|
テーマ:潮騒の唄を聴きながら~(566)
カテゴリ:ふと見かけたもの
= 懐かしき旧中学 校舎 = 今年の夏の帰省で懐かしい場所を訪れた。 思い出の学び舎 ”町立 黒〇中学校 ” 実は意外にも卒業後、初めて来た。 人生 初失恋…一番行きたくない場所かも 中一から中三までの片思いは、 叶うこともなく、春卒業の桜吹雪と共に散る。 その後、自分は町の高校に通い始め、 時々、その人を街角で見かけたこともあったが 卒業と同時に上京し、月日と共に脳裏から消えて行った。 十数年後の夏帰省の時、気まぐれで初参加した同級会で再会 関東圏に居る卒業生と言うこともあり、年に数度連絡を取り合うようになった。 (その人も結婚して上京していた) そして歳月が流れ…四十の歳を過ぎた春先の頃、 不摂生が祟り、大病に侵され海浜地区の某病院に入院した。 オペ後、一般病室に戻って間もない日のこと、 突然、その人が御主人と共に見舞にやって来て驚いた。 どうして分かった 虫の知らせ~ と、笑って聞き流されてしまった その時の恩は、未だに返せないまま今に至る…。 そんな彼女の写真が一枚だけある。 最後の学園祭の時、校門前に呼び出して撮った。 忘れたい思い出が今も数冊あるアルバムの何処かに… (行方不明のため掲載は省略。。。) 残念ながら田舎にも少子化の流れが押し寄せ かなりの昔に中学校は町に一校に統合され 自分が卒業した中学校は、二つの小学校が 統合となり小学校に変わってしまった。 校舎も新しく建て替えられて、昔の面影もない。 しかしこの25mプールだけは同じ場所に残っている。 このプール…当時、県内の中学には設置は少なく、 水泳と言えば急流の黒部川しかなかった。 当然、男の子の水遊びの場所で泳ぐには危険過ぎた。 そんな事もあったのか、自分達が入学した年に 偶然にもプール建設工事が着工された。 週数回の体育の時間は、石拾いをしたり、モッコを担いで 土を運んだりして、全校生徒で手伝い作った思い出がある。 プール開きには、日本の女性として初めての五輪金メダリスト 前畑秀子(ベルリンオリンピックの200m平泳ぎ) が泳いだ。 当時は既におばちゃんスイマーだったが その滑る様な泳ぎに唖然と見惚れた少年時代だった。 【 前畑秀子 豆知識 】 1936年(昭和11年)、ナチス体制下のドイツで開かれたベルリンオリンピックの200m平泳ぎに出場し、ドイツ代表のマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて、1秒差で見事勝利。日本人女性として五輪史上初めてとなる金メダルを獲得した。この試合をラジオ中継で実況したNHKアナウンサー河西三省は、中継開始予定時刻の午前0時を過ぎたため「スイッチを切らないでください」という言葉から始めた。 河西は、興奮のあまり途中から「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と20回以上も絶叫し、真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させた。この放送を聴いていた名古屋新聞浜支局の支局長が興奮のあまりショック死してしまうという事件も起こった。その放送は現在でも語り草となっており、レコード化もされている(ただし一部は異なっており、「前畑危ない」というセリフはカットされている)。 【 もっこ 豆知識 】 畚(もっこ)とは、網状に編んだ縄または藁蓆(わらむしろ)の四隅に吊り綱を2本付けたものである。吊り綱がつくる2つの環にもっこ棒を通し、前後2人でもっこ棒を担ぎ、使う。主に、農作業などで土や砂を運搬することに使用される。「軽籠」、「もっこう」とも称する。 なお、引越作業でも長方形の丈夫な布の四隅に吊り綱を2本付けた畚が大型家具やピアノの運搬の際に用いられる。 当hpも掲載中! thank you お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ふと見かけたもの] カテゴリの最新記事
|