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カテゴリ:ドラマ系の感想
内容
すみれ(芳根京子)達が作った展示が公開される。 すみれは、さくら(井頭愛海)に。。。 敬称略 悦子から始まった展示テーマ。 なぜか、すずを持ち込み。 一応、喜代の言葉もあったけど。。。 で。。。唐突に、完成させた。 “完成”ということは、そこに。。。それこそ“思い”が込められているハズ。 たしかに、これ、映像的に、ドラマのエピソードの1つとしては、 完成。。。いや、完結させたハズなのだ。 そう。数週間にわたる不快感しか感じ無いエピソードが、 ようやく、終わりを迎えたハズ。 ハズだ。。。。 さて、なぜ、ここまで“ハズ”を連呼するかと言えば。 ラストあたりの仕事を辞める辞めないのくだりを見れば分かるように。 これって、今作で“一度行ったネタ”なのだ。 もちろん、子供の時、大人になりかけの時。。。と違いはあるけど。 よくよく考えてみれば、 このエピソードが始まる直前のエピソードって、 昨年末の“ネタ”だったのである。 たしかに、ネタとネタの間で、事件を経過させていますが。 う~~~ん。。。 同じネタを次週も含めると2ヶ月近く。。。。って、 ほんとうに、どうかしていると思うよ。 この調子だと、同じようなネタを、 今後。。。2ヶ月で、またやりそうだよね(失笑) それにね。2ヶ月近く、ネタ、内容を繰り返し続けている違和感だけで無く、 ドラマとして考えると。 そもそも、主人公が決着をつけたから、展示が完成できたわけだ。 そう、何度も書くが。 やはり、これは、“終わっているエピソード、ネタ”なのである。 だからこそ違和感があるのだ。 本来、ドラマは主人公のモノであり、脇役のモノでは無いということ。 そらね。脇役で物語が動くワケなのですが。 ここまで。。。ってのは、 さすがに、主人公が主人公である意味が、全く無くなってしまっている。 ほんと、なんだろうね。 同じようなネタを2ヶ月も続けるだけじゃ無く、 展開に、主人公がいる意味が無いって。。。 。。。。だれが、主人公? 最後に。 アイデア不足が、行き着くと。。。。こうなってしまうのかな。。。 2クールってのもあるけど。 一代記である事を考えすぎて、時間経過を使う。 でも、その時間経過により、新たな何かを生み出せば良いのに。 結局、同じネタを繰り返す。 好意的に見れば、幼児期、少年期、青年期。。。。などなど。 子育てに奮闘していると見えなくも無いけど。 今作の主人公が、子育てを使用人・喜代に任せっきりなのは、誰もがわかっていることで。 が。コレを前提にしてしまうと、 主人公と、その子供とのやりとりは、違和感しか無いのだ。 そうなのだ。 子育てをシッカリ描かず、いつまでも使用人を登場させてしまっていることが、 すべてに悪影響を及ぼしていると言って良いだろう。 コレがあるため、子育てだけで無く、家庭のこともやっていないようにし感じ無いし。 ましてや、 “仕事も家庭も”なんて、絶対に感じるわけが無いのである。 どうみても、仕事だけ。 そんな描写を。。。主な視聴者層に見せる。。。。って、 どう考えても、間違ってるよね。 描けば描くほど、いつまで経ってもお嬢様。 成長なんて、どこにも無い。 なのに、成長。。そして成功していると言いきる始末。 ほんとなら、“もうファンタジーだな”と言いたいところだけど。 その言い方は、ファンタジーに失礼だよ。 別にね。 ドラマなんだから、都合良くても良いし。 主人公が、結果的に、変化、成長するなら、不快感があっても良いんですよね。 まあ、モデル、モチーフがあるのもわかっているけど。 だからこそ“終わりよければすべてよし”じゃないのかな? ちょっと、ここまで、破綻しているドラマは、近年希有だね。 “朝ドラ”だから、批判が少ない上、数字もとっているけど。 以前も書いたけど。 これ。。。“夜ドラ”だったら、一桁前半だよ。 TBは以下のミラーへお願いします http://blog.goo.ne.jp/maxexp99/e/c9959141e8da889ce0d7bcd540f1cb67 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年01月28日 08時08分46秒
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