先日の法事でお経を間違えてしまいました。
普段の朝のお勤めなどではお経を間違えることなど
ないのですが、何故か法事では間違えることがあります(汗)
やはり人前でお経を唱えるというのはプレッシャーが
あるのでしょうか?
実はプレッシャーに鬼のように弱いです。(汗)
精神力が全く鍛えられていないのでしょうか(汗)
座禅をすると精神力が鍛えられるとも言いますが・・・
真言宗では精神力が弱められる?(汗)
そのあと、会席を出されたのですが、
「いつも拝んでいただいているお経って
全部憶えているんですか?」
「え~、う~、あ~・・・」
その時、隣の方が
「失礼なこと言わないの、そんなのは憶えていらっしゃるに
決まっているでしょう!」
決まっていない(汗)
すかさず、
「般若心経の3倍くらいの真言がありましてね、
それを完全に憶えないと学校を出れないんですよ」
危うく、嘘つきを免れる(汗)
実は別の機会にある方から
「お経って全部憶えているんですか?」
「大体は憶えていますが、経本を読みながらお唱えします」
「やはり虎の巻があるんですね」
「いえ、そうではなくて、経本を読みながら、
唱えるものなんですが・・・」
「なるほど、お坊さんも人間なんですね」
「いえ、そうではなく、経本を読む時には、意味をとらえながら
読む必要があります。ですから・・・」
「いやいや、よくわかりました、
なかなかお経暗記するの大変ですからね」
全く理解されていない(汗)
お経の話はさておき、四国遍路の話になりました。
四国遍路の話をしていると昔が思い出されます。
四国へはじめてやってきたのが平成6年。
あれからもう15年!
高野山に登り、僧侶になったとき、もう歩いて四国遍路を
することなどないだろうと思いました。
四国遍路はあくまで弘法大師にすがって、
四国の風土と人々によって助けながら進むもの。
私にはもう不要のように思われました。
というよりは四国で縁をつないでもらった私にとっては
もし必要でもすべきでない。
むしろ、縁をつなぐ側になるべきという思いが
あったからです。
野宿の話をしたときに
「若かったからできたんですね」
と言われたのがちょっとショック!
今でもできるはず?という思いもあります。
なんとなくもう一度行ってみたい!
先日遍路研究家の方が来られたのも
そんな思いに拍車を掛けました。
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