ゲド戦記の原作を読みませんか?
私がゲド戦記と出会ったのは高校生の頃でした。
その頃、SF者であった私はル・グィンの別の作品を読んですでにファンになっていました。(「闇の左手」、「風の十二方位」など。萩尾望都のSF漫画が好きな人にはお勧めです。)
ある時何かの文章で宮崎駿監督が「ゲド戦記」が好きだということを知り、しかもル・グィンの作品でもあったのですぐに買い揃えたのです。
その頃、ゲドといえば三部作で完結のストーリーでした。
・第1部。
幼少期から青年期を描いた「影との戦い」この作品は自ら放った影との戦い、自己を見つめなおし、己と対峙する物語でした。
・第2部。
魔法使いとして脂ののった時代の「こわれた腕輪」では、アチュアンの暗黒の墓所からエレス・アクベの腕輪を持ち帰り、アースシーに平和をもたらします。そしてこの時神の奴隷だった娘、テナーを助け出すのです。
・ 第3部。
そして、「さいはての島」では、世界の均衡の崩れたわけを探索し、「生は死の中にこそあるものなれ」との言葉を体現します。アレンはゲドの従者としてともに、生きながら死んでいるような街や人々の間を旅しながら、ゲドに対して様々な感情を抱きます。尊敬や敬愛の情から、猜疑、恐れ、嫌悪感まで。死を受け入れることによって生を生きることが出来るということに気づいたとき、アレンは少年から大人へと成長を遂げることになります。そのアレンの、永い眠りから次第に覚醒するような成長の描写は、今読んでもとても感動的です。そして、読者もこの旅がゲドではなく実はアレンの旅だったことに気づかされるのです。
その後、第4部、第5部が最近になって出版されましたが、蛇足だという意見もあれば、こちらの方が面白いという意見もあります。
私は4巻で魔法を失ったゲドが、同じように夫を失ったテナーと、親から虐待を受けて育ったテルーとの奇妙な共同生活をするこのストーリーが案外好きです。3巻までの神話的なストーリーに比べとても人間的ですし。
でもウチのダンナは「読まなければよかった」と言っています。「女である」ことを考えさせられるような内容だったと(実はうろ覚え)思うので、男の人はちょっと乗れにくい話であるのかもしれません。
さて、ここまで読んでお分かりだと思いますが、ゲド戦記は何故か戦記というタイトルがついてはいますが、実に内省的なお話です。常に自己を見つめ、あるいは対話を重ねて重ねて成長していくような。
駿監督が、ゲドのエッセンスを幾度も借りながらも、原作をアニメ化しなかったのは、致命的なまでにアニメに向いていないことをご存知だったからだと思います。だから今回のアニメ化にも反対されたのでしょう。(←これはまちがいですね。アニメ化できなかったのはル・グィンの了承が得られなかったためです。)それでも最終的にGOサインを出してしまったのは、鈴木さんへの信頼だったのか、息子だから甘くなっちゃったのか、よくは分かりませんが、できれば社長の権限でストップして欲しかったですね。
ル・グィン特集のユリイカに吾郎カントクのインタビューが載っていましたが、あまりにひどく、吐き気がしました。自分のことを素人監督と言い(素人だから出来が悪くても勘弁して欲しいとでも言いたげです。)、自分の作ったものが何であるかわからないとのたまっておられます。
そして、作品に対する批評や評判といったものは、金輪際いっさい聞かないそうです。(笑)
インタビュアーは私たちが抱いた疑問を次々にカントクにぶつけていきますが、なんとも呆気にとられる様な答えをあっけらかんと話していらっしゃいます。ご興味があれば是非立ち読みを。
さて、原作者アーシュラ・K・ル・グィンの公式HPで、今回の映画に対する作者のメッセージが書かれました。
公式ページ:原文
この文章を翻訳された方がいらっしゃったのでご紹介します。
ゲド戦記Wiki:翻訳文
この文章を読んで、本当に悲しくなりました。駿監督のファンであったル・グィンの熱烈なラブコールに対するジブリのこの仕打ちは、裏切り以外の何物でもありません。
出来ることなら、ル・グィン女史への謝罪と、作品の作り直しをして欲しいものだと願ってやみません。
興味深いインタビューです。
鈴木敏夫さんのインタビュー。
吾郎さんをカントクに抜擢した理由、ジブリの後継者問題などについて話しておられます。