さて、台風が関東を直撃する頃、徳島では既に雨が上がっており
出雲へ向けて出発しました。
中国山地を超える頃までは、曇りが続いていましたが
超えた途端、いきなりの雨模様(;一_一)
しかし、これが幸いしました。
台風と悪天候により、出雲大社は想像以上に空いています。
とはいえ、境内は人であふれていますが、参拝に時間待ち
ということはありません。
また、参拝者のマナーも伏見稲荷ほどひどくはありません。
病、弘法、欲、稲荷
旗を持った案内人があちこちにいますから、
その人たちの指導の賜物でしょうか?(*^_^*)
さて、出雲大社には日本最古の銅の鳥居があります。
案内人さんが「毛利元就の孫が寄進した」と説明されました。
毛利元就の孫???毛利輝元???
案内人さんに聞くと、毛利輝元だそうです。
なんで、そういわないのだろう?
「毛利輝元は馬鹿殿で有名だからですか?」
「いえ、そういう訳ではないですが、毛利元就のほうが有名なので・・・」
何しろ毛利輝元は、関ヶ原戦いの西軍の総大将。
関ヶ原で西軍は負けたとはいえ、毛利本隊は無傷で残った。
さらに、毛利の当主である輝元は大阪城で秀頼の守を
しています。
豊臣秀頼を擁して大坂城にあった以上、毛利秀元や立花宗茂は
大坂城に籠城しての徹底抗戦を主張したのは当然。
篭城戦が行われた場合は秀頼に対して矢をつがえることを
躊躇する諸将が離反し、家康が一転窮地に陥る可能性もある。
何しろ、先の石山合戦では毛利の補給で10年落ちず、
後の大阪冬の陣では籠っているのが「浪人」だけでも
落とせず和議。
そこに籠っているのは秀頼擁する毛利本隊。
当然、制海権も補給路も確保。
責める側は豊臣恩顧の大名。
日本史上最も有利な状況での籠城戦。
負けるはずのない戦い。
むしろ危険なのは領国から遠く離れ、味方側の敵との内通を
心配しなが攻めなければならない徳川家康。
実際の戦闘など行われるはずも無く、放っておけば
有利な条件で和議が成立する。
その立場をみすみす捨てて、のこのこ開城したために
120万石から37万石に減らされたのが毛利輝元。
ちょっと言いにくいですかね?(*^_^*)
本題と外れましたが、出雲大社本殿の前で参拝しますが・・・
パワースポットというイメージは無いですね(*^_^*)
人が多過ぎるからでしょうか?
さて、今回「平成の大遷宮」ということで、
神様に拝殿に移っていただき、再び本殿に帰っていただいた
ということですが・・・
えっ?神様に拝殿に移っていただいた? だと???
それはイカンザキ。
折角封じている大国主を外へ出してどうする?
もうひとつ、本殿前で「朱印」を受けられるんですが・・・
書き手が一人しかいない(@_@;)
15人ぐらい並んでいますよ。
「朱印」が欲しいんですか、引率している立場上貰えない(;一_一)
せめて書き手を二人にして欲しい。