一独立運動100周年」で両国の未来を語った文在寅大統領。
「反日で危険」と煽った日本政府  


◆韓国の三・一独立運動の100周年に関する政府対応への違和感

 先日、お隣の国・大韓民国は三・一独立運動の100周年を祝った。

 植民地支配を受けた歴史を有する国や地域の人々が、植民地支配に抗した過去の運動を称揚しその精神を受け継ぐために奉祝するのは当然のことだろう。それが韓国の場合、我が国は旧宗主国。我が国としては、かつての植民地支配への反省と友好親善のメッセージを送るのが、未来を志向した大人の対応だろう。事実、旧植民地側の文在寅(ムンジェイン)大統領はスピーチで「力を合わせ、被害者たちの苦痛を実質的に治癒するとき韓国と日本は心が通じる真の親友になることでしょう」<訳・徐台教(ソテギョ)氏>と、前向きなメッセージを発している。

 しかし日本政府は正反対の反応を示した。なんと韓国国内に滞在する邦人に対し、「反日集会が行われるため、近づかないように」との「危険情報」を発したのだ。(・・・)

〔引用は以上〕

 虚心坦懐に「3・1独立運動で読み上げられた独立宣言」​を通読すれば、それが「反日」というレッテルをはるかに超えた普遍性を持っているのはあきらかではないでしょうか。(前記事)
 「大人の対応」というよりも正面から歴史と向き合い、「世界に通じる歴史観」に基づいた「相互尊敬に値する対応」をしっかり取っていきたいものです。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村人気ブログランキングへ にほんブログ村

 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページ​に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)

​​
「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ『綴方教師の誕生』から・・・生活指導と学校の力教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)​








Last updated  2019.03.12 00:46:28
コメント(0) | コメントを書く
2019.03.03
カテゴリ:歴史
​ ​2019年3月1日は、朝鮮半島で3・1独立運動が起こってちょうど100年目になります。​​   
 1910年の日韓併合条約によって日本の植民地支配をうけることになってしまった朝鮮の人々が独立宣言文を読み上げ、瞬く間に全土に広がっていった運動ですが、私自身、大変うかつなことに(遅まきながらようやく)この宣言文を読むことになりました。




抄訳は以下のとおりです。

独立宣言書(抄訳)

 われわれはここにわが朝鮮国が独立国であること、朝鮮人が自由の民であることを宣言する。これを世界の人々に告げて人類平等の大義を明らかにし、子々孫々に告げて民族自決という正当な権利を永久に持ち続けようと思う。[中略]

 今日われわれの任務はただ自己の建設があるのみで、決して他を破壊することではない。
[中略]すでに遅れた思想となっていたはずの侵略主義や強権主義の犠牲となって、初めて異民族の支配を受けることになった。自由が認められない苦しみを味わい、10年が過ぎた。支配者たちはわれわれの生きる権利をさまざまな形で奪った。[中略]

 われわれは、旧い思想、旧い勢力にとらわれた(・・・)不自然かつ不合理で誤った状態を改善、修正し、自然で合理的な正統の原点にかえそうと思う。

 初めから日本と韓国(大韓帝国)との併合は、民族的要求にもとづいておこなわれたわけではない。その結果、威圧的で差別・不平等な政治が行われている。支配者はいいかげんなごまかしの統計数字を持ちだして自分たちが行う支配が立派であるかのように言っている。

 このような支配が両民族間にいつまでも友好協力できない憎しみの溝を深めている。(・・・)勇気をもって果敢に過去の誤ちを正し、真の理解と共感にもとづく友好的な新局面を切り開くことが、おたがいに不幸を遠ざけ幸福を招く近道であることを知るべきではないか。[中略]

 また憎悪する二千万の民を武力でもって拘束することは、単に東洋の永久平和を保障しないだけでなく、これによって東洋存亡の主軸である四億中国人の日本に対するおそれと疑いを濃厚にし、その結果はついに東洋全体が共倒れする悲運を招くに至るであろう。
 
 いま、目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力を持って人々を押さえつける時代はもう終わりである。[中略]

 われらはここに奮い立つ。
 良心はわれらとともにあり、真理はわれらとともに進んでいる。[中略]着手がすなわち成功である。ただ前方の光明に向かって邁進するだけである。

​​​公 約 三 章​​​

一、今日我らのこの行動は正義、人道、生存のための民族的要求であり、自主的精神を発揮するものであり、決して排他的感情に逸れて進んではならない
一、最後の一人まで、最後の一時まで民族の正当な意思を快く発表せよ
一、一切の行動は秩序を最も尊重し、我の主張と態度をあくまで光明正大とすること

〔引用は以上〕
 
 宣言文を読めば明らかなように、これは「武力闘争」や「日本人への憎しみ」を強調したものではなく、非暴力的に「朝鮮人が自由の民であることを宣言」し、「世界万国に告げて人類平等の大義を明らかに」するものでありました。言ってみれば「アメリカ独立宣言」、「フランス人権宣言」にも匹敵する普遍性を持った内容であり、当時、世界の潮流になりつつあった「民族自決の理念」を高らかに宣言したものだったのです。

 現在の日本では、極めて残念なことに、この記念日を「反日」という感情的で狭い視点でしかとらえない言説がとび交っています。あらためて、宣言文の全訳を読み、歴史の事実に目を開くこと、一国の中でしか通用しない狭い歴史観ではなく、全世界に通用する普遍的な歴史観を共有していきたいものです。

 なお、​「世界史の窓」で三・一独立運動についてわかりやすく説明してあります。
 世界に通用する歴史観については「新しい歴史教科書をつくる会」の集会に参加して発言したことがあります。​ (記事「日本をとりもどす教育!?」)

 よろしければ、ご一読ください。​

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村人気ブログランキングへ にほんブログ村

 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページ​に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)

​​
「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ『綴方教師の誕生』から・・・生活指導と学校の力教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)​






Last updated  2019.03.18 21:32:01
コメント(0) | コメントを書く
2018.11.27
カテゴリ:歴史
 韓国人徴用工に対する韓国最高裁の判決に対する攻撃は相当なものです。

 「最高裁の判決」は日韓で合意された請求権協定に反する、というわけです。

 しかし、そもそも自明のように取り上げられる「請求権協定」とはどのような内容でしょうか?

 

 まずは、リンク先の動画を見てみませんか。
 https://ameblo.jp/shchan3/entry-12421998480.html



「1945年への道」​というブログ、大変すばらしいです。
 ぜひご覧ください。



にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村人気ブログランキングへ にほんブログ村

 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページ​に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)

​​
「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ『綴方教師の誕生』から・・・生活指導と学校の力教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)​






Last updated  2019.01.24 21:58:14
コメント(0) | コメントを書く
2013.08.27
カテゴリ:歴史

 ここが変わった! ここまでわかった! 『日本の歴史』(朝日新聞社)がかなり注目されているようです。

 幕末から維新を特集した号では、今の私たちが持つ「志士」像は明治政府による英雄化の産物だった、という記述があります。「幕末から明治初期に命を失った「殉難者」への贈位などを通じ、勤皇の志士を政治的に顕彰することによって、明治政府は自らの権威を高めるような歴史像を形成していった、」というわけです。

 だとすれば、これまで私たちが常識と考えてきた幕末から維新の歴史が、「国家によって意図的に作られてきたものではないか」、「作られた歴史像に大きく影響されているのではないか」という問いを避けるべきではないでしょう。

 今日顧みられるべきは、その時代において明治政府に対して明確に示された批判的見識ではないでしょうか。

  例えば、士族から始まり民衆にも広がった「自由民権運動」は、その過程で自ら民主的な憲法案を作るなど、当時の藩閥政府に対する根本的な批判を形にしたとも言えます。しかし、それが結局、「国権論」に取り込まれ、明治政府との対決姿勢を鈍らせていったのは有名な話です

 確かに、鋭く根本的な批判となると当時の日本人にはかなり難しかった面もあるかもしれません。日清戦争あたりから、国力・軍事力拡張の流れが時代の風潮になっていくとすれば、なおさらでしょう。

  しかしながら、明治政府の要人に一目置かれながらも、上記のような風潮に流されず、鋭く根本的な政府批判を行い続けた人物がいます。それは西郷隆盛とともに江戸城を無血開城に導いた勝海舟です。
 彼の言動については『氷川清話』、『海舟座談』などにまとめられています。

 それではまず、勝海舟 - Wikipedia から要点(一部)を引用しておきましょう。

  勝は日本海軍の生みの親ともいうべき人物でありながら、海軍がその真価を初めて見せた日清戦争には終始反対し続けた。(・・・)

 勝は戦勝気運に盛り上がる人々に、安直な欧米の植民地政策追従の愚かさや、中国大陸の大きさと中国という国の有り様を説き、卑下したり争う相手ではなく、むしろ共闘して欧米に対抗すべきだと主張した

    (引用は以上)

 私は、勝海舟が日清戦争に反対だったことを数年前に初めて知り、感心しました。日本史の教科書には日露戦争に反対した人物(幸徳秋水や内村鑑三)は出てきますが、日清戦争に反対した人物は、出てきませんよね。

 周知の通り、幕末、勝海舟は日本海軍の増強を主張し、海軍を支える人材の育成に力を注ぎましたが、あくまでその目的は日本に不当な圧力をかけてくる欧米諸国と対抗することであり、薩長両藩の優位に立つことやアジアに勢力を拡大することでは断じてなかったのです。

 以下は、『氷川清話』に収められている海舟自身の言葉です。

 おれは大反対だったよ

 日清戦争にはおれは大反対だったよ。なぜかつて、兄弟喧嘩だもの犬も喰はないヂやないか。たとえ日本が勝つてもドーなる。支那はやはりスフインクスとして外国の奴らが分らぬに限る。支那の実力が分つたら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。

 一体支那五億の民衆は日本にとつては最大の顧客サ。また支那は昔時から日本の師ではないか。それで東洋の事は東洋だけでやるに限るよ。
 おれなどは維新前から日清韓三国合縦(がっしょう)の策を主唱して、支那朝鮮の海軍は日本で引受くる事を計画したものサ

〔『氷川清話』の注:「維新前から日清韓三国合縦の策」は「政治今昔談」の「軍備と海軍」のところに、神戸海軍操練所を設立した意図の一つとして説明されていた。幕末文久元年から元治元年ごろにかけて、海舟はこのために奔走している。〕 

 今日になって兄弟喧嘩をして、支那の内輪をサラケ出して、欧米の乗ずるところになるくらいなものサ。

日清戦争の時、こういう詩を作った

 隣国交兵日(りんごくへいをまじうるのひ)
 其戦更無名(そのいくささらにななし)
 可憐鶏林肉(あわれむべしけいりんのにく)
 割以与魯英(さきてもってろえいにあとう)

 黄村などは、「“其戦更無名”とはあまりにひどい、すでに勅語も出て居ますことだから」といって大層忠告した。それでも『これは別のことだ』といって人にもみせた。(・・・)
 ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張って居ると、後で大変な目にあうヨ。

 『氷川清話』勝海舟/江藤淳、松浦玲編(講談社学術文庫、2000年)以下同】

 海舟は日清戦争勝利後も、領土要求は欧米列強の新たな侵略をまねくとする立場からこれに反対したのですが彼が予測した通り日清戦争後、欧米による猛烈な中国分割競争が始まるわけです

 さて、このような欧米による中国分割に対して一片の抗議もしなかった日本が、ずっと後に欧米帝国主義国の支配からアジアを解放するとして「大東亜共栄圏」という言葉を使います。

 これが文字通り「アジア全体を各国が共存共栄する対等な共同体にする」、という意味であるとすれば、日本がアジアのどこか(例えば朝鮮や台湾)を植民地支配するということはあってはならないはずです
 ごまかしのない「大東亜共栄圏」は、(日清韓三国合縦を主張し、日清戦争に反対した)勝海舟や石橋湛山(日本はアジアに領土を拡張すべきでない、植民地を率先して放棄すべきであると主張した)の構想の延長上にしかないはずだと思うのです

 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ  人気ブログランキングへ  にほんブログ村

  教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページ​に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)

 「しょう」のブログ(2) 〕もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)







Last updated  2020.08.22 22:54:41
コメント(2) | コメントを書く

全6件 (6件中 1-6件目)

1


© Rakuten Group, Inc.