|
今日はお昼に廊下で地歴科のT先生(男性20代)、体育のY先生とスクーリングの立ち番で、廊下で立ち話しているときにジブリの『もののけ姫』の話題からお2人が『風の谷のナウシカ』の漫画7巻を持っていることが判明し、ぜひ読んで下さいと勧められた。ちなみにルターはアニメ好きでしたから、ナウシカは劇場で観ていて、プログラムを持っている。 そのあと、地歴科のT先生が出張で出かける前にルターのデスクに寄ってくださり、人権教育の会報を手渡してくださった。右隣の英語科のO先生に「この会報、もらいましたか?」と訊くと、「いいえ」というご返事で、ルターにだけ下さったということがわかった。読めということだと理解し、読んでみてビックリしたのは、江種さんと奥田知志さんのことが書かれていたのだった。 江種(えぐさ)祐司さんは93歳になられていて高校生に広島での被爆体験を話されている記事だった。目の前でお話しを伺ったのが9年前、江種さんが84歳のとき。新英研の全国大会で、ルターは涙をふきふきしながら、メモを取ったのだった。息子さんを39歳でガンで亡くされて、「鬼になる」とおっしゃったことや「東大の大山彰氏、通産省の伊原義徳氏、正力松太郎、中曽根康弘」を名指しされて「忘れないで欲しい」とおっしゃったことが心に強く残っている。 奥田知志さんは奥田愛基さんのお父さんでもあるがキリスト教の牧師さんである。アフガニスタンで支援されていた中村哲さんへのライバル心(自分は国内でホームレス支援している)があったという正直な言葉を書かれていた記事を最近読み直したばかりだった。Youtubeの配信で2回お話しを伺っている。 このようなお2人のことが書かれている記事が目の前に差し出されたのは偶然と言えますか? 必然でしょう! どうしてその会報をくださったのか、その心はまだ伺っていないので、明日T先生に確認したい。 以下が過去の記事である。 2012.08.05 新英研全国大会(広島県宮島)に参加して+お返事 カテゴリ:カテゴリ未分類 以下の文章を新英研メーリングリストに投稿しました。 ● 秋葉忠利さんの講演は期待通りの素晴らしい内容でした。 「最も美しい表現を憶える(スピーチではリンカーンやキング牧師,英詩ではブラウニングの「ピパの歌」,歌ではYou Are My Sunshine)」 「記憶するには物語が必要」 「多様性への寛容」 「人生のなかでもらった『宿題』を提出しなくてはならない(原爆投下が正当だと考えているアメリカの高校時代のクラスメートに反論する+核廃絶する)」 講演内容は『ヒロシマ市長』(朝日新聞社)と重なっていますので,ご参照下さい。 ● 17歳で被曝された84歳になられる江種(えぐさ)祐司さんの被爆体験のお話が深く心に残りました。息子さんが39歳のときにガンで他界されています。 被爆直後に,放射能症で生死の境をさまよっていたときにお父さんがラジオをつけてくれて,聞こえてきたモーツアルトのフィガロの結婚・序曲のおかげで,身体のなかに力がみなぎってきて,「よし,俺は音楽の勉強をしていくぞ。音楽教師になるぞ」と決意されたそうです。 「東大の大山彰氏と通産省の伊原義徳氏(アルゴンヌ国立研究所に1955年に留学),正力松太郎(1955年米国の諜報員と結びついて原発の万博を開いた。平和利用と言われてヨロヨロとなってしまった。),中曽根康弘(ウラニウム235にひっかけて1954年に原発の予算を2億3500万円とした)のことは忘れないで欲しい。」 「戦争になって,広島師範学校の授業で真っ先に芸術科目(音楽・美術)がなくされた。」 「英語が5時間から0時間になった。3年間学べなかったので英語が話せないのがくやしい。1985年にモスクワのレーニンスタジアムで(ゴルバチョフも参加),日本語→英語→ロシア語に翻訳してもらったので20分しか話せなかった。」 「9月10日に学校に戻るときに見た,川や海に浮かぶ,パンパンにふくらんだ無数の亡骸が8月18日の枕崎台風で川底や海底に沈んでしまって,67年経った今もほったらかしのままになっている。無数の被爆者が埋まっていることを忘れないで欲しいのです。川底から瀬戸物のボタンが出てくるのがその証明です…」 「(2011年3月11日以降) みなさんも多かれ少なかれ被爆者です。」「内部被曝は生き続ける。」「放射能の影響は5年で出てきます。」「放射能の問題。人間の歴史に刻まれて,なくなることはない。」 音楽の先生をされていたので声が朗らかで穏和なかんじの江種さんから「私は鬼になります」という言葉があって,その強い思いに打たれると同時に,抱えていらっしゃる悲しみが伝わってきました。大きな「宿題」をいただきました。私も周りの人たちに伝えていきます。 帰途では京都に寄って,2009年7月に亡くなられた笹田巌さんの墓参をしました。 ご家族と一緒に故人を偲びました。 (遺稿集については:http://plaza.rakuten.co.jp/shineikenkngw/23004/) 投稿後,K先生(女性)からお返事をメーリングリストでいただきました。 江種先生は、ルターさんの総括のとおり、息子さんである宏治先生を約15年前に亡くされました。小学校の先生で、元青年部長で、広島の青年を集めて 教職員のコンサートを主催し、その時に生まれた歌が、広島合唱団でも歌われた『命輝く明日へ』で、江種宏治さんの作詞です。 宏治さんは、平和活動にも熱心に取り組んでおられました。(最初教員になりたての私が似島をガイドして頂いたのも宏治先生です。) 祐司先生は、息子さんに平和活動をまかせたとおっしゃっていましたが、息子さんを亡くされた後、本当に精力的に被爆証言をされていらっしゃり、『鬼になる』という言葉はよくわ かります。 私自身、息子が大きな病気にかかった時に、お医者さんに「両親とも被爆二世で、この子の祖母は1km圏内で被爆しています。」と伝えましたら、『医学的にその影響は、考えられません。』と言われました。そう言われても、納得できない思いがありました。今でもあります。 江種先生には、何度も中学校に来ていただいて、被爆証言を語っていただきました。 生徒たちは、長い時間でも、集中してじっと耳を傾けています。 先生の 話し方は、現在でも、教師のお手本になります。(高橋信雄先生もそうですが)江種先生のお話を聴いた皆さま、是非とも 生徒さんに 江種先生の思い、被爆者の方の思いをお伝えください。 それは、広島大会のもう一つの意義であると思います。現在、フクシマを語り継ぐこと、そして、ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐことは私たち教師の役目だと思っています。 世界中のだれも、このような思いを二度とすることがないように。 長くなってしまいましたが、未曽有の地獄の様から復興した広島には、たくさんのたくさんの無念と涙がその地中に埋まっています。 どうぞ、よろしくお願いします。 2021.05.24 路上で出会うということ 内田樹(思想家)x 奥田知志(抱樸) 内田樹さんのtweetで知って、この対談を観た。414人参加。 「弱目的的な、ゆるい共同体」に複数所属するという在り方。私に当てはめると、新英研全国、新英研神奈川支部、こまどりの会と3つに所属。あるいはfacebookでつながる高校時代の同級生達。あるいはtwitterでつながる方々。ゆる~くつながって暮らしている。親戚のような、疑似家族のような感覚。 家族ではなくても、日々つながっている。こういうことなんかな? 路上で出会うということ 内田樹(思想家)x 奥田知志(抱樸)#ほうぼく https://www.youtube.com/watch?v=6sALqzGfTAQ 以下はメモ。 「弱目的的な」がキーワード。 内田さん:合気道も「天下無敵になる」のが目標なので、日常はボーッとしていられる。 奥田さん:「神様はどうでもいい命をつくるほどお暇ではありません」と言ってから礼拝を始めている。全ての人と家族になる。今日何にするのっていうと目標が高いのでボーッとしていられる。 内田さん:若い人は早く夢を持てと言われる。職業・キャリアのように夢が矮小化されている。 夢って破天荒なもののはず。計画のことを夢と言い換えられている。 奥田さん:夢と使命の使い分け。夢は自分の延長線上。使命は自分の外から来る。その2つが必要。夢が自己実現で終わると呪いになってしまうこともある。夢と使命が混在するといいなあと思う。 使命には断念(=他者性)が含まれている。 奥田さん:路上で出会うということの意味。他領域に侵入しているような気持ち。路上で10年暮らしている人は「拾って食べるときに、食べ物を割って糸引いたら食べちゃだめね」と教えてくれたりする。 奥田さん:『呪いの時代』を読んで、書いてあった「写生的列挙」。山がある、木がありますのように書いていくと、奥深さがわかる。解釈しないで弱い自分を認める。路上では四の五の言わず、そのまま引き受ける。ひたすら聴いて記録する。それは祝福していたのだとわかった。 内田さん:名医と同じ。「足の指を骨折しました」と言うと、レントゲンで折れていない。実際は痛風! 愁訴を聴いて、非現実的な言葉を言わせている現実的な根拠を見つける。その人をして語らしめているのは何かを探り当てる。 鷲田清和さんが体調悪くなって、医者に行った。そのお医者さんが鷲田さんの奥さんに電話して「俺のところに来るのはよっぽど悪い」と。 内田さん:道場共同体を中間共同体として試みる。「家族みたいなもの」として。家族はもっとゆるくていいと思う。父は10人兄弟。お父さんと話すのは一ヶ月に1回程度。長男とは20歳離れていた。そのぐらいの距離感の方が上手くいくと思う。道場では部活動のようにスキーなどをしている。育児をみんなでしている。ベビー用品をぐるぐる回したり。ベビーシッターしたり。 墓も作った。その人のことを語り継ぐのが供養で大切。「この人は面白い人でね…」と。墓が出来て、みんなホッとしたようす。 奥田さん:亡くなった困窮者は一割しか家族の元に帰らない。抱樸で供養もしている。家族幻想(8050問題)。父親が5人いてもいいじゃないかと。ゆるい共同体(=弱目的的な)は、問題解決的な共同体(=強目的的な)と異なる。 空き家が800万戸。医療も同じで、民間にはある(が使えない状態になっている)。 内田さん:パブリックドメインをつくる。コモンズを囲い込み(エンクロージャー)したのが資本主義。私有していたものを公共財に戻す。公共財が豊かになると、暮らしが楽になる。 自尊感情を損なう生活保護は良くない。顔の見える共同体で豊かなコモンを作る。いくつかのコモンに入ると豊かになる。 奥田さん:「怖い町から希望の町に」という企画。北九州市は暴力団「工藤会」がいて、怖い町と思われていた。 行き場のないhomeを失った人がいられる場所として。 内田さん:私財を公共に供託していくことで、近代市民になる! 2020.05.19 2020年5月17日 東八幡キリスト教会 主日礼拝 ライブ 奥田知志牧師宣教「ユダよ、帰れ―ホームとは何か」マタイ27:1-10 5月17日NHKラジオ「宗教の時間」で奥田知志牧師のお話を伺ったので、ネット検索したらライブがあるとわかって礼拝ライブに初めて参加した。 ●ルターの感想: 困っている人々がhome(帰る場所)を間違わないこと、そして全ての人にhomeを保障する社会が来ることを願います。ユダはhomeを間違ってしまった、それでもユダに救いはあったと信じるという奥田牧師の信仰。条件付けない救済。無条件の愛。それこそがキリスト教の本質であり、今日の説教の中に強く訴えられたことだと理解しました。私はユダが自死していたことを今日初めて知りました。そして奥田牧師の信仰をうかがったことでホッといたしました。 人が人を裁くことを禁じるキリスト教の視点は、現在の自己責任を突きつけてくる日本の政治、日本の心の在り方を善導する光になると思います。 ●ルターのメモ(不正確なところもありますがご容赦ください): 2020年5月17日 東八幡キリスト教会 主日礼拝 ライブ 奥田知志牧師宣教「ユダよ、帰れ―ホームとは何か」マタイ27:1-10 https://www.youtube.com/c/hoshinoshita/live?fbclid=IwAR2DjTJiCEmh_dVyMnc_SFOiOzm-QJNlWXxn3UCq9zUHe_ecpylUlQsL4dU 今までhomeということばがこれだけ言われたのは初めてだと思う。皆さんがしていたのはstay houseではなくstay homeだったのか? houseも大事だがhomeも大事。homeがないと生きていけない。houseは全国に840万戸も空き家がある。houseはたくさんがあるがhomeがない。それを教えてくれたのは「野宿のおじさん」だった。30年前に中学生によるホームレス襲撃事件があった。中学生がブロックを投げつけてくる。「でも奥田さん、考えてみたら1時や2時に自転車に乗ってきてホームレスを襲撃する中学生にはhouseはあってもhomeがないのではないか」と。自分のことを心配し、愛してくれる人がいない。homelessは社会的な孤立と経済的な困窮。10万円給付金がある。住居確保給付金も大切だがhouselessの対策でしかない。あれから30年、路上生活の人は減ったが「homeless」は増えたのではないか。社会が路上に追いついてきた。路上の問題が今、露出している。(マザーテレサのことばの引用 聞き逃し…)。「皆さんがしているのはstay homeではなく、stay houseだったのではないでしょうか? 物理的にstay houseで済ましてきたのではないでしょうか?」 イスカリオテのユダはどうなったのか? あらいささきさんがユダの本を出した。銀貨30枚でキリストを売る。ユダは裏切り者という印象。マタイ27:1を読むとそうでもないんですね。銀貨30枚を投げ出してユダは自殺してしまう。神を裏切った。死に匹敵する罪だった、罪としての罰だった…。そうではないのではないかと思う。ユダは自分は罪人だと懺悔している。弟子全員裏切っている。ペテロは3回イエスを知らないと裏切っている。ペテロはそのあと泣いただけでおしまい。ユダは懺悔を言った。イエスは罪人を救うために来たのではないか。神は、役所の窓口みたいに条件をつけてここまではダメですよというわけにはいかないですね。世の中に許されざる人がいるとしたら? キリストの救いは不完全になってしまう。全ての人が救われると言いつづけるしかない。できが良いか悪いかで判断するのか? クリスチャンにならないと救えないなんているケチな神様は要らない! 東八幡教会は乗り越えた。自殺は罪か? 自殺は罪に決まっている。すべての罪は許されているという前提のもとに「自殺も罪ですよ」と。社会全体が持っているゆがみそのもが罪ですよ。 ユダはhomeを見失った。帰る場所を見失った。「あ~、やっちゃった」ということがある。自分を許してくれるところに帰りたい。でもユダは祭祀長や律法学者のところに帰って反省の弁を述べる。「それはわれわれの知ったことか。お前の問題だ(知ったことか、自分で始末しろ)」。今日では自己責任ということばで語られている。そういわれたら生きてはいけない。罪人である人間は神を裏切ることをしてしまう。ユダはhomeを間違った。「知ったことか、自分で始末しろ」という人の元に返ってしまった。皆さんはいざというときに帰れる場所を確保していますか? 迎え入れてくれる存在、それがhome。 パウロはローマ人の手紙7章で嘆く。自分を憎むことをしてしまう。自分は悪を行っている。誰が救ってくれるのかという問いに対してキリストだと。 義人はいない。善人を作るのが目的ではない。キリストのあがないを必要としている。 ところでユダはどうなっちゃったの? ユダのようなことを繰り返さないようにしましょうも一つのメッセージかも知れないが、帰ることを見失った人はどうなるのか? テントの中で命を絶った人もいた。homeを見いだした人は天国に行く、そうでない人は救われない? 信仰を持っていいたい。神は全知全能ではない。「お前の問題だ、知ったことか、自分で始末しろ」は神様は言いたいセリフだが、神様は言えない。神様は実に不自由な存在である。今から言うのは奥田による作り話(福音書)です。ユダはどうなったのか? 地獄に行くと思っている。ユダは黄泉に下りながら、イエスがビアドロローサ(悲しみの道)を十字架を背負って上がっていくのを見ている。ユダはごめんなさいという気持ちで見ている。全部俺のせいだ、イエス様ごめんなさい、泣くしかない。僕は地獄に行って当然だ。地獄の門が見えてくる。そのとき遙か彼方からイエスの声が聞こえてくる。「お前だけは許さん、化けてでる」ではなく、ルカ34:34「父よ彼らをお許しください、彼らは何をしているかをわかっていないのです」。ユダはなぜイエスのもとに帰らなかったのかと嘆き、泣き続けます。地獄の門で待っていたのは、血を流すキリスト。血だらけの手になってユダを抱き留めたのではないか。私はお前が受けるべき裁きは先に受けた。と言われて共に天に帰る。 この話はキリスト教出版社から断られてしまった。ユダが救われたら困ると。 鈴木れいこさんの一文の引用(丸木美術館 丸木としさんとホテルで同席したときの話。アウシュビッツのあと、地獄の絵を描きました。ヒトラーを描いた。戦争を止められなかった自分たちが悪いと、いりさんがトシさんを描き、としさんがいりさんを描きいれた。キリスト教は神様が地獄まで下ってくださったのですと話した。翌日、昨日の地獄の話をしてくれとトシさんに言われたというお話。) 私たちはユダよりマシかはわかりません。homeがないと生きていけない。帰る場所を間違うと死を選ぶこともある。私たちが生きつづけられるhomeが見いだせますように。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.12.14 00:13:56
コメント(0) | コメントを書く
[ルター、学校へ行く(通信制高校8年目2021)] カテゴリの最新記事
|