日本社会の 認知症への理解は
10年前と比べたら 大変広く深くなったというのに
私めの 認知症に対する理解は 10年前と大して変わらない
ということを 大いに反省している今日この頃です
10年前は 自分の母親という 生きた教材を通じて すこしだけ勉強しました
最初 いろんな不可解な行動が出て 周囲が気づき
アルツハイマーと診断されました
更に 精密に検査してもらい 脳血管性痴呆という 診断を受けました
私が 検査にこだわったのは
脳血管性なら 部位によっては 手術が可能というはなしを
職業柄 どこかで耳にしたからでした
最終の診断は 国立の痴呆疾患のセンターでした
「手術の可能性はありませんか?」
心臓が弱くて大手術には耐えられないかも知れない
という母の命のリスクを承知の上で Dr.に質問しました
Dr.は MRIの画像を横に
「患部を取り除くとなると
脳の大きいところをとることになりますから 生きることは不可能です」
と 返事をくれたのです
すでに手遅れというか 乾坤一擲の勝負もかけられない
手術可能な脳血管性痴呆など 本当は存在しないのではないかと思い
敗北感に打ちのめされました
以来 認知症について 基本的な職業上の知識以外は 学んでおりません
もちろん 母には 亡き愛犬リーさんとの交流をふくめ いろんな療法を試しましたが
土俵上で 関取相手に相撲をとっているような感じで
じりじりと 死に向かって押され続けている というのが実感です
母のことは別として 職業柄
介護保険業務で 認知症の診断は下りていないけれど
「年相応の物忘れ」として 全てを片付けるわけにはいかないな
と思いだしています
認知症の初期の人が 当事者として堂々と発言しだした という社会情勢もあります
認知症の診断・対応も含めて 医学的に 理解が深まってきたらしいという背景もあります
もし 私たちが 手軽に たとえば 胃潰瘍の初期と診断されるように
認知症の初期を発見され
いろんな 手立てを講じて その進行を遅らせる事ができるとしたら
そして 重度に到らず 寿命を全うできたら
重度になっても 介護保険の枠を超えて 手厚く社会的に介護できたら
どんなに有り難いことか
そんな思いで
老いかけた体と心に鞭を打ち もう一勉強しようかと思っています
といっても そんなに大層なことは できるはずもなく
まずは 認知症当事者の書かれたブログのウオッチングから
認知症一期一会 http://blog.goo.ne.jp/mizukiosamu/
本も 出版されておられます
水木理さんと名乗られていますが 仮名だそうです
毎日 更新することを目指して居られるようですが
1日抜けると こちらが ドキッとします
いつまでも毎日 更新していただきたいと願っています