ハートにキュン♪した出世の城で、初春を祝う
愛らしいタイトルな割に、かなり濃い写真からスタートをします。前回から更新が開きましたが、娘と岡崎の息子のアパートに泊まった次の日に、二人で岡崎から電車で出かけた静岡県浜松市の旅の続きです。写真が多いので、前回とは別にまとめて紹介をするのは、見ての通り「浜松城」です浜松市にはゼロ戦を見に来たり、餃子を食べに来たり、砂丘に来たりと何度か来訪したのですがここ浜松城には今回が、初見参となります。浜松城と言えば、やっぱり家康ですよね。最初のワイルドな武将ですがやっぱ家康です。タヌキじじなイメージ強いのですが、こんな時期もあったんだろうなぁ~そういった意味からも英傑が、まだ天下に名をとどろかす前の、普通に若かった頃を描いている今年の大河「麒麟がくる」は楽しみでもありますそれにしてもマムシの道三がイケメン信長みたいだし松永弾正は、ちょい悪オヤジだし(笑)鉄砲から道三推しの、彼の畳み込むようなスピーチには圧倒されました急遽の濃姫は、勝気な姫ぶりが道三の娘っぽくて良かったです日曜のお昼過ぎには、浜松城で彼らに出会えるみたい。それにしても直虎から、トラの耳と尾浜松のピアノの袴と、みかんの紋ドジョウのちょんまげな家康とは三方ヶ原(浜松市)の戦いとは、家康と信長の連合軍が、信玄に挑んだものだが家康軍は大敗。有力な武将も討ち死にし家康自身も命からがら、浜松城に敗走をしたそうだ逃げ帰った家康が、鎧を掛けたというそんな松が今も残っているかと思えば流石に、三代目の樹であるらしい家康が浜松城にいたのは29才から45才だそうで、天下取りへの足掛かりにも繋がる重要な城でもあった無論、戦国期の城である為、攻め込まれた時の防御なども考えられていたようだ結構、今どきの庭石を使ったような綺麗な石垣であるが、当時のものであるようだこの城を見て、やっぱ石垣が一番印象に残ったし天守が見えてきた。ここで浜松城の概要をウィキペディアでを丸写しで説明をさせていただくと・・・・>浜松城の前身は15世紀頃に築城された>曳馬城であり、築城時の城主は不明で>ある。16世紀前半には今川氏支配下の>飯尾氏が城主を務めていた。この頃の>引馬城は、江戸時代の絵図にみられる>「古城」と表記された部分であり、>現在の元城町東照宮付近にあたる。>徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に>入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や>改修を行い、城下町の形成を進めた。徳川>家康在城時における浜松城の具体像は>不明確であるが、古文書や出土遺物から>現在の本丸に向けて城域が拡張された>ことが窺える。>また、徳川家康が築造した浜松城は、土造りの>城であり、石垣や瓦葺建物を備えていなかったと>される。拡張・改修は天正10年(1582年)ごろに>大体終わったが、その4年後の天正14年(1586年)>家康は浜松から駿府に本拠を移した。家康の在城>期間は29歳から45歳までの17年になる。>慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い以後、>江戸時代を通じて徳川家譜代大名の居城と>なり、浜松城から豊臣色は失われる。江戸>時代の浜松城主は九家二十二代に引き継が>れていき、歴代の城主によって城域の改変・>改修が進められた。>堀尾氏在城期に創建された天守は、17世紀の>うちに姿を消し、天守台のみが現在に伝わる。>以降、天守門が浜松城の最高所に位置する>建造物といえ、江戸時代を通して浜松城を>代表する建物であったことが窺える。>明治6年(1873年)の廃城令により、浜松>城の建物や土地の払い下げが行われ、三の丸、>二の丸の宅地化が進行した。天守曲輪と本丸の>一部は大きな開発を免れ、昭和25年(1950年)の>浜松城公園開設に至るではでは城内へ。といっても陳列品が並んでいるタイプなので、展示室とか撮影禁止でした。天守の地下には井戸籠城では水は大変に大事でしょうね天守台よりも少し高いところがありここには八幡台といって、城を守る神社があったそうだ二の丸御殿跡や、三の丸御殿跡などの発掘調査が行われているそうで、江戸時代の絵図にもない、家康時代以前の引間城時代の堀も見つかったようだ天守からは東方向に富士山(向かって左側)も見ることが出来たこのリアルな家康の像は、撮影がOKだったので。戦国も前半の今回の大河では家康はまだ若造なんで、風間俊介さんが演じます。(検索中) えっ?彼ってジャニーズだったんだ。知らなかった~徳川家康の天下取りの足掛かりになった浜松城は、その後の歴代城主も後には幕府の要職に就くことが多いので、別名「出世城」とも呼ばれているそうだし↑最近は、石垣でも人気を集めているわかります?ハートの石がちょこんと乗ってますよね。自然石を使う野面(のづら)積みだからこそ、こんな石もあるのかもしれませんこちらの石垣にもありますが、わかりますか? なんだかどれもがハートに見えてもきますが大きなハートの上に、小さなハートがちょこんと寄り添った、夫婦ハートと呼ばれる石です浜松城主時代の壮年期を思わせる徳川家康像。手に持っているのは「勝草」という名のシダだそうです今年の初旅行が徳川家康がテーマというのも、何だかめでたそう頭の上でガサゴソと音がするので見上げたら、大きなリスがお花を食べていた(右上)駅に戻る途中にもハート。なんだかハート探しがクセになりそう。昨年の上海に続き、今冬は北京にでも行こうかと、最終候補に入っていたが国内の別観光地にしたので時期的に助かりました。過去にサーズが流行した時、コカ・コーラの懸賞でペアでベトナム旅行が当たって、国内どこでも好きな旅先へという事になり、湯布院や黒川、別府などに姉と出かけた事があり姉はその方が良かったと喜んでいました 2020年1月4日に浜松城で撮影にほんブログ村