カテゴリ:野垂れ死に的生活行為
といもいさんとも、長いブログでのお付き合いです。
身体だけが、ぼろっちくなる。とのコメント、なるほどと思って 書き込みをして。 うんにゃ。 アタマも、ぼろっちくなるみたい。と、また、書き込みをしようと思って やめて。 こちらに書くことにした。 アタマもきっと、ぼろっちくなってる。 可塑性が亡くなってくると言うか、。 年寄りは、頑固。とか言われるのは可塑性の問題かもと言うわけで。 頑固は、視野とも関係があると思う。 狭くなる。具体的に角度の問題ではなくて。 ストレスにも弱くなる。筋肉と同じで。 守ろうとするから、硬くなる。頑なになる。 考え方とか、視野とかが、狭くなると、それが世界になるし、 その中が全体と思うようになる。 いつでも、どこでも、広い世界のことを最初に考えて フレキシブルにいろんな事を合わせて考える事が出来にくくなってくる。 その限られた世界で、自分を守ろうとするから、 順位が、(人間関係の)非常に拘りの対象になってくる。 平明に捉えられなくなってくる。 いわゆる、頭ごなしの発言は、きっとそういう背景から、生まれるのだろうね。 別に、失礼でも無いのに、失礼なやつだとか、 うーん、要するに、人の事を貶めるようなもの言いは 自分を守ろうとして、出てくるのだろうね。 何を言ってるかというと、 あたし、こちらに来て、何度か目が点になるような言葉を 発射された事があって、 もう、そんな時は悲しいし、悔しいんだけど、 その人たちの事を、思いやって考えると、、そういうことかもしれんなー、と 思うわけで。 時々、だよ。 殆ど、毎日は快適なんだけど。 話は変わるが、 先週の週末に、ははを、さるコンサートに連れていった。 身体上の都合で、中座せざるを得ず、 途中で、抜けた。 演奏中はご法度だから、細心の注意でもって、 中座のタイミングをはかって、行動したんだけど、 ははが、あたしが思う以上にゆっくりだった。。 演奏が始まるのと、会場のドアにたどりつくのが同時だった。 ドアノブに手をかけて、 ははの手をひいて、引っ張って、外に。。の都合が、。。 そこで、 ははが、突然、。 自分で出来る!と言いだした。 出来るって、、その、ドアに手をかけて退出をなんだけど。 ドアは、普通よりずっと重いし、とてもじゃないが 一人では開けられない。閉められない。 そういうところで、突然、頑固になった。 当然、ドアは半開きになる。 あたしは、手をひく。。すると、 自分でできる、と言ってるように、自分でしようとするので、 引っ張っても、言う事を聞いてくれない。 演奏が始まった。。 あたしは、手を離さずして、ははから手を離し、・・・。まあ、大変だったんだけど。 まあ、すごい力だった。。 こんなに力が、、掴もうとする力があるんだね。と ヘンに、感激した。 ところで、 昨日と、今日、ははの実の娘が孫とははに会いにきている。 あたしは、直前まで知らなかった。もう一人の娘からつまり年上の方の義妹から メールが来て、自分は行けないが、(妹がその娘と面会に)行くから。と。 この月で一番忙しい週末と週中の外出予定の中に 予定を入れてきた。 今週水曜のコーラスの練習は、ちょっとダメかもだ。いいけど。 もとより、下の義妹は何も言わない人なのでしょうがない。 彼女に初めて会ったのは結婚前の挨拶の時だが、以来、 40年近く時間がたったけど、 正味、4時間の会話があったかどうか、というほど、あたしとは 言葉を交わしてないのである。すごいね。 そう思うと、やっぱ、関係は歪んでると言うか、普通じゃないね。 その「普通」に、寄りかかると言うか、あたしは普通という考えを このトシになると、なかなか、捨てられない。 彼女の、普通、にシフトは無理。 そういう風に、ぼろっちくなっていく・・。 空と、雲を見る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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