日本の伝統工芸が心配・・・・。
新潟県加茂市は、桐箪笥で有名。三条市は金物の街。与板は刃物の街。県内にもいろんな伝統工芸が伝承されています。今では、海外の安い商品に押されて売れ行きが悪くなり、多くの工場や企業が倒産に追い込まれ、これらの伝統工芸も廃れつつある。しかし、実際、日本の職人さんたちは頑張っています。粘り強くというか、儲かろうが儲かるまいが一途に伝統を守り続けています。 職人さんたちの多くは利益よりも、自分の作ったものの完成度にこだわり、少しでも満足のいくものをつくろうとし、その出来具合で満足しています。頑固一徹。ひたすら、自分の仕事の出来にこだわります。 そして、自分の技を後世に伝えたい。 しかし、現実には、仕事は年々少なくなっていく。後継者でもある従業員の給料も減らしていくしかない。生活ができなければやめていく。後継者がいなくなる。自分の生活も苦しくなっていく。 もう、自分の代だけで終わってもいいと思い、後継者をあきらめる人。その仕事そのものをやめてしまう人。結構おられるんじゃないかと思います。 しかし、一方で機械工学とか最先端のテクノロジーを学んだ若者たちが、伝統工芸に魅力を感じ、弟子入りを希望してきたりする。 これは何を意味するのでしょうか? 私が想像するに、結局現代の科学技術ではカバーできない何かがあるからではないでしょうか?カンタンに言うと、それは機能性と芸術性を兼ね備えたところなんじゃないかなと思うんです。 そのうえに、使う人の感性に寄り添っていくような、なんともいえないような質感とか、愛着が出てくるような使い勝手の良さとか、そういったところ。 そんなところ・・・・なんて言えばいいか機能性を越えて感性にまで迫ってくる部分っていうのは、伝統工芸ならではのものではないでしょうか?そこを科学技術だけでカバーしようとすると、いろいろ付け足し付け足ししていかなければならなかったり、調和のとれないものになってしまったりして、うまくいかない。 スマートにいかないといっても言いかな。 逆に、日本の伝統工芸は、無駄なものを削ぎ落としていく。そして、残った最小限必要の機能にとことん磨きをかけていき、その機能性が最大限に高まったところにかえって芸術性がにじみ出してくる。あるいは、多面的な要素が備わっていく。日本の伝統工芸の特徴は、~でもあるし、~でもあるし、~でもあるっていう感じで、「一器多用」こそが、独特な特徴だと思うんです。いろいろ科学技術を学んできた若者たちは、それに気がついてしまうんだと思うんです。そこは、どうしてもカバーできない・・・・。それで弟子いり志願をしてくる。 でも、残念なことに、伝統工芸のマスター達は断るしかない。なぜなら、彼らを養っていくことができないからです。 これって、とても残念なことだと思いませんか? 日本人はこういった日本の伝統文化をもっと大切にしていく必要があると思うんです。だって、何百年と培ってきた優れた文化遺産ではありませんか。 みなさん、もっとこういったものを買いましょう。 日本の匠達が、充分に生活できるように、その技にさらに磨きをかけれるようにしてあげなくては、日本文化の未来が危ない! しかし、そんなきれいごと言っても、お金がなければ買えませんね。 そこで、私は声を大にして国に言いたい! 日本文化の存続のためにも、もっと景気を良くしてください! えっ?結局それが言いたかったのかって?へへへ、ばれたか。 でも、ほんと、大事なことだと思いますよ。 では、では・・・・。