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不況やいわゆるバブルが弾けた後のデフレを切り抜けてきたオッサンの独り言ではあるが。500万円の不渡り手形をつかまされたこともあるし、当社製品の卸先から顧客が払ってくれないと相談されたさいに集金にいったところもぬけの殻ということもあった。また私自身学生の頃に親父が事業に失敗し当時2000万円の負債を抱えたこともある。親父の失敗がいい意味で反面教師となった部分がある。だから私は石橋を叩くように会社経営をやってきた。500万円の不渡り手形を掴まされてからは支払いは全て現金払いにしてもらった。500万円は貸し倒れ引当金と、役員報酬の減額と、会社の預金からなんとか捻出し切り抜けた。
内部留保も今のところスタッフの2年分の給与を確保してある。注文が0になったとしても2年間は給与を支払うことはできる。スタッフの家族の将来にも経営者は責任があると私は思っている。 家内の叔父の例ではあるが叔父は自動車修理工場を経営していた。スタッフの叔父を入れて6人と小さいながらも公用車の車検や点検などの仕事があり順調だったが友人の連帯保証人になったが故に大変なことになった。地方の会社においてはお互いに設備投資によって銀行から借り入れるさいに連帯保証人になることは数多くある。私のところにも連帯保証人になってくれないかという話があるが、まだ親父が生きているのに親の遺言で連帯保証人だけにはなるなと言われたと丁重に断ってきた。義母を通じて相談にのってあげてと言われたので、話を聞くと会社経営している幼少の頃からの友人が新工場建設のために2億円の融資を受けるさいに叔父は連帯保証人になった。かつて叔父も工場拡張と自宅建設のさいに銀行融資のさい友人に連帯保証人になってもらったいきさつがあり断れなかったと。その友人は順調に返済してきたが、いわゆる有力な取引先が倒産してしまい、売り上げが90%近くまで落ち込み、会社が維持できなくなり廃業し本人は自己破産いわゆる飛んでしまった。残債が1億をちょっと切れる額だった。 ほとんど親戚が叔父にも廃業と自己破産を進めたが、私は叔父に恐らく融資した銀行は叔父も飛んでしまったらすべてが不良債権になってしまうから、再度返済意思があること示した上で銀行と交渉した方がいいとアドバイスした。結果叔父の自宅や土地、工場等の資産は全て銀行の根抵当がつけられ、事業継続と返済額が減額となり、今の報酬を維持した上での返済となったが、叔父はその後癌を患い69歳で亡くなった。恐らく相当のストレスを抱えたから癌を発症したのだろうと思う。その後叔母が社長に就任し事業を継続し返済している。 自己破産飛んでしまうことは簡単だ、しかし飛んだ場合、連帯保証人とか貸し付けた人たちが絶望し自殺してしまうケースがある。事実私の知り合いにも支払金が回収できず将来に絶望し、自殺した知り合いもいる。命は大切に決まっているが、経済も大切だということだ。経営者というのはスタッフやその家族の人生を背負うことになる。 カメラを止めるななでなく経済を止めるなだ、経済を止めてしまったら破産が増えるだけである。不良債権化リスク、感染リスク政府はこの二つ睨みながら国政のかじ取りをしなければならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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