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2022.08.14
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全16件 (16件中 1-10件目) 憲法・人権・ワーキングプア
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
「傷つけられた子どもたちは今~ヘイトスピーチから6年」 上記番組をオンライン放送で視聴しました。ヘイトスピーチで傷つけられた子どもの視点から丁寧に作られた番組、日本の現状を問い直す問題提起としても素晴らしかったです。番組を作り放送にこぎつけた皆さんに心から敬意を表します。人権や民主主義を大切にするという視点をNHKがまだ失ってないということも確認することができました。 「クローズアップ現代」が2016年3月で打ち切りか(ゲンダイ) 2日発売の週刊誌「週刊現代」が報じた。
2015.04.18
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
表記の書籍(楠凡之著)を読んだのはおよそ半年前。綴られている体験は、普通の(全く普通に見える)大学生が児童・生徒であった時のもの。 私も色々考えさせられました。ぜひご一読ください。 以下は、あるコラムへ投稿した私の文章です。 ◆『虐待・いじめ 悲しみから希望へ』(楠凡之著)を読んだ。被虐待等の事例は課題レポート(児童虐待の問題)に書かれた大学生自身の体験である。「教室の中でみんなと同じように笑ったり話したりしている学生の中に、過酷な体験を生き抜いてきた人たちがこれほど多くいることは想像していなかったので(…)とても衝撃を受けました、」と著者はいう。 ◆そして、虐待した親についてはこうも指摘する。「抱えきれないほどの生きづらさや葛藤をわが子との関係の中に投げ込んでいる(…)」、「親子という濃密な関係であるがゆえに(…)自分の激しい感情をぶつけてしまうのでしょう」と。 ◆先日参加した研修会でも、児童相談所の職員から同様の発言を聞き、つくづく思ったのは「まず大人自身が幸せでなければならない」ということである。日々の仕事・生活で追い詰められ、ゆとりを失うことが自他に与える悪影響は計り知れない。 ◆この間、生きづらさの背景にある新自由主義的「改革」への反転攻勢として、非正規労働者のユニオンが各地で結成され、多くの団体・個人の連携で「反貧困ネットワーク」も活動を開始・継続している。われわれの働く現場を、生活を、そして社会をあきらめるわけにはいかないのだ。
2010.08.17
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
以前ブログ記事で取り上げた、『週刊東洋経済』 2010年4月24日号の文章を再度引用します。 貧困問題解決に向けて「富裕層から低所得層に所得を再分配する方法」、これにはいつの時代でも困難が伴った。市民社会のルールである「生活自己責任原則」に基づく個人主義のモラルが、「貧困は怠惰、浪費などの個人の能力や性格に原因がある」との見方からの脱却を容易に許さないからだ。
以下は今年書かれた湯浅誠の文章ですが・・・。
実際に外泊した人たちの中にも、翌朝早くに福祉事務所等へ行くことが決まっていたため、三~五人相部屋の今の施設には戻らず、一泊だけネットカフェ等で「ホッと一息」ついた人もいる。 もちろん、なぜ外泊を連絡しないのか? といった疑問もあるだろう。しかしそれは、現場運営が混乱するなかで、施設の電話番号がきちんと入所者に伝えられず、どこに連絡していいのか分からなかったからだ。
「人間らしい生活、労働」、「社会権の確立」・・・その実現を妨げているものは一体何か、くりかえし問うことが大切なのではないでしょうか。 「手近に悪者を仕立てあげて、(・・・)結果的にはどちらの利益にもならない“底辺への競争”を行う。もうこうした現象はたくさんだ。また同じことを繰り返すのだとしたら、私たちはこの10年でいったい何を学んだのか。」 (『反貧困』より)
教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに
2009.01.25
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
標記番組(1月25日 NHK総合)では、中国地方(広島)の自動車産業の実態、とりわけ下請企業の苦悩がなまなましく描かれていました。自動車の販売台数が激減する中、その影響は大手の自動車メーカー以上に部品を生産する「下請け」を直撃しています。
〔内容〕 自動車メーカーの部品メーカー(下請け)のある企業は12,000の部品の生産を140の企業(いわゆる孫受け)にまかせてきたが、あまりに注文が減少したため31の部品の生産は自分の工場で行うことにした。 ![]() 下請け(孫受け)から仕事を引き上げて自分のところを守らなければならない実態。 「非常に難しい判断ではあるけれど、自分のところを守っていかないといかん」と社長は語る。 さらに規模の小さい下請け(孫受け)では、事態はより一層深刻になっている。正社員の人件費を減らすことを余儀なくされている。エンジンなどの金属部品を作るある会社では、生産量が3分の1に落ち込み先月から社員の勤務を見直した。一部の社員を除いて多くの社員は午後からの半日勤務に変更。 その結果、社員のひと月の手取りはこれまでの半分以下になった。 しかし、生産が回復する見通しは立たず、月におよそ500万円の赤字が出る。社長は会社の存続をかけて更なる決断を迫られていた。希望退職者の募集である。このままの状況が続けば社員を半分以下に減らさなければならない。 社長から社員に希望退職を募る通知が渡される。退職積み増し金のない厳しい条件。しかも、希望退職がなければ整理解雇を行うという連絡。 規模が小さい会社は大変な苦境に追い込まれている。ある社長は自分の貯金を取り崩して社員の賃金を払っているという。しかし、それにしてもなぜそれほど急激に追い込まれてしまうのか。自動車業界はここ数年過去最高の売り上げ利益を出すなど好調だったはず。 秋以降、売り上げが減ったからといって、なぜこれほど急激に追い込まれてしまうのか。 確かに自動車の生産はここ数年増え続けてきた。しかし、国際競争が激しくなる中で大手メーカーは下請けに対して厳しいコスト削減を要求してきた。そのため生産の拡大に見合った利益をあげることができなかった。 しかも、ここ数年間の生産量増大に応じるため導入した設備の借金が各会社に大きな負担としてのしかかる。内部留保のある大企業とは異なり、下請企業は正社員の賃金さえまともに払うことが困難な状況に追い込まれているのだ。 このような、自動車の減産が経済に与えているマイナス効果(鉄鋼や石油化学などにもおよぶ)は東海地方や中国地方において大きなもの(2000億円)となっている。そして、それによって真っ先に大きな影響を受けたのは派遣社員だ。 4年間派遣社員として働いて、このたび雇い止めになった人は仕事とともに住まいも失ってしまう。あらたな職探しを始めたが、4年間連続勤務で180日分受けられるはずだった失業保険の支給が90日だけだった。 以前(2年前まで)の法律では、派遣社員が同じ職場で1年以上働き続けることができないことになっていたため、1年経過した時点で便宜上、「マツダ」への直接雇用に切り替えられ再び派遣会社に戻る形になっていたため。(労働局によれば、現在、このような相談が殺到しているという)。 年齢的に再就職も困難を極める人たちがいる。他方で、「雇い止め」を機に路上生活を始め、ボランティアの支援に頼らざるを得ない若い人も増えてきている。仕事と同時に住まいを失うと就職の面接は大部分受けられない。 そこで、行政も家賃の安い住宅の斡旋を行っているが、比較的仕事の多い広島などの都市部では住宅が足りないというのが現状である。派遣労働のあり方そのものを見直すべき時期に来ている。 このような中、自治体や国は何をしていくべきなのか。 広島県は地元の自動車メーカーを支援するため200台の「マツダ車」を購入するという異例の対応を決定した。 政府は雇い止めになった派遣労働者の救済を目的に失業保険の給付条件の緩和などを打ち出すとともに、減産に伴う人件費の不足を補うための「雇用調整助成金」の支給条件の緩和、中小企業の資金繰りを支援するために30兆円の助成を実施したりしている。 〔コメント〕 「抜本的な景気回復に向けての決定的な手立てがなかなか見えない中においても、上記のような方策を含む国や自治体の迅速な対応が必要だ」という取材担当者の言葉で番組は締めくくられました。 「年越し派遣村」に象徴される深刻な実態に対応していくためには、まちがいなく迅速な対応が求められるでしょう。私は個人として現政府および与党を支持する立場ではありませんが、「政党同士の駆け引き」で国会審議の時間を空費している場合ではない、ということを強く思います。 年越し派遣村の「村民」からは「死ぬつもりで冨士に向かう途中、テレビで派遣村の報道を見て気がついたら日比谷に向かっていた。お陰さまで生活保護の受給も決まりアパートを借りることができた。いつまでも派遣村のことを忘れないでいきたい」といった報告があったのだそうです。 たしかに、派遣村の取り組みは画期的なものだったと思いますが、ボランティアの善意や行動力にいつまでも頼るべきではありません。何よりも行政機関が迅速な対応を矢継ぎ早に行うこと、国会においても「現状を打開していくための合意」を迅速な審議によって創り上げていくことが大切だと考えるものです。 ![]() ↑ ランキング(日本ブログ村)はこちらです
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2010.09.18 18:59:54
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2009.01.15
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
2009年1月13日 中日新聞
京セラの川村誠社長(59)は13日までの共同通信とのインタビューで、世界的な景気悪化にもかかわらず、一層の経費節減や残業を実質ゼロにすることで、パートを含めた全従業員の雇用を維持する考えを示した。 同社はセラミック部品などの受注が減少、工場の稼働率が落ち込んでいるが、川村社長は「雇用はいじらないのが大原則。社員をはじめ、パートの雇用も守る」と明言。現在は広告宣伝、出張費や残業を減らすことでしのいでおり、今後は、仕事を分け合って1人当たりの労働時間や賃金を減らすワークシェアリング導入もあり得ると話した。 また4月をめどに、三洋電機から買収した携帯電話事業と京セラの同事業の北米での販売網や技術開発部門を再編、集約する方針も明らかにした。川村社長は「携帯の開発部隊を一本にして(双方の技術の融合で)相乗効果を出し、魅力ある商品を北米や国内に出していきたい」と強調した。(以下略) 〔コメント〕 厳しい経営状況の中でも従業員、労働者を大切にする京セラのような会社を支えていくことが大切であると感じました。「21世紀は環境と人権の時代」というのは以前から言われてきたことですが、「環境に対する配慮を積極的に進めている企業」「厳しい状況の中でも労働者の人権を大切にする企業」を支えていくような「消費行動」が私たち消費者に求められているのではないでしょうか。 昨今の労働者の現状、雇用の現状を見れば見るほどNHKスペシャル『ワーキングプア』で描かれた世界を思い出します。 「解決への道」でレポーターは語っていました。「働くということは社会とつながり人間としての尊厳を回復していくことだということを岩井さん(その青年の仮名)から教えられた思いです。ワーキングプアの問題は働くことの意味や価値をないがしろにした社会がまさに生み出した問題なのです」、と。 (『NHKスペシャル』の最後に浮かび上がってきたのは、「厳しい現状にあきらめ、人間的な感情さえ抑圧していた自分」から何とか抜け出そうとする若者、「社会の中で一定の役割を果たしつつ“人とのつながりと誇り”を取り戻そうとする」若者の姿でした。) このような「ワーキングプア問題」を放置し、多くの人が“誇り”を持てない生活を強いられることは「人間的な感情や尊厳を押しつぶしてしまうものである」というのが番組のメッセージでしょう。(このドキュメントを私は学校の授業〔憲法の「生存権」に関わる授業〕でも積極的に活用してきました)。 この問題を解決していくための責任は「公的機関」のみならず「企業」にもあると考えられますが、京セラは「その責任を自ら引き受けていくことを内外に宣言した」といえるでしょう。そして、そのような企業が評価され発展していく社会にしていくための大きな責任は私たち「消費者にもある」といえるのではないでしょうか。 (教育問題や哲学・思想に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…) ![]() ![]() ↑ ランキング(日本ブログ村)はこちらです
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2009.02.18 19:31:38
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2008.06.04
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
〔番組の内容 2〕
いよいよ 全国水平社設立(1922年3月3日) に向けて西光らは大会への呼びかけのチラシを全国各地で配布した。 創立大会の宣言は西光が起草したものであるが、彼は部落民であることは決して恥ずべきことではないし、否定すべきことでもないことを訴えたかった。 西光は宣言にある一文を書き込んだ。「自分たちへの誇り」それはかつて「自分が部落民であることを隠し続けたつらい過去」を踏まえたものだった。 会場へは多くの人が集まってきた。しかし、部落民であることを隠してきた人々にとって、創立大会へ参加することは勇気のいることだった。 午後一時 水平社創立大会において「水平社宣言」が読み上げられた。 「部落民よ団結せよ。われわれがエタであることを誇りうる時がきたのだ・・・」この宣言が読みあげられた直後の、 満場の拍手の中で、参加者には「否定すべきことと思い込まされてきた現実」を正面から引き受けていこうという強い意志が共有されていった。 創立大会後、香川県で結婚を前提に女性と同棲していた男性が起訴される。裁判所は起訴を受けて部落民であることを隠してつき合っていたことは「誘拐罪」にあたる、という判決を下した。 司法の場で公然と行われた差別判決に対して、全国水平社は団結して闘った。判決は覆らなかったが、青年は仮釈放され裁判官は左遷された。 「水平社宣言」とその後の闘いは、人権を考えていく上では画期的な問題提起であった。 しかし、戦後も部落地名総監という悪質な文書によって行われた就職・結婚差別に象徴されるような差別は残り、いまだ解消にはいたっていない。 番組は最後に一人の女性を登場させる。 被差別部落で生まれたこの女性は、自分の体験を文章にすることで「命の重み」を訴え続けている、という。 この女性は20代の時、交際していた男性との間に子どもを身ごもった。そのことを男性に告げた瞬間、相手から発せられた言葉を一生忘れることができない。「今までのことはなかったことにしよう」「俺がすきでもお前らの家柄は悪いし血がにごれているからなあ」 出産後この女性は子どもと一緒に男性と出会い、 「母子で東京にこれないか」「もう故郷には帰れないけれど」 という申し出を受けた。男性はこの女性や子どもに愛情を感じつつも部落と関わろうとしなかったのである。 女性は自分たちを差別するこの男性を愛することができず、この申し出を断る。ひとりで子どもを育て始めるが2年後、子どもは亡くなる。 50年後、男性から電話がかかってきた。「子どもの写真を送ってほしい」という。 男性は泣きながら電話口で語った。「この世の中で俺の子は一人だけだった。わが子さえ差別していた俺はばちが当たっていた。あの世で子どもを抱ける父親になれるようがんばるからな。」この男性は半年後に亡くなった。 差別はされたものだけでなく差別したものをも深く傷つける。 女性は亡くなった子どもに語りかける。「父さんも悪かったって謝っていた。許してやってな。お母さんはもう少し生きて差別がいかに心を貧しくするか、親子さえも憎みあうことがあるんだということをみんなに話さにゃ死に切れんから・・・」 他人をおとしめ、自分自身までおとしめる差別。それはわれわれの日常の暮らしの中で形を変えながら今も繰り返されている。 西光万吉が水平社宣言の中で示した 「人間は尊敬すべきものである」 という考え・その精神は、 「私たち一人ひとりが自分を、そして相手を大切にすべきであるという」原点 としての輝きを失っていない。 〔コメント〕 西光らの運動の出発点となった「論文」とは、雑誌『解放』1921年7月発行に載録された早稲田大学教授の佐野学による「特殊部落民解放論」。部落民自らが不当な差別の撤廃を要求し、その後労働者と連帯すべきと論じたものです。感激した西光たちは東京に佐野を訪ね、佐野も奈良の西光を2回訪ねたのだそうです。 近代が「確立」していった人権思想に照らして「現実の不当性に目を開き行動することを提起した人物」が当時の日本に存在したことは注目すべきでしょう。 ところで、近代思想家の中で私自身が高く評価しているJJルソーは「自由・平等」とともに「同情」の大切さを訴おり、この点では西光らの主張と対立します。 私自身も「同情」というのは「もし自分が同じ立場だったらどうだろう」「きっと情けなく悲しいことだろう」と想像するところから生まれる感情であり、決して全面否定すべきものではないと思います。 「同情ではなく共感すべし」という主張もありますが、厳しい現実を「同じように体験することが原理的に不可能」である以上、簡単に「共感」などできるはずがないと考えるからです。 しかしながら、それでもなお「人間は尊敬すべきものだ」という西光らの言葉は圧倒的な迫力を持って迫ってきます。 私たちが西光らの生涯(水平社運動)に触れることで沸き起こってくるのは決して「同情」ではなく 「尊敬すべき人間に対する感動」 ではないでしょうか。 ![]() ![]() ↑ ランキング(日本ブログ村)はこちらです (教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)
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2019.03.24 00:53:55
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2008.06.03
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
〔番組の内容 1〕
いまから86年前の日本で、 「人間は誰もが尊敬すべき存在である」 とうたった宣言がつくられた。 水平社宣言 である。起草者したのは 西光万吉 。彼は被差別部落出身の青年だった。 西光は部落出身であることを隠して生きるため18歳で上京する。(・・・)「部落民だということがわかったらどんなことになるんだろうと心配だった。」彼にとって部落民であることは恥ずべきこと、隠しておくべきことだったのだ。 そのような西光に転機が訪れた。1918年の米騒動である。生活に困窮した「部落民」からも「騒動」に加わる人がいた。警察は部落に対する徹底的な捜査を行い全国で8千人の検挙者のうち約9百人が部落民だった。 警察だけでなく、当時の新聞や雑誌も「部落民」の暴力を非難した。「部落民は伝統的に動物を殺すことを仕事にしてきた人たちの血筋だから、残忍な心を持っているのだ、」(雑誌「一大帝国」)と。部落民であること自体が犯罪であるかのような理不尽な非難に西光は憤りを覚える。 差別され貧しさを強いられていた部落民が生きるために声を上げれば心根まで残忍だと非難される! しかし、振り返ってみれば自分自身差別から逃げたいあまり「部落民であることを恥ずべきこと、否定すべきことと考えていた。」そして、西光は決意する。「これからは自らが部落民であることと正面から向き合って生きていこう、」と。 こうして西光は故郷に戻るのであるが、何をどうすればいいのかわからない状況であった。しかし、ある学者の「論文」をヒントに「自分たちの力で現状を打破していこう」と一歩を踏み出す。 他方、大日本帝国の政府はいわゆる「融和運動」を始めた。 政府は部落民が反抗的であることは部落民の心根の中に問題があるとして、部落民の側が改善すれば世間の同情を受けて差別がなくなるといった「指導」をおこなった。西光はこのような政府中心の運動に強く反発したのである。 そもそも差別の原因が部落民にあるというその考え方が間違っているのだ。それを変えていくためには自分たちが声をあげ団結して行動を起こすほかはない。 こうして西光は「パンフレット」を作って全国各地へ働きかけ、集まった同士とともに団結のための組織をつくり「水平社」と名づけた。 1922年1月、西光はある新聞記者のもとを訪ねる。「部落民への同情や哀れみを呼びかけるような運動はやめていただきたい」新聞記者は納得しなかった。「私たちはあなたたち部落の人たちのためにやっているのだ。世間の同情を求めることの何が悪いのか。」 西光は机をたたいて訴える。「かわいそう、気の毒だから同情してやるという恩着せがましい態度こそが心外なのだ。そのような姿勢こそが部落民を見下しているのだ。」 そして西光は語る。「尊敬する気持ちを持って同じ人間を見てほしい、」と。西光の言う尊敬とは「人を家柄(・・・)等で見るのではなく、その人の個性を認め本質的に人が人と向き合うこと」だったのである 西光の訴えを聞いた新聞記者は、「同情してやる」といった自分自身の傲慢さに気づく。(「急に私自身が恥ずかしくなってきた」)人間は本来尊敬すべきものである、という西光の考えはこうして徐々に理解者を増やしていく。 全国水平社創立の2ヶ月前のことだった。 〔コメント〕 ガンジーやキングのドキュメントもそうでしたが、現実を引き受け一歩踏み出していく西光の決意と行動は感動的です。 (他者によって一方的に貼り付けられたレッテル・現実をまず決然と引き受け乗り越えていくことを主張したサルトルを思い起こすのは私だけでしょうか。) そして、人間は本来平等であり「尊敬すべきものだ」という西光の確信も、「人間相互が信頼し尊敬できる世界」を求め続けたガンジーの姿勢と共通するものがあるように思います。 人間は「自分を認めてほしい」「尊重してほしい」という根源的な願いを持っている、ということは200年以上前にヘーゲルが深く洞察していました。 そして、「一人ひとりがかけがえのない存在であり、尊重(尊敬)されるべきものだ」といった「人権思想」も「近代社会」が次第に確立し合意を形成していった「原理」なのです。 しかし、人間はその逆のことをなんと数多くしてきたことでしょう。「人間は尊敬(尊重)されるべきものだ」という原理が形式的にではなく確立していくためには、西光のような多くの人々の苦しみと決意、勇気ある行動が必要でした。 それは、後世の私たちにも強い感動と勇気を与えるものです。このような具体的な経験と現実に向き合う行動こそ、学校教育においても大きな説得力を持つものであると確信します。 ![]() ![]() ↑ ランキング(日本ブログ村)はこちらです (教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)
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2021.12.24 18:39:46
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2008.02.18
テーマ:子どもと教育問題(279)
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
「生きる力」について考える
“よたよたあひる”さんから素晴らしいトラックバックをいただいたので、今日はそのこと(「生きる力」)について書きたいと思います。 これまで紹介してきたU高校の実践はなぜ子どもたちの心を揺さぶったのでしょうか。そして、なぜ実践記録を読む私たち自身の心をも揺さぶるのでしょうか。 それは、「人(仲間)に対する信頼を培うような体験によって、お互いの素晴らしさを承認しあい、そのことによって“傷つけられていた誇り”を取り戻していく」実践だったからではないでしょうか。 「生徒の言葉」のところで私は「人間(自己意識)は人から認められること(承認)を求める存在であり、それが満たされない状態に置かれると、深く傷つくのが人間だ、と書きました。 そのことは、『ワーキングプア3』の中でも鮮明に投げかけられていたように思います。 12月17日に放映されたNHKスペシャル『ワーキングプア3』は見事なドキュメントでした。キャスターの鎌田氏は「ワーキングプア問題の根源に迫ることができた」と語っていましたが、それは同時に人間の本質に迫っていたと思います。 番組の最後にNHKは「ゴミ箱から拾った雑誌を売って生き延びていたホームレスの若者」を登場させます。彼は路上生活を続けていたのですが、現在は「臨時採用の職員」として路上の清掃や街路樹・植栽の草取り・整備などを仕事としていました。 「顔も覚えてもらって声をかけてくれたり差し入れをしてくれる人がいる」「今のほうがいい」という若者は、仕事のない日にも一種のボランティア活動(ホームレス向けの炊き出しの手伝い)をしていたのです。 「みんなとつながること。つらい時はつらいとか、こうしてほしい時はこうしてほしいといと言えるのがいいんじゃないかな。一人で生きて全部できるってことは絶対にないからね。人とのかかわりは切らない方がいいと思う。」 そして、「以前『生まれてこない方がよかった』と言っていたけど今はどうなの?」というインタビュアーの質問に対して彼は次のように応じるのです。 「基本的には今もその気持ち(生まれてこない方がよかった)はある。今の姿は本当の意味で誇りを持って出せる姿じゃないからね。ちゃんと社会復帰してから(みんなに認められるような人の役に立つことをして)はじめて生まれてきてよかった、生きててよかった、ということになるんじゃないですか」と語りながら彼は声を詰まらせて泣きます。 そのあと「やっと“普通の感情”がよみがえってきたんじゃないですか。」 「以前だったら絶対泣かなかった」「今は人を信じられるから」と再び泣きながら語るのです。 キャスターは語ります。誇りを持てない生活を強いられることは「人間的な感情さえも押しつぶしてしまうものなのです」と。 ドキュメントのなかで最後に浮かび上がってきたのは、「厳しい現状にあきらめ、人間的な感情さえ抑圧していた自分」から何とか抜け出そうとする若者、「社会の中で一定の役割を果たしつつ“人とのつながりと誇り”を取り戻そうとする」若者の姿だったのです。 『ワーキングプア1』では「あえて人とのつながりを絶ち、(人間らしい生活を)あきらめるよう自分に言い聞かせている」若者だったのですが、その意識のなかには「本当は人とつながりながら“誇り”のもてる生活をしたい」という叫びがあったのです。 大切なことは公教育を含むさまざまな場面で、このような人間の根源的な叫びを受け止めることではないでしょうか。「人に対する信頼⇒相互の承認⇒誇りを持って生きる力」を培っていくことが問題の本質にあるように思います。 ![]() ↑ ランキング(日本ブログ村)はこちらです
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2009.02.18 20:44:05
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2008.02.07
テーマ:子どもと教育問題(279)
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
以前も述べましたが、『週刊東洋経済』(1/12号)は「北欧はここまでやる ~格差なき成長は可能だ!~」というテーマで本格的な特集を組んでいます。
「労働権」、「生存権」や「教育を受ける権利」などを明記した日本国憲法をどのように「実現」していくか、を考える上でも大変示唆に富んだ情報満載! 素晴らしい特集です! 一部ですがその引用とコメント〔「北欧はここまでやる」〕です。 「学力世界一」のフィンランドの教育 「スウェーデン家庭に見る福祉国家の真実」 そして、現在スウェーデン在住のYoshiさんがまとめられた 「スウェーデンの大学改革」 これは、「教育を受ける権利」に格差を持ち込ませない制度について考えていく上で極めて貴重な資料です。 引用文とコメントを掲載しています。ぜひ、ご一読ください。 ![]() ![]() ↑ ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2008.02.06
テーマ:子どもと教育問題(279)
カテゴリ:憲法・人権・ワーキングプア
生徒を「憲法制定」「憲法解釈」の判断・行為主体にしていくために 2
NHK「日本の、これから」の次回3月8日(土)テーマは「学力」とのこと。 (前回の確認と続き) 「人権思想」「民主主義思想」が明文化された日本国憲法の「制定」「解釈」の判断・行為主体になっていくような学習を成り立たせていくためには、「憲法に息を吹き込む」取り組みがリアルな可能性として実感できなければならない。 さて、それを実感できる「歴史学習」の事例として私はガンジーとキングの生涯、そして、NHKで放映された『ラストメッセージ』(糸賀一雄らの生涯「本来一人ひとりが光り輝く存在であり、“障がい”を抱えた人たちも分けへだてなく共に生きることのできる社会こそが『豊かな社会』であること」を確信しつつ実践していったドキュメント)などをあげておいた。 事実、「障がい者」に関わる取り組みは、それに伴って「街全体が目に見えて変わって行く」という生徒の実感にもつながっていく事例であろう。(現代社会の教科書などには必ずこの問題につながるような写真が掲載されている…「福祉社会」「豊かな社会」に関連して) さらに、「特別支援教育」をめぐってこれまで行われてきた「解釈改憲」の動きを学ぶというのも有効な方法であると思われる。 憲法第26条〔教育を受ける権利、教育の義務〕には「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とある。 この条文は、憲法成立の当初は「普通教育を受ける能力のないものについては保障されなくても仕方がない」という解釈が一般的であったようだ。 ところが、「障がい児」への教育保障を求める運動が、「能力に応じて」という言葉を「能力の面で困難を抱える児童・生徒にはよりいっそう厚く支援し教育を保障する」という方向へ解釈するという「解釈改憲」によって現在の特別支援教育の体制が作られてきたのだという。まさに日本国憲法を「解釈」し「創造」していった取り組みというべきではないか。 この事情については『自治体から創る特別支援教育』渡辺昭男・新井英靖編著(クリエイツかもがわ)を参照されたい。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ![]() ↑ よろしければ投票していただけますか (一日でワンクリックが有効です)
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2019.03.30 08:32:21
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